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3-54.憧憬と説得

 不規則に通り過ぎてゆく緩やかな振動、空間を満たす西側一面の窓から差し込むオレンジ色の光、そしてそこに居合わせる沢山の人々、遥は今そんな空間の中に居た。

 遥はつい三十分ほど前に解散となった合コンからの帰路に着いている所で、今身を置いている空間は詰まるところ、表街から地元へと向かう電車の中だ。

 気疲れから若干放心状態の遥は、ドア付近の手すりを支えに車輛の揺れをやり過ごしながら、どこを見るでもなく只ぼんやりと今日一日の事を思い返す。起こった出来事、出会った人々、共にいてくれた友人達、浮かんでは消えてゆくそれらの記憶は、まだ雑然とした状態で些か取り留めがない。

「今日はどうだったよ?」

 その問い掛けは、漫然と記憶の波に漂っていた遥をそこから強引にすくい上げるかの様に少しばかり唐突だった。それを投げ掛けて来たのは、電車に乗り込んだその時からずっと遥の目の前に立っていた淳也だ。

「うーん…」

 意識を引き戻され淳也を上目で見やった遥は、今日一日の出来事を改めて自分の意志でもって思い返しながら、それを何と総括したらいいだろうかと小首を傾げさせる。

「はいはい! あたしは結構楽しかったです!」

 遥が答えを探している間に淳也の質問に先立って答えたのは、帰路に着いている今も尚、誰かとは違って元気いっぱいといった感じの美乃梨だった。

「まー、みのりんはそうだろうなぁ」

 淳也が半ば呆れた様子でそれを肯定した理由は明白で、美乃梨が今日一日遥にベッタリだったことに加え、今も腕を絡めてピッタリとその横に寄り添っているからだ。

「こんなに遥ちゃんと一緒なの凄く久しぶりだったから今日は大満足!」

 そうは言いつつも、遥を自分の元へ引き寄せて密着度を高めて来るあたり、美乃梨の満足度は完全に満たされているという訳では無いらしい。

「美乃梨、近いよ…」

 流石に遥が顔をしかめて苦言を呈すると、美乃梨は「えへへっ」と悪びれない笑顔を見せて密着度を改めはするが、絡めた腕その物を放してくれる事はなかった。

「遥と一緒が久しぶりって、高校ではそうでもねぇの?」

 淳也が少し意外そうな顔をしてそんな疑問を口にしたのは、今正しく目の前で繰り広げられている様な遥にベッタリの美乃梨しか見た事が無いからだろう。

「クラス違うし学校ではあんまりかなぁ」

 遥が当初の質問に対する答え探しを中断して淳也の疑問に応えると、美乃梨もそれに同調する様に横でうんうんと頷きを見せた。

「遥ちゃんと一緒のクラスになれなかったのはあたしの高校生活最大の難点だよぉ」

 美乃梨はその分の補填だとでも言わんばかりに性懲りも無く再び密着度を高めて来るので、抗議するだけ無駄だと悟った遥は小さく溜息を付くばかりである。

「みのりんなら休み時間の度に遥んとこ行きそうなもんだけどなぁ」

 それは確かに美乃梨ならばやりかねない事ではあるが、意外にも今までそんな事は殆ど無く、学校内で顔を合わせるのは偶然廊下で会うか、後はニクラス合同で行われる体育の時位だ。

「そういえば来ないね?」

 言われてみればと言った感じでそれを不思議に思った遥が上目で尋ねると、美乃梨はそれまでの溌溂とした笑顔から一転して少しばかり困った顔になる。

「行きたいのはやまやまなんだけどぉ…、遥ちゃんのクラスってアイツがいるでしょ?」

 一クラスは三十人以上いるので「アイツ」と言われても普通ならば特定は難しいが、遥には一人だけ心当たりがあった。

「もしかして、早見君の事…?」

 遥の心当たりはどうやら正解だった様で、美乃梨は上げられたその名前にうんざりした顔になって珍しく溜息を洩らす。

「そー、アイツと関わるとろくなことないんだもん…」

 美乃梨の発言には妙な実感がこもっており、しきりに青羽は駄目だと忠告していた事を考えると過去に何らかの浅からぬ因縁があった様だ。普段青羽と接する度に周囲の女子から刺々しい視線を浴びせられている遥は、それがどんな類の物だったか何となくだが想像できなくも無い。

「ボクも気を付けよ…」

 ただそうは言っても、青羽は隣の席なの上に向こうからやけに話しかけて来るので実際には余り気を付けようも無い。

「JKもなんか色々あって大変そうだけど、それはそれとして、結局遥は今回の合コンどうだったんだ?」

 知らない人物の話題になって話に入ってこれなかった淳也は、適当なまとめと共に少々強引に軌道修正を掛けて来た。ただ、他の話題に気を取られていた遥は、記憶の精査が一向に捗っておらず、答えも未だ定まってはいない為これにはまた考え込んでしまう。

「うーん、そうだなぁ…」

 ボウリングでの残念ショットや、カラオケ勝負での満点敗北など散々だった事なら直ぐに思い付きはするのだが、遥は出来ることなら前向きな方向で感想を告げたかった。

 望む望まざるは別として、淳也が今日の合コンにかなり入れ込んでいた事は遥も認める処なので、友人としてわざわざそれに水を差すような事は言いたくなかったのだ。

「あっ…ミナに趣味の合う友達ができて良かった…かなぁ?」

 考えた末に遥が何とか思い付いた前向きな感想は、すっかり葛西智一と意気投合していた楓の事だった。普段遥や沙穂では楓のアニメトークに曖昧な反応を返すばかりなので、それを心置きなく語らい共感できる相手が出来た事は間違いなく喜ばしい事だろう。

 意気投合するあまり、合コンが終わるや否や二人が連れ立ってアニメトイへと行ってしまった事は少々の気掛かりではあるが、幸い沙穂と、ついでに鈴村祐樹も付いて行っているので多分大丈夫な筈だ。因みに遥が付いて行かなかったのは、単純に付き合えるだけの余力が無かったからである。

「あー…、あの二人すげぇよなぁ…」

 淳也も楓と葛西智一の盛り上がりには思う所があるらしく、それまで掴まっていた吊革に手首を預けて何やら脱力だ。ただ、淳也は一旦共感しておきながらも、遥の感想としては納得がいかなかったらしく、再度の質問を投げ掛けて来る。

「じゃなくって、お前自身はどうだったんだって話よ」

 遥自身としては元々今回の合コンに乗り気でなかった上、内容的に見てもやはり散々だった出来事の方が多いので、そう限定されてしまうとこれは中々答え難い。

「うーん…そういわれても…あ、伊澤さんがかっこよかった…とか…?」

 その感想は答えに窮した遥が咄嗟の思い付きで口にした殆ど苦し紛れでしかなかったのだがしかし、これに過剰なまでの反応を見せたのが美乃梨だった。

「遥ちゃん、あんな人駄目だよ!」

 伊澤仁を「あんな人」呼ばわりした美乃梨は、他の乗客もいる電車内である事などお構いなしといった感じで急に声を荒げさせる。

「あの人のせいで、遥ちゃんのコスプレ写真が見れなかったんだよ!」

 声高らかにかなり個人的な憤りを爆発させた美乃梨に周囲からは一瞬の注目が集まり、その内容が内容だっただけにこれに慌てたのが遥だ。

「ちょっ、美乃梨何言ってるの…! 声大きいし…!」

 遥が周囲には聞こえない様に声を潜めて嗜めると、美乃梨も我に返った様子で声のトーンを落としはするが、それでも伊澤仁に対する憤り自体は止まるところが無かった。

「もうっ! 何であの人が89点とか訳分かんない点数出すの…!」

 遥の歌に100点満点をつけた採点機能なので、そういう意味では訳が分からない点数かもしれないが、伊澤仁の場合はそれなりに歌唱力と釣り合っていた点数だ。ただし美乃梨が憤っているのはそういう事では無く、伊澤仁が一桁台の数字のみで勝負するという変則ルールにおける最高点を叩き出してそのままカラオケ勝負に優勝したからである。

「あの人、優勝しておきながら遥ちゃんの隣に座りたくないとか言うし…! 座られてもそれはそれで嫌だけど…!」

 こうなって来ると最早美乃梨が何に憤っているのか遥にはさっぱりだが、伊澤仁が勝利者の権利を辞退した事は事実だった。尤も美乃梨の言い方には語弊があって、伊澤仁がそれを辞退した理由は、本来の趣旨とは違う目的で合コンに参加している都合上それを遠慮したという方が正しい。決して遥の隣に座るのが嫌だったからという訳では多分、恐らく、無い、筈だ。

「その上あの人、遥ちゃんの写真もいらないとか…、ふざけてる…!」

 また若干声のトーンが戻りつつある美乃梨が憤慨する通り、優勝者である伊澤仁が辞退したのは遥の隣に座る権利ばかりでは無く、副賞となっていた例の写真についても同様だった。そして、得る者が居なくなったそれらの賞品が最終的にどうなったかというと、隣の席はその時々で入れ替わり立ち代わりと言った感じで、そして写真に関してはそれこそが美乃梨の憤っている最大の要因だろう。

「何より許せないのは、あの人が遥ちゃんの写真を淳也さんに消させたことです!」

 そう、伊澤仁は遥が余りにも意気消沈していた事を気の毒に思ったのか、なんとその写真を消去する様淳也に頼んでくれていたのだ。遥にとっては神が降臨したにも等しかったファインプレーだが、写真を喉から手が出る程欲していた美乃梨からすればこれは当然面白くない。

「淳也さん、本当に写真消しちゃったんですか…!? 消すふりだけして本当は残ってたりしませんか…!?」

 どうしても写真を諦められないらしい美乃梨がそんな事を言い出すと、遥もつい淳也ならばやりかねないと疑心に駆られて些か心配になって来る。淳也は伊澤仁に頼まれたその場でスマホを操作してそれを実行してはいたが、よくよく考えると遥は横目でそれを見ていただけで画面までは確認していなかったのだ。

「ちゃんと消した…よね?」

 美乃梨のすがる様な眼差しと遥の疑心暗鬼な眼差しをそれぞれ向けられた淳也は、溜息を一つついてズボンのポケットから取り出したスマホを二人に掲げ見せた。

「流石の俺も世話になってるジンさんからの頼みじゃ断れないって…」

 淳也は件の写真がどこにも残っていない事を証明すべく、スマホの画面に表示させたフォトライブラリを親指で上から下までざっとスクロールさせる。ただ、スポーツで鍛えられている美乃梨の動体視力ならいざ知らず、遥ではそれを目で追えるはずも無い。

「もっとゆっくり見せて」

 遥が少しばかり頬を膨らませながらリテイクを掛けると、淳也はあからさまに面倒くさそうな顔になってまた溜息を付く。

「ほら、自分で気が済むまで確かめろよ」

 確かにそれが一番確実ではあるが、遥は一方で手すりに掴まり、もう一方は依然として美乃梨に持っていかれているので、左右両方の手が塞がっている状態だ。

「むぅ…」

 淳也の不親切に殊更頬を膨らませた遥は、どうするか少し考えてから美乃梨を説得する手間を惜しんで一旦手すりを放す事にした。

「っと…」

 遥は車両の揺れによってぶれる手先で若干苦戦しながらも、本当に例の写真が残っていないのかを確かめてゆく。淳也のフォトライブラリには遥の写真が何枚か散見してはいたが、それらはいつかの誕生日会で不意に撮られた物や、髪を切ってもらった際に淳也が自身の記録用として撮影した物だ。後は淳也の個人的な写真と、専門学校やバイト先の美容室で撮影したと思しきカットマネキンを様々な角度から収めた物があるばかりで、例の写真は確かに見当たらない。

「…よかった、ちゃんと消されてる」

 遥は写真が間違いなく存在していない事にほっと胸を撫で下ろして、横でそれを見ていた美乃梨の方はあからさまな落胆を露わにする。

「遥ちゃんの貴重なコスプレ写真がこの世から消えちゃったよぉ…」

 厳密に言うとオリジナルは賢治のスマホにまだ存在している筈なのでこの世からは消え去っていないが、少なくとももう淳也に悪用される心配だけはなさそうだ。

「な? ちゃんと消えてただろ? バックアップとかも取ってないから安心しろ」

 これ以上追及されては面倒だと思ったのか、淳也はスマホをポケットに戻しながら例の写真がもう自分の管理下には一切存在していない事を申告して来る。淳也は言葉巧みに誤魔化したりはぐらかしたりすることは有っても酷い嘘は言わない性格なので、遥はこれを素直に信じてようやく本当に一安心だ。

「遥、お前ジンさんに感謝しろよ?」

 言われずとも遥は既にこれ以上ないくらい伊澤仁に感謝の念を抱いており、実際にそれを本人に対して言葉や態度で伝える事も怠ってはいない。

「うん、ちゃんと―」

 遥がそれを淳也に伝えようとしたその時、車両が今までよりも大きく揺れて車内に一瞬のざわめきが走る。大抵の乗客は直ぐに体勢を立て直して何事も無かったようになったが、そうはいかなかったのが遥だ。遥はただでさえ体幹が弱い上に、今は淳也のスマホを操作する為に手すりを放していたところである。加えて言えば、美乃梨が意気消沈の余り絡める腕の力を弱めていた事も災いした。

「わっ…とっ」

 バランスを崩した遥の身体は前方へ大きく泳ぎ、踏ん張ろうと試みるも間もなくそのまま力が働いた方へと向って倒れ込んでゆく。

「あっ、遥ちゃん…!」

「おっと…」

 美乃梨が自分の腕の中からすっぽ抜けて行ったその手を咄嗟に掴んだのと、淳也が自分の方へと飛び込んできたその小さな肩を両手で受け止めたのがほぼ同時だった。

「あっ…二人ともありがと…」

 二人がフォローしてくれたおかげで事なきを得た遥は、お礼を述べつつ元の位置へと戻ろうとしたが、何故か淳也が掴んだその肩を放そうとはしない。

「もうへーきだよ?」

 遥が上目で既に体勢を取り戻せている事を申告すると、淳也はそこでようやく手を放して何やら苦笑する。

「お前…細くなったなぁ」

 淳也が感慨深げにぽつりと洩らしその呟きは、殆ど誰にも聞こえない様な小さな物で、実際に遥の耳にもそれは届いていなかった。

「あっ、そうだ」

 淳也の感慨等預かり知らぬ遥は元の位置に戻って、再び美乃梨に腕を抱き込まれながらも、何か思い出した様子で能天気な笑顔を見せる。

「伊澤さんもボクが転びそうになった時、助けてくれたんだよね」

 遥が思い出していたのは、ボウリングの際に伊澤仁が今し方淳也がしてくれたように、倒れかけた処を受け止めてくれた事だった。

「写真の事もそうだけど、伊澤さんには色々お世話になった気がするから、さっき言った事が案外、本当に今日一番の感想だったのかも」

 遥が突然話題を元に戻した為、質問していた当人である筈の淳也は一瞬それが何の事か分からなかった様で眉を潜めさせる。

「さっきのって…もしかしてジンさんがカッコよかったってアレか…?」

 淳也が少し考えてから思い当たった事を尋ねて来ると、遥は無邪気な笑顔でそれが正解である事を認めて頷いた。

「うん、伊澤さんかっこよかった! 真面目で優しいし、ボウリングも凄かったし、あと歌も上手だったよね!」

 瞳を輝かせながら伊澤仁を賞賛する遥のそれは、あくまでも男の子的な価値観に依る、将来あんな大人になりたいという憧憬の念から来るものだ。がしかし、伊澤仁に対する好感を語った遥の表情が余りにも「女の子」だった為に、淳也と美乃梨はこれに少しばかりギョッとなっていた。

「お前…、マジかよ…」

「は、遥ちゃん!?」

 共に信じられないと言った口ぶりの二人はこの時、遥が遂に賢治以外の男にも興味を持つようになったのかと、そんな大いなる勘違いを生じさせていたのである。

「うーん…、ジンさんかぁ…ちょっとお勧めできないっつうか…ジンさんにお勧めできないっつうか…」

 淳也は沙穂だけに語った裏の目的を考えれば、本来ならここで遥の成長を喜ぶべきなのだろうが、ピンポイントで伊澤仁が相手となるとこれは話が違ってくるようだ。

「うぅ…遥ちゃん…あんな人だめだってばぁ…」

 対して、美乃梨の方はもっとシンプルで、先程憤っていた通り単に伊澤仁が受け入れがたいだけの話である。ただ二人が何と言おうとも、遥の結論は変わらず伊澤仁に対する評価も勿論こんな事で覆ったりはしない。そもそも遥が論じているのは、今回の合コンで一番良かった事というテーマであり、二人とは完全に話が食い違っているので当たり前だ。

「伊澤さんはだめじゃないよ! カッコいいし凄く良い人だよ!」

 何やら否定された事で遥がちょっとムキになって伊澤仁の良さを力説すると、淳也は益々困った顔になって、美乃梨の方は思い直す様にと腕にすがり付いてくる。

「遥、できればジンさん以外にしてくれ…」

「遥ちゃん良く考えて? あの人なんか暗いし猫背だよ?」

 どさくさに紛れて美乃梨が少々酷い事を言っているのはともかくとして、遥は一体何故そこまで二人が否定的なのかが分からずに唯々困惑するばかりだ。

「むぅ…伊澤さんは…カッコいいもん…」

 それでも主張を曲げなかった遥は、その後も電車が地元の駅に辿り着くまで淳也と美乃梨に説得され続けたのだが、結局最後まで結論を変えずに、結果として二人に一層の誤解を与え返し続けたのだった。

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