はじまらない物語
高校生になった。
地元から遠く離れた学校に進学したのは、同級生から逃れたかったからだ。
いや、本当のことを言えば、過去の自分と決別するためだ。
中学時代、おれは授業中は寝ていた。
目が覚めているときは、本を読んでいた。
同級生との会話はない。
家を出て、教室に入り、寝て、弁当を食べて、本を読み、家に帰る。
たまに仮病で休んだが、家に居づらいので、図書館で時間を潰した。
石の上にも三年━━三年間続けて、悟った。
……うん、つらい。
新世界。
おれを知るものは、この学校には誰もいない。
新しい学校で、みんなだって、人間関係もイチからスタートする。
張り出されたクラス分けの表を見上げながら、自分の名前を探した。
━━遠見はじめ。
ない。
探したが、ない。
隣で女子ふたりがお互いに挨拶をしているが、そんなものにはかまっていられない。
名前が、ない。
見当たらない。
━━まさか、かつての自分の存在の薄さが、この新しい世界にまで影響を及ぼしているのか!?
死にそうだ。
6クラスぶんの名前を、もう一度、見返してみる。
た行を捜す。
田沢、田所、田中、田辺、田畑━━田、ばっかりじゃねえか。
千葉。対馬、遠野。
遠見……あった。
「あった、あったよ、名前あった! あっぶねー俺の名前ねーのかと思った!!」
おれの言葉ではない。
隣を見ると、目つきは悪いが元気そうな男子生徒が、ほっとした表情で、大きな声で叫んでいた。
「あはは、よかったじゃない」
優しげな女子生徒が、にこにこと笑っていた。
「おーありがとう、ところで誰?」
「あんたこそ誰よ」
「いやいや、名前のない男です」
「あはは、あたし2クラス。そっちは?」
「おお、俺も2クラス」
そういいながら、ふたりは校舎に入っていった。
「あ、おれも名前あった……」
小さく呟いた━━しかし誰も声をかけてくれない。
周囲に誰もいなかった。
先ほどの男子生徒に「おれの名前もないんだよね」なんてフランクに声をかけなかったことを、死ぬほど悔やんだ。
……次は、自分から声をかけよう。
心に誓って、そしてすぐに忘れた。嫌な記憶は、なるべくはやく忘れるに限る。
クラスは2組だった。
教室に入ると、数人が居場所なさげな表情で、席に座っている。
机に突っ伏しているやつもいれば、妙に姿勢のいいやつもいるし、携帯電話で話しているやつもいれば、ゲームで遊んでいるやつもいた。
まだ、人数は少ない。
黒板を見上げると、出席番号にあわせて席が指定されていた。
なぜかおれの席は、先に教室に居る連中から、遠く離れた場所にある。
隣とまでは言わないが、席が近ければ会話もできるであろう。
「おはよう、これからよろしくね」
と爽やかな感じでもいいし、
「おはようございます」
みたいに真面目な挨拶でもいいし、
「ども」
という無愛想でもいいし、
「我輩は~」
なんて、あえて頭のおかしいキャラを演出してもいいのだ。
だがしかし。
残念なことに、おれの指定席は、教室にいるみんなから離れていた。
3mも離れた場所から声をかけたら、それはもう変人である。
逆に、むこうが声をかけてきたら━━いや、それはアリだな。
例えば、後頭部しか見えないけど、机に突っ伏しているあの男子生徒が、顔だけ起こして、こちらを振り返る。
そして台詞が「なんだよ、まだ人少ないのかよ」だったと仮定する。
「あーまだ早いからね。もう少ししたら、みんな集まるんじゃない?」
そんな台詞が返せるのである、
うん、おれからは言わないけど。
だって、周囲が無言だったらつらすぎるから。
そのかわりに、おれはある手段を取る。
背筋を曲げる。
肘を机につく。
左右の腕を組む。
顎を引く。
左右どちらでもいいので、横を見る。
そして━━身体を脱力させる。
こうして、おれの最終奥義が完成した。
目が覚めると、嫌な予感がした。
教室には、誰も残っていない。
世界に、おれひとりが取り残されていた。
完全に隔離された世界。
これからおれは、孤独と戦わねばならない。
かわりに超能力に目覚めていて、身体能力も上がっており、顔も良くなった━━なんてことはない。
時計はきちんと動いており、針は9:10を示している。
季節は春だが、まだまだ寒い。
太陽の光は窓から差し込んでいるが、まだまだ弱かった。
逆に、おれの心臓は激しく鼓動する。
全身から、脂汗が流れ落ちた。
……やべえ、寝過ごした。
今頃、体育館ではなんらかの式典をしているはずで、みんなはそれに出席しているはずで、おれはこうして教室にいる。
……高校生活、詰みました。
思い返せば、あれは中学二年のとき。
おれは1限の社会を睡眠学習で乗り切って、そのまま2限前の休憩時間に自動突入していた。
2限目は、体育である。
体育は2クラス合同で、男女に分かれる。
男子が奇数クラスの教室で着替え、女子が偶数クラスの教室で着替える。
ありきたりなはなしだが━━しかしおれは、偶数クラスに在籍していた。
なんと、体育前の休憩時間に、おれは女子が着替えるはずの教室で、寝ていたのである。
誰も起こしてくれなかった。
幸か不幸か、寝ているおれにも、なんとなく周囲の異変を悟ることができたのである、
目覚めると、女子が着替えをしていた。
多感な思春期に、その出来事は、ピュアボーイの心を撃ち砕いた。
以来、おれは心を閉ざしてしまったのである。
とりあえず、教室から出ようとしたら、なぜかロックが掛かっていた。
外にだして、おねがいだから。
窓から廊下に身を乗り出したあたりで、おれはあることに気づいた。
━━ドアロック、手動で外せたんじゃねえの?
しかしもう遅い。大脱出は現在進行形である。
それどころか監禁教室からの脱出はもう済んでおり、これから無人校舎から抜け出て、いかに周囲に気取られずに体育館に忍び込むか、という場面に展開は差し掛かっていた。
「あ」
背後で、そんな声がした。
━━やばい。
後ろを振り返ると、なぜか女子生徒が、さきほどのおれと同じように、窓から廊下に出ようとしていた。
……落ち着け、おれ。
恐らくだが、彼女もおれと同じように、教室に監禁されたクチだろう。
おれと同じように寝過ごしたのでなければ、遅刻である。
どっちも一緒か。
ここでお互いに状況を確認しあって「さて、これからふたり、体育館に忍び込みますか」なんて言えたら、ベストである。
「あー」
くるりと振り返ると、もう誰もいなかった。
異変が周囲を巻き込みつつ、大きく変わりつつあった。
体育館で式典をしているであろう教員連中が、なぜか校舎の内外をうろつきだしたのである。
時間は9:25。
まだ式典は終わらないはずである。
防犯のための校内巡回というには、妙に人数が多いし、殺気立っている気がする。
トイレに隠れて「腹が痛かったので、外に出られませんでした」という策を実行しかけたのだが、先に教員がトイレ内を見回っており、おれはもう逃げ場を失っていた。
そしておれはついに、捕まった。
生徒指導室に連れ去られて、おれは状況を説明させられた。
「式典に参加していない生徒が、校舎内をウロついている」
という情報を教員にリークしたのは、どうやら遅刻したあの女子生徒らしいことが、あとでわかった。
「確かに、先生たちも悪かった。生徒の自主性を重んじるあまり、各自個別に式典に出席するようにした。しかしだな、教室のドアをロックする際には、確実に声をかけたんだ、残っている奴はいないか、と」
「おまえは式に出れずに、大勢の教師に捜されるようなことをした。事情を聴けば悪いことではないが、事情を知らないものは誤解する。それはおまえの人生において損だ。そしてそれは一生、付きまとうぞ」
「生活は積み重ねだ、勉強しかり、運動しかり、友達しかり、すべて積み重ねによってできている、ひとつ歯車が狂えば、すべてが狂う。おまえが今日の遅れを取り戻す間に、他のクラスメイトは一歩先に進むだろう。その一歩をおまえが取り戻す間に、他のクラスメイトはまた一歩、先に進んでいるはずだ」
「わかるか……ええと……遠見」
名前を呼ばれて、おれは意識を取り戻し「はい」と小さく頷いた。
ぜんぜんわかりません。
「わかるならいい」
たぶん先生も面倒くさいのだろう。呆気なく、帰ってよし、となった。
おれは鞄を取りに教室に戻って━━ドアはロックされていた。
他の生徒はもう帰ったらしい。
どうやら確かに、おれは遅れているようだった。
家に着いた。
両親は仕事で帰りが遅い。
可愛い妹が「お兄ちゃん」と呼んでくれたりもしない。
飼い犬がいるけど、こっちに見向きもしない。あと散歩も行かない。かわりにおれのフィギュアを噛み砕く。
なんだろう、この閉塞感。
アクティブになろうと頑張ったから、その反動かもしれない。
明日は頑張らないでおこう。
心に誓って、すぐに忘れた。
嫌な記憶は、忘れたほうがいい。
翌日、おれはちょっとした人気者になっていた。
式典に出れなかった有名人として、クラスのみんなから事情を説明させられたのである。
壮大に脚色して、教師と生徒の鬼ごっこストーリーを、迫真の演技と身振り手振りで表現した。
皆、好意的に接してくれて、ちょっと泣きそうだった。
……これが現実か妄想か、区別がつかないのである。
読む人がいたら、次も書きます。
すれ違った少女との、ひたすら噛み合わない交流。
入学してクラスの人気者になったけど、すぐに没落して、冴えない日常を送る。
トモダチできたよ、みんな暗いし馬鹿だけど。
なんてネタがいくつかあります。