知らないから、恋となる
バスとすれ違ったら思いついたものなので、もしかしたら矛盾などあるかもしれません……
会社に向かうバスの中、朝の日差しが車内を照らす。 窓側に座る私、外をぼんやり眺めてる。 生まれ育った町の、変わらない風景。 田舎育ちは都会に憧れるものだ、なんて言うけど私はここから出ようとは思わない。 のどかで平和、変わらないけどそれが嬉しかったりするんだ。
次、止まります。
機械的なアナウンスが、ぼんやりした私の脳を叩き起こす。 誰か分からないけれど、私の代わりにボタンを押してくれてありがとうございました。 なんて、心の中で感謝した。
次のバス停が見えてきた。 車内の何人かは立ち上がり、運転席の方へと移動して行く。でも私はまだ座ったまま、窓の外を見ていた。
バス停には人がいる。 学生、お年寄り、強面の作業服の人…… その中で、私が視点を合わせるのは一人だけ。
その人は、スーツ姿。 恐らく歳は下かな? 20代前半くらいに見える。 周りの人より頭一つほど背が高いので、見つけやすい。
私は三ヶ月くらい前から、彼を見ている。 かっこいいな、と思ったのがきっかけ。 でも最近は見ることが当たり前になったから見る、という感じだ。
話したことはない、名前も知らない、年齢もただの推測。 誰かも分からない人に、私は惹かれているみたいなんだ。 だから今日こそ、今日こそは! と念じてギリギリまで席に居座って見るんだけど……
バスが停車し、前後の扉が開く。 後ろから乗車し、前からは降りて行く。 私は当然…… 停まった以上前へと行かなきゃならないんだ。 あ、間違えちゃいました、なんて後ろにヅカヅカ歩いて行けるほどお茶目が可愛く見える歳でもないし第一私は可愛い部類ではない。 はぁ、と自然とため息をつき、私は運転席の方へ歩いて行く。
横目でチラッと彼を見る。 ぼんやりした表情で、私がいた席に座り外を見ていた。 あ、おんなじだ…… なんて、それだけで今日も頑張れる気がしてくる。
§
今日は遅くなってしまった。 いつもより一時間ほど遅い。 まぁ独り身の私にはこの程度の時間のロスは大して痛くはない。 見たかったドラマはDVDが出たら見よう、それか再放送したら見よう。 私はそんなこと考えてバス停に向かった。
夜も肌寒く感じる季節になってきた。 私は腕をさすりながら、遠くに見えたバスが来るのを眺めていた。 一時間ほどしか変わらないのに、今バス停にいるのは私だけだ。 なんだか寂しいな、なんて考える私を、バスのライトが照らす。
目の前にバスが止まる。 真っ先に、私は運転席側の扉の方を見た。 ……やっぱりいない。 朝は毎日見かけるけど、夜は一度も会ったことがない。 仕事の終わる時間が違うんだろうな。そんな風に考えてみても、やはり残念には思ってしまう。 私はトボトボとバスへと乗り込んだ。
車内には二、三人の人。 とりあえずいつもの窓際の席…… そう思って見てみれば、誰かがすでに座っている。 また残念、と思いながら前の方へと歩いて行く。 いつもの席を通り過ぎる時、私は横目でその人を見て、立ち止まった。
彼だった。 スーツ姿なので仕事帰りなのは間違いないだろう。 なんでこんな時間に…… 私と同じで残業だったのだろうか。
そんなことより、寝顔がとても可愛い。 許されるなら、一枚写真を撮りたいくらいだ。 これは、先程の残念では割に合わないくらいの幸福だ。
小さな寝息が聞こえる。 疲れているのだろう、起きる気配は無い。 そこで私は勇気を出して、彼の隣に座ってみた。
近い、その一言で十分だった。 いつも窓越しで見ていた彼が、今は肩が触れるか触れないかの距離にいる。 この時間が、出来るだけ長く続けばいいのに。
そんな風に考えて、私は急に冷静になった。 彼が降りるべきバス停を過ぎている、これは起こしてあげるのが常識ではないのだろうか? でももう少しこの距離を楽しみたい…… 二つの気持ちのぶつかり合いは、彼の身体が私に体重を預けたことで崩壊した。
うん、ごめん起こすのは無しです。
さて、いよいよ本当にマズイです。 次、私が降りるバス停…… 彼は起きる気配は全く無い。 どうしよう…… 気がつけば、バスの中は私と彼しかいない。 いよいよマズイよ、私。
動けば起こしてしまう、この可愛い寝顔も見れなくなる。 うぅ……
私の気持ちをよそに、バスはもうすぐ着いてしまう。 ここで降りなければ私も色々マズくなる。 でもボタンを押そうとして動けば彼が起きてしまう……
次は、○○
機械的なアナウンスが、グダグダ考える私の脳を直感的に機能させた。
「つ、次! 降ります‼︎」
私はその場で運転席に向けて大声を出した。 運転手さんは聞こえるくらいの声で「あ〜い。」 と左手をあげてくれた。 ……隣を見れば、驚いた顔でこちらを見る彼がいた。 当然、身体はもう離れている。 だ、大失敗……
二人でバスを降りる。 会話は無かった。 バス停に着くまでの短い時間で、彼に事の経緯を一生懸命話してみたが、彼はただ黙って聞いているだけだった。
「じゃ、じゃあここで。お、お気をつけて。」
私は軽く頭を下げ、逃げるようにその場を離れた。
「いつもなに見てるんですか。」
背後から聞こえた彼の声。 私は振り向いて、言葉の意味を必死に考えた。 見てる? え、何を? 私がいつも見てるもの…… そこまで考え、私の顔は熱くなる。 思わず俯き、動揺を必死に隠すようにして、嘘をついた。
「す、素晴らしい…… 風景?」
苦しい、苦しすぎる。 私が見てるの君だよ〜、なんて言えるわけが無い。 というかいつからばれてた。 最初から? だとしたら彼は相当なイジワルくんだ。
「僕も好きですよ。 あそこから見える風景。」
返ってきたのは、意外な返答。 ん、うまくごまかせてる? なんて私は思った。 ゆっくり顔を上げると、彼は嬉しそうな顔をしていた。 この顔も、初めて見たな……
「それじゃ、お気をつけて。」
私が見惚れてるのを他所に、彼はそのまま歩き出した。 ま、待って!
「あの! な、名前…… なんて言うんですか?」
聞きたいことは沢山ある。 知らないことが沢山あるから。 だから、もしよかったら私に教えてくれないかな?
私が好きな、君のことを。
ありがとうございました。