22 真・最終決戦へ
土下座。
「すいませんすいませんすいません! とんでもないことをしてしまいました! お詫びのしようもありません! どうか、どうかボクの首を斬り落として下さい! お願いします! 死んで詫びさせて下さい!」
妖刀を腰に下げる魔人は、床に額をつけて、心底、申し訳ないといった風情で、ひたすら謝罪を繰り返す。
ジンがその命で償わんと土下座する相手は、粗末なベッドの上でぐったりとした様子ながら、上半身を起こすぐらいには回復しており、下半身の鈍い痛みと必死で謝る姿勢に、自分が何をされたのかを理解できる程度には意識がハッキリしていた。
ガイア帝国の帝都ギア、先日まで暗黒皇帝が私物化していた一軒の安宿に、ガイア皇宮から脱出したジンたちを放り込まれ、そのままそこで幾日も外に出られず、ずっと身体を休めている。
ファドルドヤーがさんざん食い散らしたが、食料はまだ残っているし、水の心配もない。何より、十体のゴーレムが三十人ほどの女子供を殴り殺してくれたおかげで、身の安全も確保でき、ジンはミルシースに命を差し出す機会を得ることができた。
室内には、もう一人、セリエールもいる。
壁に背を預ける彼女は右足首に、包帯代わりの千切ったシーツを巻いている。逃げる際、壁かどこかにぶつけたか、悪魔にやられたか判然としないが、今の彼女は自力で歩けないほどの深手を負っており、一時はケガが元で高熱を出して寝込んでいた。
もし、魔人とその特殊能力が無ければ、二人の少女はこの宿屋のベッドで冷たい亡骸となっていただろう。
もちろん、その前にファドルドヤーの助けがなくば、三人は魔に殺されて、ゾンビとなっていたかも知れない。
目を覚ましたのは少し前からだが、今、身体を起こせるようになったミルシースは、力ない動作ながら視線を巡らせ、枕元に例の皮袋があるのを確認すると、安堵の息を吐いて、
「……皇帝陛下はどうなされた?」
「もう帰られました。何でもあの戦いの最中、ナインリュール様から交信があったそうです」
「なるほど。弟に助けるように言われたのだろうな」
「ええ、そうです」
正にその通りなので軽くジンは目を見張る。
「初めて会った時も、兄の作品にやらせることはいくらでもあったのに、わざわざズンを派遣させるほど、汝らを大切にしておるからな。正直、汝が私の元におるのが、宰相閣下の弱点や人質と機能しているからこそ、私の、一介の小娘の策に協力してもらえている面もあるのだ」
「そんなわけはありませんよ。ボクにそんな価値があるわけないじゃないですか。ミルさんの作戦が素晴らしいから、ナインリュール様は手を貸してくれたんですよ。今回も陛下の身を危険にさらしてまでミルさんたちを助けたのも、優しきお心ゆえです」
触手の魔人がどう評価しようが、ミルシースは帝国宰相をそんな甘く見ていない。
その生い立ちからして、ナインリュールは六年以上、戦え! 超魔法生命体メタモル・フォーマーの高い知性と接して育ったのだ。人は環境で大きな影響を受ける。ずっと英才教育を過度に受けてきた結果、十二歳で一国の政務を切り回せる怪物が誕生したのだろう。
何度か交渉しているミルシースからすれば、ジンという有利なカードがなければ、マトモに相手できる子供ではなかった。
「ともかく、ジェフメルとこのギアで私たちが助かったのは、宰相閣下の私情によるものだ。その点は感謝すべきだろう。そして、そうした絶好のタイミングを計ってくれた、大神バストウルにも」
ミルシースは両手を合わせて、感謝の祈りを捧げる。
聖騎士でなくされた少女の態度に、尾を引いている熱のせいだけではなく、頬を紅潮させるセリエールは鼻を鳴らし、
「よくそんな気持ちになれるな。この三日、死線をさ迷っていたオマエにはわからないだろうし、酷な話かも知れないが、今、この地は神に祈る何て悠長な状況じゃないんだ。本当に地獄なんだ」
熱く火照る頬に涙がつたう。
「眠っていた、意識のなかったオマエには聞こえなかっただろう。夫を返せと怒る女の声、父を返してと嘆く子供の声、それが何万とここに押し寄せて来た。当然のことだな。私たちを信じてくれた五千人を一人も返すことができなかったのだから。ああ、こんな思いをするくらいなら、這ってでも外に出て、あの者たちに殺されれば良かった。あの者たちを殺すくらいなら」
セリエールは泣き崩れ、ジンも顔を伏せて涙を流す。
意識と思考がいつも通りに働き出したミルシースには、二人が体験した地獄のだいたいの内容を察することができ、それ以上に現状が想像できた。
ファドルドヤーがここに運び込んで去った後、群衆、激しく怒り嘆く義勇軍の遺族が押し寄せ、三人を殺そうとした。
その時、ミルシースは悪魔の毒で意識がなく、セリエールも高熱を出して起き上がれずにおり、ジンは二人の看病で出ていくのをためらっている内に、暗黒皇帝が放置した十のゴーレムがその役割を果たすと、三十人分ほどのぐちゃぐちゃな血肉の塊に、怒りと悲しみは恐怖で塗り替えられ、群衆は逃げ去って二度とはやって来なくなった。
正確にはそんな余裕はなくなったのだ。
ずっと宿屋にいるので、三人は帝都ギアの過酷な現状は見聞きしていない。ただ、ミルシースだけは想像できるだけの話。
義勇軍という枷がなくなり、この地は再び強きが得て、弱きは得られない、弱肉強食の状況に戻ったのだろう。
いや、ミルシースが数万の難民の糧を確保するのに、食料をかき集めたのが裏目に出て、今はより酷い状況になっている。
数ヶ所に集めさせた食料を、義勇軍が管理できなくなった途端、強き者が独占し、弱き者への配給が止まったのだ。強き者がたらふく食べられる一方、弱き者は家屋を漁っても食べ物がカンタンに手に入らなくなり、草木をかじって飢えをしのぐか、屍肉に手をつけるほどに食料事情は偏在化していた。
セリエールやジンはある意味で幸いだろう。我が子を生き永らえさせるために、ウソをついて餓死者の肉を与える母親の姿が想像できないのは。
「ミルよ、頼みがある。私の足を治してくれ。せめて、死んでいった者たちの後を追い、戦死したい」
「バカなことを言うな。もうすぐ魔王を倒せるのだ。無駄死にしてどうする」
「適当なことを言うな! 先の戦いも失敗したじゃないか!」
「失敗なぞしていない。魔王を倒す手立ては手に入れた。最後で計算が狂い、あのような惨状を招いたが、二度とあのようなことは起きん。元々、先の作戦は二段構えだったのだ」
「本当か、ミル? いや、無理だ。義勇軍は壊滅したんだ。手立てがあっても、戦う術はない」
「その心配はない。それを含めての手立てだ。だから、数日だけ待ってくれ」
三度目の正直、という言葉を思い出したわけではないだろうが、セリエールは少し迷ってから、
「これが最後だぞ。次は止めてもきかないからな」
「ああ、すまない。今度こそ決着だ」
「それを聞いてボクも安心しました。これで心を残すことなく、罪を償えます」
「まったく、なぜ、死にたがるのがヤツが多いのか」
二人の少女の話し合いが終わったのを見計らい、土下座したままのジンの申し出に、先日まで最も死に近かった乙女は苦笑をもらす。
「もし、汝を殺しでもしたら、魔王を倒す算段がご破算になるのだがな」
それどころか、ナインリュールに殺さねかねない。人質とは無事だから弱点となりうるのだ。手違いでも、ジンが死んでしまえば、報復や逆恨みを招く危険物に一変する。特に、十二歳児のかんしゃくは、八つ当たりレベルで七千三百の軍勢が打ち砕かれるほどの威力なのだ。
「なら、魔王を倒したのを見届けた後にお願いします」
「お願いされても困る。なぜ、そうする必要がある?」
「決まっています。ボクが取り返しのつかないことをしてしまったからです」
「しかし、それは理由があってのことだろう。察するに、死にかけた私が死んでいないのは、汝のおかげで、といったところか。ああ、私は意識がなかったから、薬を飲めなかったからか」
かけても効能のあるジンの特殊能力だが、それだけでは二人の乙女は死んでいただろう。
高熱で一時はかなり危なかったセリエールだが、まだ意識があったので服用ができ、父や兄の後を追うことはなかった。
それに対して、ミルシースは意識がなく、ナニも喉を通らない状態であったが、仮に服用できていても助かるかどうかという、悪魔の強い毒のせいで、セリエールよりはるかに危険な状態だったのだ。
悪魔との戦いで多大な戦果を挙げているジンだが、元来の用途は違う。暗黒皇帝が持てる技術と知識を総動員した、一番の力作は、未知の部分も多々あり、安全性にはかなりの配慮をしている。
使用時に対象が死ぬことのないよう、単純な年齢だけではなく、回数面も考慮して成分の微調整を行っていたのが、この時、ミルシースの生死をわけたと言えよう。
神に仕える乙女として正しく在った彼女は、触手の魔人の特殊能力が最大の効能を発揮したゆえ、その御元に行くのを辛うじて回避できた。
ミルシースの推察は完全な正解ではないが、大きく外れたものでもないので、ジンは黙して暗に肯定する。
「では、殺すどころか、礼を言うべきではないか、汝に。命を失うことを思えば、膜一枚は仕方あるまい」
被害者はさばさばした態度を見せるが、それでも命の恩魔人の表情は暗いままであったが、
「それに万が一の時はどうする気だ? 汝の父は母が斬ったと言わせる気か?」
ジンの顔が一気に蒼白になる。
「か、か、考えが足りませんでした。生きて責任を取らしてもらいます。どうか、ボクの命を好きに使って下さい」
床に唇が触れんばかりの魔人は、腹を撫でる十七歳の女性に、別の意味で命を、否、人生を差し出す。
魔王ばかりではなく、魔人の命運も握ったミルシースは、呆れ顔となっているセリエールに視線を転じ、
「ところで、セリよ、痛むのは足だけか?」
「ああ、そうだ。じっとしていればそうでもないが、動かすと右足首が痛む。これでは立つのもって、おい!」
やっと質問の意図に気づき、十七歳の乙女は泣き腫れた顔を赤くし、やましいことはないのに魔人は土下座したまま身を縮める。
「体調が良くなったら治してやるから、怒るな。気になるのだ。自分でも意外だが」
「本当に意外……」
「どうした、セリよ?」
「私たちはだいぶ参っているようだ! 外に何かいるぞ!」
セリエールに言われて、窓の向こうの気配に気づくのだから、ミルシースは元より、ジンも連日の看病と土下座の疲労がたまっていたのだろう。
当然、ジンはすぐに立ち上がって身構えるが、一人の女性と一人の少女は体調や負傷で立つこともままならない。
「やっと気づいてくれたざんすか。入っていいざんすか?」
「ミルさん、カラスたんです」
「そうか。どうやら、待たせたようですまなかったな」
緊張と警戒を解いたジンに耳打ちされ、ミルシースが許可を出すと、隣の部屋から破壊音が響き、足音が廊下に出て、ドアが開いて窮屈そうに翼をたたんだカラスたんが戸口をくぐって姿を見せる。
基本、人間よりサイズで勝るメタモル・フォーマーは、屋内では苦労することが多い。今も隣の部屋の窓をぶち破る乱暴な手段を取っていた。
ちなみに、直接、三人の部屋に行かなかったのは、人間の体調を気遣ってのこと。玄関に回らなかったのはゴーレムとの戦闘を避けるためである。
「いえいえ、そんなに待たされなかったざんすよ。それより、体調の悪いところを恐縮ざんすが、今日は御用聞きにやってきたざんす。どうざんすかね、お仕事はないざんすか?」
「ナインリュールの指示なら、本当にタイミングは最高だな。もちろん、そちらの想像どおりの内容だ。料金はその袋の半分でどうだ」
「見せてもらっていいざんすか?」
「ここで広げるのは……」
「袋をのぞかしてもらうだけでいいざんすよ」
意図がわからず、眉をしかめるミルシースに、再びジンが耳打ちし、
「カラスたんには光り物を見つけ出したり、その価値を計る能力があります」
ただ飛行速度のみならず、その点も踏まえてナインリュールは派遣したのだろう。
合点のいったミルシースは許可を出し、カラスたんは袋をしばしのぞいてから、
「うらやましいたくわえざんす。報酬はわかったから、これでナインリュール様がOKと言ったら交渉成立ざんす。まあ、報酬は充分だと思うざんすが、ただ……」
「面倒な品はこちらで引き受けよう。その点も合わせて報告してもらいたい」
「それなら、まず大丈夫ざんす。太鼓判を押しちゃうざんす。じゃあ、早速、報告に戻るざんす」
リュードファン帝国もよほど切迫しているのだろう。カラスたんは慌ただしく去って行く。
魔を圧倒する集団を動かすほどの、袋の中身が気にならないわけがなく、セリエールは当然のようにミルシースに問うた。
「ミルよ、結局、その袋の中身は何なんだ?」
「大神バストウルが魔を討てとの思し召しだ。天よりの助力が詰まっている」




