3-57.自責と葛藤
不本意ながら青羽に相談事をする羽目になったその日の夜、遥は自宅のリビングで夕食を取っている最中も相変わらず物憂げな様子で溜息ばかり洩らしていた。そんな遥の様子は食卓を共にしていた響子の目にも止まって、そうであれば当然ながら母親としてこれを心配しない訳がない。
「さっきからどうしたの? 学校で何かあった?」
学校であった出来事という点で行くと、今日に限って遠藤恵達が妙に絡んで来た事は少しばかりの懸案事項と言ってもいいだろう。もしあれが一過性の物では無く、今後どんどんエスカレートしていくのならば、それは間違いなく遥の望む安心安全で平穏な高校生活を脅かす物だ。ただ、今の遥はその事よりも、依然として定まっていない賢治の誕生日プレゼントを何にするのかという案件の方で頭が一杯だった。
今日一日、学校では沙穂や楓、ついでに青羽も色々と案を出してくれたのだが、そもそもの話し前提条件からして無茶なのだ。あの質実剛健を絵に描いたような男らしい賢治に喜んでもらえる女の子らしいプレゼント等、早々に見つかるはずも無い。
「えっ…と…」
遥は手にしていた箸を一旦お茶碗の上に置いて、テーブルを挟んで正面に座っている母の顔を見上げながら、この事を相談すべきかどうか少しばかり頭を悩ませる。
賢治に対する恋心については、自身がそれを自覚する以前に諭してくれたのが響子なのでここで改めて明かす事自体に抵抗は無が、遥は現在思春期の真っ只中だ。そんな遥が実の母親に所謂「恋愛相談」をするなんて事は、なかなか容易に出来る事では無い。
「な、何でも無いよ…。べつにへーきだから…だいじょぶ…」
結局遥は羞恥心や自尊心の方が勝って、母に悩みを打ち明ける事が出来なかったがしかし、相変わらずその表情が物憂げなままであれば、当然響子はその憂慮を続行だ。
「お母さんね、遥が学校で色々苦労してるんじゃないかって、いつも凄く心配なの…」
響子の表情は真剣そのもので、その眼差しにも我が子を想う母としての愛情がこれでもかと言わんばかりである。
「うっ…」
遥は自分が不在だった三年の間、響子に随分と心労を掛けてしまっていたという自覚があるだけにこうなるとかなり弱い。
「言いたくないなら仕方ないけど、でも話してくれたらお母さん嬉しいな…」
こんな風に言われてしまっては、遥も最早羞恥心や自尊心等と言った個人的な感情に拘っている場合では無く、正直に自身の悩みを打ち明けるより他なかった。
「あの…えっと…」
遥は母の気持ちを慮って悩みを打ち明ける決心こそしたものの、やはり今一つ言い出し難く、内容が内容なだけにほんのり赤くなった顔を俯かせてモジモジとしてしまう。
「あんた…もしかして…」
言い淀む遥の様子を目にした響子は流石母親と言うべきか、何かピンと来た様子で、それまでの不安そうだった面持ちから一転、ほっこりと表情を緩ませた。
「その感じだと賢治君の事ね?」
そのものズバリ言い当てられてしまった遥は、これに思わずギョッとしてついあたふたと取り乱してしまう。
「ふぇっ!? なっ? えっ、えぇ? な、なんで、分かった…の?」
響子はその問い掛けに対して、今やリンゴの如く真っ赤に染まった遥の頬を人差し指でチョンとつついて得意げな笑みを見せた。
「ここに書いてある」
そんなにも顔に出ていたのかと思うと遥は恥ずかしい事この上なく、堪らず両手で顔を覆って身悶えせずには居られない。
「はぅあぅぁ…」
響子はしばらくその愛らしい姿を眺めて一層ほっこりとした面持ちでいたが、ややあってからまた何か思い至った様子で、自身の手の平をポンと軽く打ち付ける。
「あぁ、そういえばもうすぐ賢治君の誕生日ねぇ…」
響子はそれから少し考えを巡らすと、遂には遥が打ち明ける以前にその悩みが何であるのかを大凡で言い当ててしまった。
「ははぁん、さてはあんた、賢治君の誕生日にかこつけて、自分の気持ちをアピールしておこうなんて思ってるんでしょ?」
響子が導き出したその答えは、女の子としての自分を印象付けたいという遥の悩みよりも一段階上のレベルで若干の齟齬があるものの、大枠では限りなく正解だ。
「そ、そこまではまだ無理って言うか…、でも、女の子としては意識してもらいたくって…、それで…何かそれっぽい物をプレゼントしたいんだけど…、その何かが分からなくって、それで…悩んで…ました」
遥が若干しどろもどろになりつつも自身の口で改めてその悩みを補足すると、響子は納得の頷きと共に目を細めて心底嬉しそうな顔をする。
「そっかそっかぁ、そういう事ならお母さんに任せなさい!」
自信ありげにそう言い放った響子は食卓から立ち上がるなり、キッチンの方へと歩を進めてカウンターに置かれていた固定電話の受話器を手に取った。
「えっ? えっ?」
その突然の行動に遥が困惑している間に、響子は慣れた手つきでダイヤルを操作して程なく応答した電話口の相手と談笑を開始する。
「あー、どうもー、響子ですー。この間はありがとねー、うん、うん、そうそう、そうなのよー、それでねー、ちょっと相談なんだけどー、そうそう! 話が早くて助かるわぁ! えぇ、そうね、それがいいかしら。うん、それじゃあそんな感じで!」
響子はそんな漠然としたやり取りを誰とも知れない相手と終えた後、今度は固定電話に代わって同じくカウンターに置かれていた自身のスマホに手を伸ばした。
「どうもお疲れ様、奏です。急な話で悪いんだけど、この前行った…、えぇ、えぇ、そうです。あぁ、そうなんですよ。いえ、ちょっと個人的な事なんですけど、はい、詳しくは明日にでも、えぇ、えぇ、ではそういう事で、失礼します」
今度の電話は話しぶりからすると仕事関係の人間である様だが、相変わらずその内容自体は傍で聞いている分には漠然としていて今一良く分からない。そんな謎の通話を二件済ませた響子は遥の元へと戻って来たかと思うと、何やら満面の笑顔と共にサムズアップを見せて来た。
「遥、賢治君の誕生日当日は二人っきりでデートさせてあげる!」
遥はその余りにも唐突な話に今一つ状況が上手く呑み込めず、目をぱちくりさせてひたすらにキョトンとしてしまう。
「えっ? で、でーと? 賢治と…二人で…?」
遥が少々間の抜けた調子で言われた事をそのまま問い返すと、響子はそれで間違いが無い事を力強い頷きで肯定した。
「そう、デート! 賢治君には朱美さんの方から上手く言ってもらうよう頼んでおいたし、凄く良い雰囲気のレストランに心当たりがあるから予約しておくわ!」
プレゼントに関する相談をしていたつもりの遥は、一体全体何がどうなって賢治とのデート等と言う話しに発展したのか分からずに唯々困惑するばかりだ。これがもし遥自身の誕生日ならば、デートは何よりのプレゼントではあるが、今回の主賓は賢治である。遥としては望むところであっても、賢治にも喜んでもらえなければ意味が無い。
「…で、でも、プレゼントは…?」
賢治の立場を考えてあくまでも物質的なプレゼントに固執する遥だったが、響子はスッと人差し指を一本立てて、それがそもそもの間違いである事を指摘した。
「良い遥? プレゼントは普通に賢治君の欲しそうな物をあげて、自分の気持ちはシチュエーションで示しなさい!」
人生の、そして女としての大先輩でもある響子が余りにも自信満々にそう断言するので、恋愛初心者かつ女の子初心者の遥もそれこそが唯一無二の正解の様に思えて来る。
「な、なるほど…?」
遥は半ば強引に納得させられた感が無いでは無かったが、実際にこれは中々どうして悪くない提案だった。確かにこのプランならばプレゼントを何にするのか悩む必要性が無いし、遥自身の目的も達成できる。そう考えると遥は当初突拍子も無いと思えた母の提案がかなり魅力的に思えて来たがしかし、その一方では同時に少しばかりの気掛かりも感じ始めていた。
「…でも、賢治はデートだと思ってくれるかな…?」
遥と賢治にとって二人で遊びに出かける事は昔から当たり前の日常であるし、今でもそれはそこまで珍しい事ではない。つい最近も、場所こそ色気など一切皆無な行きつけのラーメン屋では有るが二人で仲良く食事に出かけたばかりだ。例え響子がデートにおあつらえ向きなムードあるレストランを手配してくれるのだとしても、あの鈍感な賢治ならば誕生日を祝う為のちょっとした贅沢くらいにしか思わない可能性は大いにありそうだった。
「そうね、相手はあの賢人君だものね、遥が心配になるのも分かるけど…」
賢治の性格や二人の関係性をよく知っている響子は遥の不安に理解を示しつつも、直ぐに自信の満ちた表情でそれも問題では無い事をキッパリと断言する。
「当日はお母さんが遥をうんと綺麗にコーディネートしてあげるから大丈夫!」
響子は賢治がワンピース姿の遥を女の子として意識していた事を知っているので、その「大丈夫」には大いなる確信がこもっていた。がしかし、当の遥はそんな事になっていたとは知る由も無いので、響子の「大丈夫」には何の根拠も感じられずに尻込みすらしてしまう。
「綺麗にって…言われても…」
遥は常日頃から幼女以外の何者でもない自分には、「女性」としての魅力が決定的に欠如しているのではないかと思っていた。だからこそ、遥は類まれな美少女でありながらも、賢治に女の子として意識してもらえる様にと日々努力して、今回もそれ故に頭を悩ませていたのだ。
「ボク…こんなだし…」
遥は女性未満の小さな幼女である自分を不甲斐なく思って、たまらずしょんぼりと項垂れ俯き加減になってしまう。
「…今のボクじゃ…無理だよ…」
もし自分の身体がもっと年相応だったのなら、賢治も自分の事をちゃんと「女性」として見てくれたかもしれない。そう思うと遥はどんどん落ち込んで、その口からは堪らず自身を卑下する言葉がこぼれ出た。
「遥…」
俄かに落ち込んでしまった我が子の様子を目にした響子は、遥の真横にと席を移して、その小さな肩をそっと自分の元へと抱き寄せる。
「大丈夫…、大丈夫よ…遥は大丈夫だから…」
響子が耳元で囁いたそれは、我が子を思い遣りながらも、どこか自分自身に言い聞かせているかの様で、遥はこれに思わずハッとなった。
「…お母…さん?」
遥が肩を抱く母の顔を上目で見やると、響子はほんの一瞬だけ感慨深げな表情で目を細めさせる。
「遥は何も心配しなくていから! ね!」
そう告げた響子はもういつも通りの穏やかかつ自信に満ち溢れた様子で、そこには先程の半ばうわ言の様だった囁きや、悲しげですらあった表情は見る影もない。それでも遥は、間違いなく耳にしたその囁きと、間違いなく目にしたあの表情から、母の抱えている複雑な想いを確かに感じ取っていた。
それは、我が子を特殊な身の上に置いてまで生かそうとした事に対する自責の念。あるいは、息子として育てて来た我が子を娘として扱う度に積み重なっていった無意識の葛藤。遥が見出していたそれらは、普段気丈な母が決して表に出す事の無い、響子の抱える「負い目」だった。もしかしたら、早い段階から行われていた過剰なまでの少女趣味漬けも、響子自身が必死にそれを受け入れようと足掻いていた現れなのかもしれない。
「お母さん…」
遥は母の気も知らずに先程自身の境遇を悲観する様な事を口にしてしまった事を悔いながら、同時に響子を安心させなければという強い気持ちに突き動かされる。今の遥には、女の子であり続けたいと願えるだけの強い想いがあり、母がその境遇に対して負い目を感じる必要性などはもうどこにも在りはしないのだ。
「あ、あのね…ボク…」
真っ直ぐに母の瞳を見据えた遥は、今の自分がどれ程女の子であるのかを知らしめるため、心のままに少しはにかんだ笑顔で言葉を紡ぐ。
「ボク…賢治が好きだから…、だ、だから、賢治とデート…したい…し、それで…、えっと…賢治に今のボクを…、好きになってもらいたい…から…」
後半から気恥ずかしさで消え入りそうな声になりながら、それでも遥はその気持ちを、母の負い目を払拭する為ばかりでは無く、自身の心からの願いへと変えた。
「だから…お母さん、ボク…綺麗になりたい…!」
遥は自分が女性未満の幼女である事を未だ疑わず、そんな自分が魅力的になれるかどうかには依然として自信が無い。それ故に先程は尻込みして、悲観的にもなっている。ただそれでも、そうなりたいという気持ちは確かにその胸の内にハッキリとあった。
「遥…!」
その言葉と想いをしかと聞き届けた響子は、心底嬉しそうな笑顔になって遥を力一杯に抱き締める。
「お母さんがあんたを世界一綺麗にしてあげる! 大丈夫、全部任せなさい!」
響子の抱擁が余りにも力強かった為に、遥は若干の呼吸難に見舞われたが、今はこれを振りほどくべくもない。遥はそのまましばらく、母の愛情とそこに秘められていた複雑な想いを、その小さくなった身体一杯にしっかりと受け止め続けた。




