8.
がたがたと、物音がする。
…誰か、いる――?
頬に冷たい机の感触。何やっていたんだっけ…。むにゃむにゃと寝ぼけつつ、なかなか力が入らない目を微かに開けようとする。
「んっ!いいいっ…!!」
その時、えも言えない激痛が走った。目を開けようとすると、まるで猛毒でも浴びたかのようにヒリヒリと焼き付き、目が外気に触れるだけで突き刺さるように沁みる。眼球の皮が剥がれ落ち、そこに容赦なく毒を塗ったナイフで切り裂かれているような、そんな感覚。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いっっっっ!!!
「うああああああああああっっ、……ああああ、ああああああああ!!!」
キリアは椅子から崩れ落ちるように倒れ込み、両手で目を覆う。床にうずくまり、肩でぜえぜえと呼吸をする。全身から気持ちの悪い汗が吹き出し、一気に身体が消耗していく。
「―――――、―――っ…!?」
遠くから声がするような気がする。しかしそれどころではない。痛い、痛い目が痛い。誰か助けて…。
「目が痛いんですね、開けられそうにないんですね!?」
気付いた時には誰かに抱え込まれているような体勢になっていた。
そう、痛い、とてつもなく痛い。こくこくと首をふり、誰だか知らないが意思を伝えた。ギリギリと爪が食い込みそうなほど目をおさえる。
「分かりました。」
何かぶつぶつと呟く声がする。すると若干目の痛みが和らいでいく。と同時にやっと他の意識も覚醒していった。キリアは予想以上にぐったりした身体に驚く。
「…落ち着いてきましたか?」
「…、はぁはぁ…、た、たぶん…。」
そこで初めて声をかけてくれた人が男ということに気づく。
学校の先生、か…?いや、こんな声をした教授はいない。じゃあ、生徒…?
「少し横になってた方がいい。動けそう、にはないね。目は開けられそうですか?」
「…無理っぽい、です。」
「そう。なら僕もしばらくここにいるか。」
「…いえ結構です…。私、自分で保健室、行くので…。」
目は開けられそうにない。だが多少使えなくとも感覚で行ける。多分。
キリアは何でもいいから早くここから立ち去りたかった。誰かも分からない、通りすがりの男子生徒に抱え込まれているような状況をどうにか逃げ出したかった。
「いや、無理だろうそれは。」
「…いえ、この体勢のほうが、無理、ですから。」
「ああ、ごめん。それは正論だね。」
そういうと彼はキリアを傍にあった机に、もたれかけさせた。
相変わらずだるいキリアの身体はされるがまま。どうにも恥ずかしく、目を覆いながら顔を隠した。
「横になっていたほうが断然良いとは思うんだが、これでいいかい。」
「…どうも、ありがとうございます。」
横になったほうがいいから保健室に行きたいんだが…。行けるかどうかは、置いといて。
「それで、きみはこんな時間まで何してたの?」
「それは…。」
キリアの状態が落ち着いたのを見計らったのか。さっきの声とはややキツイ口調だった。
「今度の合同演習のために、魔法薬の練習で。」
「合同演習…?きみ、どこのクラスなの?」
「Aです。」
「へえ、そうなんだ。でもこの机の上の材料を見た感じ、魔法薬って感じはしないけど。」
「…それは、友達から出された課題です。私、魔法薬が大の苦手なので。」
「ふうん。で、何作っていたの?」
「メモリアルストーンですけど。」
「なるほど。」
なんだろう。なんだか事情聴取されているような感じがする。
するとキリアの目が見えないことを良いことに、彼が立ち上がる気配を感じた。それはさっきまでキリアがいた作業台の方に向かっていく。
「待って。」
「どうかしましたか?」
「今、何してるの?まだ作りかけだから無暗に触らないで。」
「ああ、そうなんですか。何となくどんなものか見たくなって。気に触れたのならすみません。」
彼は心からそう思っているのかどうなのかよく分からない抑揚で丁寧に謝る。こちらに戻ってくる気配を感じ、ホッとするが、キリアは何となく落ち着かなかった。
謎の目の痛みを救ってくれた恩人でもあるが、同時に不自然さを感じる。これはなんだろうか。今、自分の目が見えないから過剰に反応しているんだろうか。だがそういった直感は自身でも結構信頼している。故郷にいた頃も、感知能力は良かった。
「あなたはだれですか?Aクラスじゃありませんよね。うちのクラスにあなたみたいな人、いないはずだし。ここ、Aクラス専用の調合室です。」
決してきつく言わずに、事実を淡々と述べた。
「僕の名前聞いて、どうするんですか?教師に突き出します?」
彼がしゃがみ込む気配がする。微かに顔に吐息を感じる。顔が、近い。キリアはぎゅっと手を握りしめ、必死で顔を隠す。
「いいえ、しない。多分あなたがいなかったら、私ここで瀕死状態だったでしょうし。」
「そうですか。ほっとしたよ。」
「だから、教えて。」
「なら先にあなたの顔を見せてください。」
さらに顔が近くなった。キリアの手に彼の手がかかる。
「嫌です。まだ目が痛いので。」
「なら僕も教えない。お互いさまです。」
キリアは口をもごもごと動かすものの、それが声になることはなかった。綺麗に振り切られた。
「しかし、冗談はなしでその目の痛みは心配ですね。何かの病気ですか?」
「いえ…。そんなのではなく。」
キリアにも分からない。こんなのは初めてのことだった。目がこれほど痛くなるなんて今までなかった。
黙ったまま、何も言わないキリアを見かねたのか、彼はそっと立ち上がった。
「な、何をする気ですか?」
「その目に効き目がありそうな鎮静剤。さっきの僕の魔法で効いたみたいだから、似たものを作ってあげるよ。」
そういうと、彼は調合室の大戸棚に向かい、カチャカチャと薬草を選り分け始めた。
「べ、別にそこま、で…っ!!」
反射的にキリアは立ち上がった。顔を覆っていた手も取っ払い、勢いよく立ち上がる。
しかし、それが彼の方へに向けられることはなかった。
「なんだ、もうそこまで元気なんじゃないですか。もしかして、今までのは全て演技、なんて言いま…。」
「触らないで…っ!!」
近寄った彼が伸ばす手を乱暴に振り払い、片方の手は前よりも必死に顔を隠した。
「…いったい突然…どうしてですか。」
「いいから、見るなっ…。何も見るな!!」
キリアは声を荒げ、大きく怒鳴った。その声には怯えと恐怖が入り混じっている。
「待って下さい。どう考えても、きみ…」
彼はもう一度キリアの手を取ろうとするものの、さっきよりも手ひどく手を振り払われる。
そして逃げるように調合室を出ると、パタパタと廊下を駆けていった。
残された彼は出て行ったキリアを見たあと、振り払われた自分の手をじっと見つめた。