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3-56.余計なお節介と有難迷惑

 七月最初の週が間もなく終わろうかという金曜日、まだ生徒がまばらな朝の教室内には、大変物憂げな表情で物思いにふける遥の姿があった。

 初夏と梅雨が入り混じった今時期は一年の内で最も不快指数が高く、大抵の者が少なからず憂鬱ではあるものの、遥が物憂げなのはそういった季節柄とは関係が無い。無駄に高い湿度の所為で髪の毛がいつもの三割増しでふわふわしている事や、衣替えから一ヶ月経過した今でも夏服の無防備感に馴染めない事も、今の遥にとっては些末な問題だ。

「カナちゃん、まだ悩んでる…よね?」

 登校して来たばかりの楓が自分の席に向かいざまそんな事を問い掛けて来たのは、遥を物憂げにさせている物が何で有るかを知っていたからだった。

「うん…、何か考えれば考える程わかんなくなってきて…」

 机に両肘を付いてそこに顔を預けていた遥がそのままの姿勢で溜息交じりに答えると、楓は困った顔で若干の苦笑を覗かせながら首を傾げさせる。

「そっかぁ…、ワタシもまた考えてみるねー」

 楓は協力を惜しまない事を告げて一旦自分の席へと向かってゆき、次にはそれと入れ替わる様にして相変わらず朝は眠たげな沙穂が登校して来るなりいつもの呆れ顔を見せた。

「カナぁ、早く決めないと当日になっちゃうわよー」

 沙穂も勿論、楓同様に遥が今現在抱えている「悩み事」について知っており、更にはそれに費やせる時間的猶予がもうさほど残っていない事を告げて来る。そして、沙穂はそれだけ言うとさっさと自分の席に着いていつも通り机に突っ伏してしまい、こうなるとHRの時間までまず滅多な事では起きる事が無い。

「むぅ…」

 煽るだけ煽って行ってしまった沙穂に遥が恨めしい視線を送っている間に、今度は部活の朝練習を終えたばかりの青羽が慌ただしく教室にやって来た。

「奏さん、おはよう!」

 右隣の席に着いてにこやかに挨拶を送って来る青羽は、頬滴る汗だから雨だか分からないその雫さえも爽やかで、朝から鬱々としている遥とは対照的である。

 そんな今朝も滅法爽やかな青羽を「危近リスト」の筆頭人物として定めている遥は、「おはよう」と一応の挨拶を返しはするものの、それ以上自分からは話しかけないのが通例だ。だが、それをお構いなしに青羽の方から話しかけて来るのもまた通例で、今朝も今朝とてそれに洩れる事が無かった。

「あれ? 奏さん、なんか元気ないけど、どうかしたの?」

 遥は過去殆どの場合青羽に元気の良い朝の挨拶など返した事は無い筈なのだが、悩みを抱えている今朝はそれが殊更顕著だった様だ。

「んー…、ちょっと考え事ぉ…」

 青羽の問い掛けにそっけなく答えた遥のそれは、「だからこれ以上話しかけてこないで」という暗黙の意思表示だった。がしかし、青羽は遥の様子がいつもと違う事には目聡く気付いておきながら、これに関しては察する事が出来なかった様でむしろ積極的になって身を乗り出して来る。

「もしかして何か悩み事? 俺でよかったら相談に乗るよ!」

 善意百パーセントといった感じで持ち前の良い人っぷりを如何なく発揮する青羽だが、単に放っておいて欲しい遥からすれば余計なお節介以外の何物でもない。何よりそうこうしている間にも、周囲の女子からは刺々しい視線が多数送られて来ており、ただでさえ憂鬱だった遥の気分はより一層だ。

「別にだいじょぶ…」

 遥がうんざりとした顔で愛想無く遠慮の言葉を告げると、流石の青羽も自分が煙たがられている事を悟った様で乗り出してきていた身体を引っ込める。

「そっか…」

 青羽が若干しょんぼりしてしまっているのとはともかく、これで周囲の女子達は無用な敵意を収めてくれる筈で遥も一安心、かと思いきや今回はそうならなかった。刺々しい女子達の視線はその多くが確かに解除されてはいたが、その中でもひときわ厳しい物が依然として遥に向けられたままで、あまつさえ次のような囁きが聞こえて来たのだ。

「何断っちゃってんの…、早見君が可哀そうじゃん…」

 囁きというには余りにも聞こえよがしだったそれは、過激派とでもいうべき熱烈な青羽ファンの女生徒が発した物だった。遥は殆ど喋った事のない相手だが、この女生徒は名を遠藤恵えんどうめぐみといい、クラス内における一番大きな女子グループの中心的人物だ。そんな遠藤恵の周りには今も数人の女生徒が固まっており、その一角から次々と遥に対する批判の囁きが漏れ聞こえて来る。

「早見君が相談に乗ってくれるって言ってるのにねぇー」

「大体、あの子いつも早見君に冷たすぎない?」

「言えてるー、ちょっと可愛いからってお高く留まってんのよー」

 等々と好き放題口撃してくる彼女達は、何故か今日に限って遥が青羽をそっけなくあしらった事がいたく気に入らなかった様だ。親しくすればそれはそれで敵意満点の視線を送って来るくせに、これは中々に理不尽な話である。

「えー…」

 遥は女の子特有の妬み嫉みの複雑さに心底うんざりとした気分になりながらも、その批判に圧される形で仕方なしに青羽の方へと向き直るより他無かった。

「えーっとぉ…」

 遥が一体全体どうするのが正解だったのだろうかという疑問を抱きながら声を掛けると、青羽はただでさえしょんぼりしてしまっていたその表情をより一層の物とする。

「何かごめん…、俺の所為で…迷惑かけちゃってる…よね…?」

 青羽にも遠藤恵達の囁きは当然耳に届いていた様で、大変申し訳なさそうに謝りを入れて来るが、それなら初めから自重して欲しかったと思うこと頻りの遥だ。

「でも俺、奏さんの力になりたくて…つい…」

 引き続き申し訳なさそうな顔で青羽がそんな申し開きをすれば、遠藤恵達は「早見君にそこまで言わせて…」「流石にこれは断れないっしょ」等と囁いて遥に対する遠巻きな圧を増して来る。

「か、カナちゃん…取りあえず早見君にも相談に乗ってもらおうよ…きっとそれがいいよ…」

 授業準備を終えて遥の席まで戻ってきた楓が怯えた様子で忠告して来たその通りに、遠藤恵達の留飲を下げるには取りあえずそうするしか無さそうではあった。そもそも遥が青羽にそっけなくしている理由はトラブルを避ける為なので、こうなってしまってはもうそれ以前だ。

「はぁ…それじゃぁ―」

 大きく溜息を付いた遥が仕方なく青羽に悩み事を打ち明けようとしたその時、HRの開始を予告するチャイムの音が校内に鳴り響く。

「あっ…、もうすぐHR始まっちゃうね…」

 遥はこれを好機と見なして、このままこの話が有耶無耶になってしまわないものかと淡い期待を抱いてみるが、勿論物事そうそう都合よくは運ばない。

「あっ、じゃあ、次の休み時間でいいから相談に乗らせてよ!」

 そう言われてしまっては遥としてもこれを断るのは至難で、これといった逃げ口上も特に思いつかず、そうこうしている間にもHRの開始を告げる本鈴が鳴ってしまった。

「よーし、出席とるぞー」

 時間厳守を常としている厳格な中邑教諭がチャイムとほぼ同時に姿を現すと、生徒達は慌ただしく自分たちの席へと戻ってゆき教室内の空気が一気に引き締まる。こうなっては遥ももう無駄口を聞いている場合では無く、青羽の申し出を断れなかった手前、次の休み時間になったら素直に悩み事を打ち明けるより他なさそうだった。


 そしてやって来た次の休み時間、青羽は先刻の宣言通りに一限目が終わるや否や、次の授業準備も早々に済ませて椅子ごと遥の方へと向き直って来る。

「それで、奏さんの悩み事って?」

 時間を有効活用する為に青羽が早速といった感じにズバリ話に切り込んでくると、まるでそれを待ち構えていたかのように突如教室内が一斉にシンと静まり返った。

 HR前に遠藤恵達が少々騒いでいた所為で、遥が何らかの悩み事を青羽に打ち明けるらしいという話が既にクラス中に伝播しており、一同その内容に興味津々だった様だ。

 遥は本人の自意識とは関係なく相変わらず「目立つ」存在では有るし、クラス内で接点のある者はごく限られている上、普段教室では自分の事を滅多に喋る事が無い。そんな遥のパーソナルな部分が垣間見えるかもしれない「悩み事」ともなれば、これは皆の関心を引いて然るべきなのだろう。勿論、中には我関せずといった者もちらほらとは居るが、彼らは元々総じて物静かな部類の生徒達であり、いずれにせよ教室内は休み時間中とは思えない程の静まり具合だった。

「えっと…場所、変える?」

 クラスメイトの大多数が聞き耳を立てているという異様な空気に気付いた青羽は場を改める事を提案して来るが、遥としては遠藤恵を筆頭とした過激派女子達の事を考えるとその選択肢はまずありえない。今ここで青羽と二人して逃げる様に教室から出てゆけば、それこそ遠藤恵達が黙っていない事は火を見るよりも明らかなのだ。

「大丈夫…、別に聞かれて困る内容じゃないから…」

 内容についてはともかく、本当の所を言えば、遥は多数の者に聞き身を立てられているこの状況に関しては余り大丈夫では無い。ただ、安心安全で平穏な高校生活を信条としている遥としては、一時注目される事よりもこれ以上遠藤恵達の顰蹙を買う様な危険を冒さない事の方が肝要だった。

「えっと…」

 面倒事は早く済ませるに越したことが無いと判断した遥が意を決して悩み事を打ち明けるべく口を開くと、静まり返った教室内から誰ともなく固唾を呑む音が聞こえて来る。そんな具合に教室内の空気は担任の中邑教諭が厳かにHRを執り行っている時以上の緊張感と、かつてない程の緊迫感に包まれていたが、ただそれも次の瞬間までだった。

「その…もうすぐ賢治の誕生日なんだけど」

 遥が悩み事の主題を述べたその途端、それまで在った緊張感と緊迫感は俄かに消え去って、その代わりに何とも言えない微妙な空気が教室内に漂い始める。

「何をプレゼントしようか悩んでて…」

 その悩みは確かにパーソナルな物には違い無かったが、クラスメイト達からすれば殆どのろけ話も同然だった為、一同は一気に興味を失って早々に解散ムードだ。遠藤恵ら過激派女子達までもがこれには毒気を抜かれた様子で、後はもう「勝手にして」と言わんばかりの呆れ顔である。

「えっ? それが…、奏さんの悩んでる事?」

 青羽としても思っていた内容とは違っていたらしく拍子抜けした面持ちで問い掛けて来るが、間違いなくこれこそ遥が近日中にどうしても解決しなければならない今一番の悩みだ。

「うん…」

 青羽に頷きを返した遥は、クラスメイト達が関心を無くしてくれた事にはほっとしつつも、本来の悩み自体は何ら解消されてはいないので深々とした溜息を付いた。

「賢治が好きな物は分かるんだけど…」

 遥は付き合いが長いだけにその趣味趣向を熟知しているので、単に賢治が欲しそうな物というだけならば幾らだって思い付きはする。だが、それでも遥がこうして頭を悩ませているのには勿論相応の理由が有った。それというのも、遥は今回、単に誕生日を祝うだけに留まらず、自分が「女の子」である事を賢治に印象付けられる様な何らかの物を贈りたいと考え、その為に今こうして頭を悩ませているのだ。

「カナぁ、早見に相談するだけ無駄よー、そいつには女心なんて分かんないからー」

 一限目を終えた今も尚眠たげ沙な穂が自分の席からそんな指摘を飛ばして来ると、青羽はこれにちょっとムッとした顔になって口を尖らせる。

「そりゃぁ、俺は女心とか分かんないけど! でも、男視点で何かアドバイスできるかもだろ!」

 自ら「女心」が分からない事を力強く肯定する青羽の言葉に、遠藤恵達が若干遠い目をしている辺り、彼女達には彼女達なりの気苦労が色々と有る様だ。

「男視点…かぁ…」

 遥としては自身が元々男の子だった関係上、「男視点」は既に十分間合っており、むしろ今知りたいのは青羽が「分からない」と断言した「女心」寄りの意見である。

「あっ、でも俺、姉貴いるし大丈夫だよ!」

 取ってつけた様な根拠に基づくその「大丈夫」は果たしてどこまで当てになるのかは分からないが、流石にそこまで言われては遥もこれを無下には出来ず、とりあえず青羽にも一応意見を求めて見る事にした。

「んー、じゃあ聞くけど、男の人が貰っても嬉しい女の子的な物って…どんな物だと思う?」

 普通の女の子ならば、物が何であれ単にプレゼントというだけでアピール効果は十分なのかもしれないが、なにせ遥は元男の子でありその上渡す相手が賢治である。二人の関係性や賢治の鈍感具合を考えると並大抵な物では効果が望めず、遥は今日まで沙穂や楓と共に三人で色々と案を出し合ってはいるものの、未だにこれといった物を見つけられていなかった。

「う、うーん、男が貰って嬉しい女の子的な物かぁ…」

 青羽はその漠然とした条件に困惑頻りと言った様子だったが、相談に乗ると宣言している手前匙を投げる訳にも行かなかったのか、しきりに首を捻って考えを巡らせる。

「えっと…、あっ…、て、手編みのマフラー…とか…?」

 青羽が少し考えてから上げたそれは、賢治が喜ぶかどうかは別として、定番ではあるし確かに女の子っぽさだけは十二分だ。がしかし、これは既に楓が随分前に提案済みであり、尚且つ諸々の事情があってその場で即座に却下されている物だった。

「今から編んでたら賢治の誕生日に間に合わないし…、大体これから夏だよ…?」

 言われてみればという感じで、青羽もそれが些か間抜けな提案だった事に気付き、再び首を捻って思案に入る。因みに、遥はお気に召さなかったが、この時遠藤恵を筆頭とした青羽ファンの女生徒達が編み物を勉強しようと密かに決意した事は若干の余談だ。

「カナちゃん、カナちゃん」

 青羽が考え込んでいる間に、それまで自分の机に噛り付いていた楓が遥の傍までやって来て、何やらルーズリーフを一枚差し出して来る。

「取りあえず授業中に思い付いた物書き出してみたよ」

 どうやら楓はHR前に約束してくれた通りに今までずっと、それこそ授業そっちのけでこの事を独自に考えてくれていた様だった。

「ありがとミナ、でも授業はちゃんと受けて…?」

 ルーズリーフを受け取った遥がお礼を述べつつも授業態度を嗜めると、楓はペロリと舌を出して「えへへ」と悪びれない笑顔を見せる。楓がこれでちゃんと授業を受けてくれるのかどうかは甚だ疑問が残るところだったが、遥も私事に付き合ってもらっている手前それ以上は強く言えずに、一先ずは受け取ったルーズリーフを有難く読ませてもらう事にした。

「えぇと…」

 最初の一行目にはアロマキャンドルという中々に女子っぽい物が提案されており、路線としては悪くないのでこれは中々に期待が持てそうだ。ただ、遥が次の行へと読み進めるその前に、校内に鳴り響いたチャイムの音が休み時間の終わりを告げて来た。

「あっ、次の授業はじまっちゃう! カナちゃん、また思い付いたら持って来るね!」

 チャイムを耳にした楓がそう言い残して自分の席に戻っていったので、確実に次の授業も上の空であろうことを確信した遥は思わずこれに苦笑である。

「俺も授業中に考えてみるよ…!」

 今回は一つしか提案できなかった青羽も椅子を戻しざまそんな事を言ってくると、遥は苦笑いを通り越して流石に頭を抱えそうになった。二人の気持ち自体は嬉しいのだが、楓と青羽が授業をおろそかにしたそのツケは、最終的に常日頃からその勉強を面倒見ている遥に回って来るので、これこそ正しく有難迷惑なのである。

 最悪、楓と青羽が今日の授業全般を上の空で過ごす事まで覚悟した遥は、賢治の誕生日プレゼントに関する事に加えて、間もなくやって来る期末テストに際する二人の勉強方針についても今から頭を悩ませる必要がありそうだった。

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