7 ジンの正体、暗黒皇帝へと到る道筋
さすがにジンと合流した後、ミルシースは義勇軍にこれ以上の南下をさせなかった。
全体の疲労がピークに達しているのもあるが、襲撃を受けてからこれだけ時間が経つと、どれだけ強行軍で南に向かおうが、もう間に合わないと割り切り、逃げ延びた者たちとダロンの部隊を集結させ、体勢を立て直すのを優先し、更なる離反者を招いた。
この方面に逃げた者たちはジンがほとんどの悪魔を砕いたおかげで、約八割の生者は助けることができ、約二割の死体も回収できたが、当然、そこには南に逃げた面々の姿はない。
生者と無事を喜ぶことも、死体を前に哀しむこともできなかった義勇兵らは、ミルシースらの制止や説得を振り切り、家族が生きていると信じて、疲れ切った身体で南へと向かった。
さらに北に残った面々もいつの間にか逃げ去り、姿が見えなくなっていた。
「後ろめたさもあったのだろうが、これまで厳しく統制してきたからな。私に殺されると思ったのだろう」
同郷の者らに去られ、呆然となっているセリエールに、ミルシースは冷静にそうつぶやく。
人も馬も充分に休めねばならない状況であるし、東に向かったダロンたちを呼び戻すのにも時間がかかる。セリエールが気持ちの整理をつける間、ミルシースはジンに聞かねばならないことがいくらでもあった。
万が一を考え、ダロンらと別れて南に走ったジンは、セリエールらが立ち去った後の惨状を前に、当たり前のように難民たちを助けに動き、自らの正体を晒した。
この一帯にいた悪魔は百に近く、いかにジンが人でなくても倒し切れる数ではない。ただし、それが一ヶ所に固まっていたら、だ。
当初の指示に従い、東に逃げようとした難民は五百人以上おり、彼らを殺すために悪魔が分散していたたので、結果的に最後以外は、一度にたくさんの悪魔を相手取らずにすみ、百人強の死者が出ただけで何とかなった。
ジンとてバカではないので、人が自分の正体を知った時の反応は予想できており、だから今まで正体を隠していた。その異形の姿を見た生存者はたくさんおり、見ていなかった者らにも目撃情報が伝わり、おかげでミルシースはわざわざ人払いせずとも、彼と二人きりで話せる環境を手に入れられた。
難民たちが遠巻きに見守る中、触手を引っ込めたジンと向かい合う神に仕える騎士は、
「単刀直入に問おう。汝はリュードファン帝国の手の者、ファドルドヤーの生み出した存在か?」
「はい、その通りです」
あっさりきっぱり答える、自然ならざる生命の態度は、実に落ち着きのないものだった。
正体を言い当てられ、動揺しているのではない。南に走り、そちらに逃げた者を助けたいジンは、ミルシースに強引に呼び止められ、動きたくとも動けない状態にそわそわしているのだ。
もちろん、数十の魔を薙ぎ倒したその力ならば、人の制止などものともしないが、そうしない点は、普段の気弱でおとなしい態度が演技でないのを物語っていよう。
「私も魔道に詳しいわけではないが、汝のような人と変わらず、人よりはるかに強き存在を作り出すなど、ファドルドヤーなる人物の力は想像を絶するのう」
「いえ、ボクなんか大したことはありません。あっ、それはボクが大したことないのであって、ファドルドヤー様がとても凄いお方なのはその通りです、はい」
「本当に凄いな。これが天地自然に培われた結果ではなく、人の手によるものなど。が、それゆえに気になる。ファドルドヤーが何を意図して、汝をこの地に派遣したのが」
言うまでもなく、そう疑問を口にして、相手があっさりと機密をもらすわけがないのはミルシースとて承知していたが、
「あっ、いえ、命令されたわけではなく、むしろ命令に背いて、ここに来ました……」
「どういうことだ?」
「まあ、カンタンに言いますと、死に場所を求めてここに来ました。自分が魔法で生み出された道具であるのはわかっています。ただ、ボクは欠陥品なもので、人に酷いことはどうしてもできないもので」
「まあ、汝の性格ではさもありなん」
この魔法生物の優しさと気の弱さを考えれば、人を傷つけろと命じたところで応じるはずがない。そう長い付き合いではないが、女聖騎士はその点を充分に理解していた。
「しかし、汝がファドルドヤーの元より逃げたのはわかったが、なぜ、ここに来たのだ?」
「はい、それはボクが遠からず処分されるだろうからです。ファドルドヤー様がその気になられたら、ボクはそれまでの命。けど、せっかく与えられた生なので、短くても少しでもいいから、人様のお役に立ってから死のうと思いまして」
「ふむ。汝らしいな。その際、この地の惨状を耳にしたというところか。ともあれ、汝の存在と行動は、この絶望的な状況においては、正に一片の希望だ。汝を生み出した一事だけでも、ファドルドヤーの力が強大である点、疑いようはない。もちろん、それは最後の手立てのつもりだが」
「いえ、一人でも多く助けられるなら、すぐにでも実行するべきです。心配はいりません。ファドルドヤー様は、世間で言われるような邪悪な方ではないのです。この地の現状を知れば、きっと動かれるはず。ただ、手土産の一つはあった方がいいでしょう。つまらない物ですいませんが、裏切り者の首ではありますので、まあ、粗品くらいの価値はあるとは思います」
「まったく、汝という男は」
何の縁も義理もないのに、この地の難民たちのために命がけで尽力してくれる相手の首を遠回しに求め、むしろそこに自分の存在意義を見いだしたか、ジンは瞳を輝かせて積極的に賛同し、非情な提案をしたミルシースはいたたまれない気持ちとなる。
ジンは人を回る強さだが、悪魔の群れには勝てないのはすでに実証されている。だが、更なる力、ファドルドヤーを動かす踏み台とするのは可能だ。裏切り者の首を渡し、暗黒皇帝と話す機会を得る。ただ、それが最善の手であったとしても、さすがに当人が是と言おうが、ミルシースはためらいを覚え、この場で人ならざる者の首を斬り落とす気にはならなかった。
「まあ、いよいよという時は頼むが、それは本当に最後の手段だ。いかに汝が人でないとはいえ、斬った首を元に戻すなど……いや、出来るのか?」
「いえ、さすがにそこまで器用ではありません。ちゃんと死にますよ。けど、そうした点は気にせず、必要と思ったら遠慮せずに言って下さい」
「わかった。ただ、こちらとしては、最終的には犠牲の祭壇に昇ってもらうとしても、今は死に急いでもらっては困る。汝の首を抱えてファドルドヤーの元に行くまでの日数、その間だけしのげるよう、当面の悪魔を駆逐する前に死なれたら、私たちも自分の首が危うくなる。そのために、まずは例の薬、アレをこれまで以上に用意してもらいたい」
「あの薬ですか? アレをたくさんと言われても困るのですが、まあ、用意できるだけは用意します。たしかに、疲れている方がだいぶいられるようなのでたくさんいるでしょうね」
「いや、悪魔との戦いで使うのだが、まさか、汝はあの薬が魔を滅するのを知らぬのか?」
「ええっ! アレって悪魔に効くんですか!」
自らの秘密に、素で驚くジン。
「何を言う。そうだから、非力な女性を中心に配ったのではないのか?」
言いながら、同時に「違う」ことを確信した。
悪魔への有効な手段とわかっていたなら、最初から武器として配るはずだ。そうした方が、ずっと死体の数が少なくすんだだろう。犠牲者を減らすためなら、自らの命を惜しまぬ異形がそうしなかったのは、それを「知らなかった」からに違いない。
と、ミルシースは思うものの、
「知らなかった、というのはわかったが、しかし、そういうことは自身でわからぬものなのか?」
「はい、ファドルドヤー様から教えられなかったので。滋養強壮の薬効が、特にある条件を満たした女性に強く出るとは聞いていましたが」
納得しかねるという表情に対して、バツの悪い表情で、歯切れ悪く答えるジン。
「まあ、その意外な効能は皆が知るところだ。そして、このような状況である以上、私が言わずとも、誰かが無理な量を要求するだろう。無理を言ってすまないが、今の難局を乗り切るにはその無理になるべく応じてもらわねばならん。とりあえずは、かなり疲れたので、私に一服をくれ」
「わかりました。どうせ、間もなく処分される身です。ボクの精が尽きて一人でも多く助かるならがんばらせてもらいます」
覚悟を決めた異形の存在は、決意に表情を引き締め、再び十の触手を生やし、両手に器を持つ。
触手の一本を器の中に向け、小刻みに振動させ続け、その先端からミルシースの見覚えがあるものより、さらに濃厚かつ臭いのキツイ白濁汁を吐き出す。
予想はつきつつも、ミルシースは頬を振るわせ、
「コレハナンダ?」
「例の薬、正確にはその原液です。水で薄めて飲んで下さい。このまま飲むと、経験のない女性はキツイくらい効くと、ファドルドヤー様がおっしゃっていられましたので」
異形は何の屈託もなく、天ではなく、暗黒皇帝に与えられた能力をミルシースに差し出す。
その正体、あるいは製法に、ますますそれへの嫌悪を高める十七歳の乙女は、かなりためらった挙げ句、器の中の白濁汁を水で薄めてから口にした。
生き残るがために。