21 魔宮突入!
約五千。
十七歳の小娘は骸骨魔族との再戦に、それだけの戦力をかき集めるのに成功した。
その中には暗黒皇帝や彼が召喚した二百体以上の悪魔、触手の魔人、北からつき従っている歴戦の義勇兵、この危機に自発的に集ったガイア騎士や兵士もいるが、大半は現地で募った帝都の民に簡素な武器を持たせただけの、文字どおり数だけは揃えたという内容である。
呼びかけに応じた四千人以上の民衆は、申し訳ていどの訓練と大雑把な部隊編成で、今日という日に実戦投入された。
時間をかけて機能的な編成をし、全体の練度を高めれば、生き残れる数が違ってくるが、それだけの時間をかけられる状況ではなかった。
皇宮が骸骨魔族に占拠されてからまだ十日ほど。ミルシースら義勇軍の統制で、一時の無秩序状態は収まってはいるが、根本的に物資の、何より食料の不足をどうにかしなければ、もっと酷い事態になりかねないのだ。
もっとも、それより深刻なのは、ファドルドヤーの参戦がちゃんとした密約などによるものではなく、偶発的な状況を利用しているだけのものに過ぎない点だろう。
これまではジンを常に側に置き、モチベーションの持続に努めて来たので、十五歳の少年が気まぐれで去る事態は防げている。
だが、それとて限界があるし、何よりナインリュールの動向によって、ミルシースの作戦は一瞬で破綻してしまう。
十二歳児の機嫌が直って兄に「もういいよ」と言った途端、暗黒皇帝は自らがいるべき場所に戻って行き、骸骨魔王を倒すための大事な一戦が実行不可能となる。
正に時間との戦いであり、一人の命よりも一秒を惜しみ、多大な犠牲を承知で、最低限の準備で戦端を開き、兄弟ゲンカが解決するまでに全てを成し遂げねばならないのだ。
ジンの薬を何度も口にし、寝る間も休む間も惜しんで、急ぎに急いだミルシースは、何とかナインリュールを先んじるのには成功した。
そして、攻撃準備が整った後、休息を勧める皆の意見を退け、その日の早い昼食を終えてから、やや強めの雨が降る中、ガイア皇宮への総攻撃を敢行した。
まずはファドルドヤーが地脈に干渉し、皇宮を崩しにかかる。
「地盤を崩すだけなら、カンタンだお。後は自重で勝手に壊れるし」
暗黒皇帝がガイア軍の陣地に地震を起こしたのを知るミルシースは、その言葉にうなずいて、帝都の中心のみに局地的な地震を派生させようとはした。
一度、人馬と魔人の足元が鳴動し、それだけだった。
「やはり、そう簡単にはいかんか」
少しやつれた風情で、十七歳の総指揮官は、馬上で誰にも聞こえぬようにつぶやく。
骸骨魔王が闇で地脈に干渉し、ファドルドヤーの術を打ち消しているのだが、細かな点まではミルシースにわかる領域ではない。ただ、この程度で倒せるほど魔王を甘く見積もっていなかっただけである。
「これでカタがついてくれたら楽なのだがな」
ファドルドヤーの遠隔攻撃で魔王を倒せれば、次の戦いに支障が出るし、リュードファン帝国は神聖コーラス教国に攻め入ることになるが、ガイア帝国は最大の問題を片づけられるし、何より今から何千もの人間に死を命じなくてもいい。
もちろん、背教者とされし乙女は、そんな甘い心算でこの戦いには臨んでいない。ファドルドヤーの攻撃は、その存在をアピールし、骸骨魔王を牽制するためのものである。
暗黒皇帝が近くにいる以上、骸骨魔王は常にそれに備えねばならず、今から突入する自分たちに直接、手を出せなくなる、というのがミルシースの狙いだ。
当然、骸骨魔王にファドルドヤーが牽制以上のことはできないと看破されたらおしまいだ。攻める側は一人を残して全滅するだろう。
そうした危険も承知で、
「よし、皆の者、突撃せよ! 皇宮から悪魔どもを叩き出せ!」
ミルシースの号令の下、何千人もが魔宮へと突入する。
当たり前だが、ガイア皇宮の周りには高い塀が張り巡らされている。有事の際、防壁として機能するそれは、しかし現在は一体も守り手がおらず、武器を手にした庶民の群れが、易々と皇宮へと侵入していく。
この辺りは人と魔の違いである。
もし、塀を守って突破されれば、広い中庭で人と戦うことになる。一方で屋内に誘い込めば、狭い空間での戦いになり、人の強みである数の差が活かし難くなるが、それよりも人を奥深くまで引っ張り込めば、容易に逃げられなくなり、より多くを殺せるようになる。
このような状況で人は守ろうとするが、魔はどのような状況でも殺戮を求めるのだ。
実際に、義勇軍の者たちはひたすら奥へと突き進み、骸骨魔族に退路をふさがれ、逃げられないようにされてから一方的に殺されていくことになる。
そして、皇宮の奥から無数の悲鳴が重なり響き出すや、
「さて、私たちも行くか。悪魔たちよ、前進して、目的の場所に向かえ」
最後に残っていたミルシースが、二百強の悪魔を先行させ、触手の魔人と女騎士のみを従え、最後にガイア皇宮へと突入する。
悪魔から規律というものが全く見られないわけではないが、乱戦になると獲物を求めて大きく広がる傾向がある。皇宮には千余の骸骨魔族がいるが、彼らは数倍の人間を皆殺しにせんと、大きな包囲網を形成していて、戦力を広範囲に分散させていた。
妖刀をまだ持っているジンがいるとはいえ、千の魔、しかも先の激戦をくぐり抜けた強き魔が多く占めているのだ。ファドルドヤーの召喚した、下級を中心とした二百体など、マトモにぶつかれば相手にもならないというもの。
だから、ミルシースはマトモなぶつかり合いを避けた。
義勇軍によって骸骨魔族を分散させ、そこに密集した二百体の魔を先頭に突撃する。これで個々の魔の差は数で補えるというのが、ミルシースの目算である。
つまりは、かき集めた義勇兵を囮、魔に対する撒き餌として使った結果、ファドルドヤーの悪魔たちは数を減らしながらも前へと進み、ミルシースの命令を実行していく。
「最後までもつか。爵位級がいたら、私たちの出番となりかねんな」
快調に進んではいるが、すでに先行する魔の数は半減していた。数で補うといっても、やはり屋内では数の差が活かし難い。上級の骸骨魔族までならいいが、爵位級が進路上にいたら、魔人の出番になりかねないのだ。
「それよりも、ミル、このままでいいのか?」
皇宮の中ゆえ、自らの足で駆けながら、セリエールは悲痛な表情で、並走する同い年の乙女に問わずにいられなかった。
今も三人の耳には、先行させた義勇兵らの断末魔の悲鳴が、間断なく響いている。何よりミルシースは今回の作戦の目的を悪魔らに命じただけで、魔人にも人間にも伝えていない。
女騎士だけではなく、ジンも悲しげな表情をし、何か問いたげにミルシースを見ていた。
「これまで忙しいとか、何かとはぐらかされてきたが、さすがにこれだけの犠牲が出ては、説明を受けずにいろ、というのは無理だ」
「気持ちはわかる。だが、この状況でわかる通り、私の策は外道な手段だ。卑怯を承知で、今まで汝らに隠した点は謝る。しかし、今は黙って従ってもらいたい。ここでレクチャーを始めれば、その分、戦いが長引き、犠牲者が増えるのだ」
こうした論法も計算の内なのだろうが、犠牲が余計に出ると言われたら、セリエールも不承不承、引き下がるしかなかった。
リュードファン帝国が悪魔との戦いで最も恐れているのは、ガイア帝国が滅び、大量の難民、悪魔、ゾンビが押し寄せ、自国の民と社会システムに打撃を与える点である。
ゆえに、骸骨魔族が帝都ギアを占拠し、守りを固めて南下する気配のない今は、前回のように無理に援軍を捻出する必要はないのだ。リュードファン側からすれば、今の状況が続く限り、国内の諸問題を片づけ、余力が出来てから骸骨魔王を片づければいいのだ。
極論すれば、帝都ギアの二十万の市民が野垂れ死にしようが、骸骨魔族が動かない限りは、一体一兵もナインリュールは動かさず、内政の充実に心血を注ぐだろう。
意図的でないにしろ、最大の敵と暗黙の内に不戦に持ち込んだのだから、骸骨魔王がガイア皇宮と同化して、不動をアピールしたのは悪くない選択ではあった。
もし、これでガイア皇帝が死んでいなければ、ミルシースに打つ手はなかっただろう。
ガイア皇帝が生きていれば、帝都を失おうとも、ガイア帝国は国として機能し、リュードファン帝国への牽制とはなっただろう。が、皇帝を失い、内乱が起きるほどの分裂状態となったガイア帝国は、十二歳児をこの上も無く追い込むこととなり、十七歳の小娘が活路を見出だす隙を与えることとなった。
そして、自らの失策に骸骨魔王が気づかぬゆえ、
「人の女よ、命による作業は終了したぞ」
先行していた悪魔が引き返し、大きな皮袋をミルシースに渡す。
その瞬間、破門されし乙女は勝利を確信し、会心の笑みを浮かべ、それがすぐに凍りつく。
数十体の悪魔が、壁、天井、床から噴き出る闇に、見る見る内に浸食され、分解されていったからだ。
当然、噴き出る闇は、二人の乙女も襲ったが、
「危ない!」
とっさに妖刀『極太丸。長くて太くて硬いの〜』を抜き放ち、十の長くて太くて硬くなった触手を伸ばして、二人の少女をそれで覆い、闇から辛うじて守る。
魔人は闇を浴びてしまい、ダメージを受けてしまうが、悪魔らのように分解されることはなかった。無論、これはファドルドヤーの作品がそれほどヤワではないだけの話である。
「聖なる石よ! 不浄なる存在を滅ぼす光となれ!『ホーリー・ライト』!」
五本の触手に覆われた窮屈な姿勢で、ミルシースが周囲の闇を打ち消すが、闇は絶えることなく噴出を続ける。
が、少しでも闇が途切れた瞬間、ジンは十の触手から大量の白濁汁を周りに撒き散らすと、その場を満たしていた闇の噴出が止まり、イカくさい臭いに満たされる。
「いったい、何が起きたんだ?」
何度も口にし、武器にも塗ったシロモノというのもあるだろうが、臭いなど気にならないほど、突然の事態に狼狽するセリエール。
「魔王が本格的に動き出したのか?」
ミルシースも呆然となりつつ、頭の片隅ではいくつかの可能性が駆け巡る。
ファドルドヤーが牽制しか出来ないと読まれ、それに備える必要がないと見切られたか、暗黒皇帝が飽きてどっかに行ったか。
「くそ、せっかく魔王を倒す手立てを手に入れたというのに」
皇宮は広大すぎる。この状況で外に出るまでの距離、闇を何とかしながら進むとなると、明らかに足りないのだ。ミルシースの聖石には限りがあるし、魔人の持続性にも限界がある。
「とにかく、進めるだけ進みましょう!」
ジンが二人を促し、来た通路を引き返すが、その道のりは遠く絶望的だった。
進む先の通路には闇が満たされており、ミルシースとジンはそれらを打ち消さねばならないのだ。
わずか百メートルほどを進むだけで、五個の聖石と五十射を必要とするのだ。とても近くの出口にたどりつくまで保つものではない。
十七歳の小娘の予定表では、目的を達した後は悪魔らを使い、ジンやセリエールと共に殿を務め、退路を確保し、一人でも多くの義勇兵を逃がすつもりだったが、もはや外の一人を残して全滅するしかない状況だった。
「悪魔どもだ!」
セリエールが悲鳴に近い声を上げる。
彼女の叫んだ通り、三人の前方から四体、大鎌を持った大柄な黒骸骨がやって来たからだ。
魔人も厳しい表情を浮かべたが、ミルシースは別の点に気づいた。
黒骸骨らが来た方向には、闇が噴き出ていないのだ。おそらく、ファドルドヤーの悪魔を倒したことから、あの闇は骸骨魔族にも有害なのだろう。
これで状況が好転した、というわけではない。こちらに悪魔を差し向けられるということは、義勇兵を包囲する必要がなくなったことになる。最悪、千の骸骨魔族が三人に殺到することになるのだ。何よりも、どのみち骸骨魔王の掌の上であるのは変わらない。
それでもジンは十の触手を突き出し、四体の悪魔を砕く。広い廊下ではあるが、長く太く硬くなった十の触手を振り回すだけのスペースはない。当然、無駄打ちなどできる状況ではないので、我慢して溜めておかねばならなかった。
四体を倒しても、すぐに新手の六体が姿を見せる。おまけに、後ろからも七体が迫って来た。
後方の七体は小柄な黒骸骨ばかりで、セリエールが槍を構えて迎え撃ち、体長不良でいつも通り立ち回りができないミルシースは、大きな皮袋を抱いて静観し、聖石も温存する構えを見せた。
最下級の悪魔など、歴戦の女騎士に勝てるはずもなく、セリエールの繰り出す石突きが次々と小柄な黒骸骨を砕いていき、六体目を難なく倒して、七体目に放った鋭い突きは、素早い動きであっさりとかわしただけではなく、毒の息を勢い良く吐き出した。
「がはっ」
何とか転がるように避けたセリエールと違い、自分の予想以上に動きと反応が鈍くなっていたミルシースは、巻き込まれる形で毒の息を浴びてしまい、白い肌が黒く染まって倒れて伏す。
倒れたミルシースの様子がどれほど気になろうとも、ジンもセリエールも目の前の悪魔の対処で手一杯になっている。
サイズは同じでも、七体目、最後方にいた小柄な黒骸骨は最下級のそれとは細部が異なり、何よりも強さがまるで違った。
小さくとも上級に分類される黒骸骨は、素早い連続攻撃でバランスを崩した女騎士に防戦一方を強いる。そして、一体でもしのぐのに精一杯であるのに、新手、猿の骨格に近い五体の黒骸骨が、セリエールに迫りつつあった。
ジンも六体を撃破した直後、四体の新手と戦っている。しかも、一体はジェフメル市で戦った爵位級、もう三体はドクロの杖を持った上級という、強力なラインナップで、さすがに暗黒皇帝の作品ふたつも苦戦を強いられていた。
「マジカル・バルバライザーだお」
もっとも、ジンを追い込む四体も、両手を頭の上で合わせ、膨大な魔力で骸骨魔王のほんの一部に穴をうがちながらやって来た、十五歳の少年にあっさりと突き砕かれ、触手の魔人の救出を許してしまう。
ただ、ファドルドヤーの魔力が捕らえたのは自分の作品のみで、
「セリさん、捕まって!」
ジンの呼びかけに応じ、槍を相対する悪魔に投げつけたセリエールは、差し伸ばされた触手の一本に、間一髪でしがみつく。
無論、気を失い、微かな息をしているだけのミルシースには、ジンにしがみつくことなどできない。だが、気絶してなお、ファドルドヤーが魔法の品に加工した皮袋をしっかりと抱いていた彼女は、そのついでで暗黒皇帝の魔力に引っ張られていく。
千の手勢がその場に集結していれば、子供ひとりに勝ち目はあっただろうが、五千人ほどを皆殺しにするのに、広大な体内に分散させていたため、骸骨魔王は人間ごときを全滅させられなかった。
骸骨魔王の闇に染まった壁を次々とぶち抜いていき、易々と暗黒皇帝は義勇軍の全滅だけは防いだ。
もっとも、人が三人、魔人が一体である。生き残れたのが。
事実上、聖騎士でなくなった少女の義勇軍は、今、崩壊した。




