12 暗黒皇帝との拝謁
「この度は拝謁の栄をいただき、ありがとうございます。私はコーラス教団の聖騎士位にある一人でミルシースと申します。ガイア帝国の北で悪魔と戦っておりましたが、自らの力が及ばぬことを、何より陛下の御力が無くば悪魔を打倒できぬことを悟り、今、この場におりまする。我が嘆願はただ一事、魔を討滅するのに陛下の御力を御貸しいただきたい、それのみでございます」
正に今から、ガイア軍に夜襲を仕掛けんとする、ガイア帝国と神聖コーラス教国と戦争状態のリュードファン帝国の軍勢の只中、馬上にある暗黒皇帝ファドルドヤーに対して、跪くミルシースが真摯な態度ながら何の臆面もなく図々しい内容を言上する。
当然、ファドルドヤーの周りには、メタモル・フォーマーのカマキリたん、魔人のズンと覆面を着けたジンだけではなく、リュードファン騎士らがひしめいているが、馬上にある人間の表情は失笑するか、呆れているかのどちらかであった。
女聖騎士の隣で跪くセリエールも、あまりに無茶な頼みに肩を震わせている。
普通に考えれば、マトモに相手してもらえる話ではないが、暗黒皇帝は常人と異なる存在であった。
「遠路はるばる来てくれた客人だというのに、待たしてすまない。戦の準備に追われていたのでな。今もこのような時しか応対ができず、ゆっくりとそなたらと話せないが、大方の事情は手の者から聞いている。ガイアの民の惨状、何よりも悪魔の復活は憂うべき事態だ。残念ながら貴国とは不幸な関係にあるが、だからと言ってガイアの民の不幸を見過ごしていいものではないと思っている。また国の方針が対立している点に、民に責任がないのも理解している。そもそも天地自然の災いには、共に協力し合うのが古来よりの習わしだ。もちろん、これは我の、いや、朕だけの考えで、家臣の中には反対する者があろうから、今の段階では何も確約してやれぬ。が、そなたらの願いに朕が後押しする点はここで約束しよう」
たくましい黒馬に跨がり、リュードファン帝国の国旗と同じ三つ首の竜を意匠化した鎧をまとうファドルドヤーの外見は、十五歳の若者、何よりもジンと瓜二つのものであった。
正確には、魔人らは創造主の姿をベースに作られており、暗黒皇帝と同じ顔を持つゆえ、ジンは覆面をしているが、例え触手を生やさずとも、オリジナルとコピーの違いはすぐにわかるだろう。
ジンと違い、その表情から気弱さなど一片も感じ取れないどころか、剛毅さに満ち、年不相応に落ち着いた立ち振る舞いからは、大木のごとき安定した知性と精神力がにじみ出ている。
が、より決定的なのはその大きくはない体躯がまとう王者の風格であろう。それによって中肉中背の体からは、どんな大男どころか、傍らにいる異形すら圧倒する存在感を放っていた。
容姿に恵まれているわけではない。王者としては不利な年齢と外見を、充実した中味が補う。その図式が成立しているのは、主君の意思を知り、その威に騎士たちが表情と態度を一様に改める反応が如実に証明していた。
異国の皇帝に頭を下げる二人の娘、ミルシースですら後頭部に威厳の重みを感じるほどである。
セリエールなどは目の前の戦が回避できると淡い期待を抱いたものだが、
「が、朕はまだ皇帝として若輩であり、我が国も若い。未熟な点もあり、そなたらには気の毒だが避けられぬ戦がある」
これから殺し合う敵国を助けると明言したのだ。戦意が衰えるべきところが、この決然とした言葉で無用の混乱を引き起こさぬようにする。
「私はあくまで悪魔との戦いの助力をお願いしにきたのであって、我が国との戦いを止めにきたのではありません。ましてや非は我が国にあるのです。大神バストウルよ、ご照覧あれ。正義はリュードファン帝国にありますぞ」
「聖騎士よりそのように言ってもらえるとは心強いというもの。我が軍の勝利は間違いないでしょう」
信仰する唯一絶対神の御名まで持ち出すミルシースと、それを当然の如く受け止める暗黒皇帝の態度と真意は、セリエールを初め、多くの者が理解できないでいるが、それは現状が把握できていないだけの話。
ミルシースからすれば、ここでガイア軍を叩いてくれないと、リュードファン帝国が安定せず、次のステップに進めないのだ。実際にこの三日の間に、降服したガイア騎士から探りを入れられている女聖騎士は、黒き置き石作戦が破綻した影響を感じ取っていた。
先の戦いで死傷者はガイア軍の方がずっと多いが、最終的に敗走したのはリュードファン軍の方である。その事実はリュードファン軍を構成する裏切り者たちを動揺させるのに充分であった。
千八百人しかいないリュードファン兵よりも降服したガイア兵がずっと多い。しかも、その千八百人とて、去年まではバモス連合王国の兵だったのだ。リュードファン帝国が劣勢になれば、ファドルドヤーに刃を向けてもおかしくない軍勢というのが、ドロス大陸で最も新しい国家の実態である。
敗戦を放置すれば、手勢の離反や反逆を招く。早々にガイア軍を叩いて、自軍を引き締め直す必要があるが、それだけの戦力を整えるのは容易ではない。
もちろん、ファドルドヤーが召喚した悪魔の半分もガイア軍にぶつければ、勝つことは容易いが、問題はその後である。悪魔に殺された人間の多くがゾンビと化すし、無惨に殺された遺族の恨みは長く尾を引く。実際、今のリュードファン帝国はそれらの対処に大半のメタモル・フォーマーや兵を割いていて、未だ解決していない。当然、こうした問題が浮き彫りになった今、リュードファン帝国は悪魔の実戦投入を禁止している。
悪魔を運用したツケのため、充分な戦力を用意できず、ファドルドヤーの作品でも少数では大軍を圧倒できない。ナインリュールは帝国宰相として国政全般を統括しなければならないので、帝都を離れられない。消去法というより、暗黒皇帝というたった一枚の切り札を切るしか手がなかったゆえ、ミルシースは戦が始まる前のわずかな時間、こうして謁見が出来ているのだ。
時を置けば、リュードファン軍がどんどん不利になっていくので、先の敗戦からたったの三日で夜襲できる態勢を、かなり強引に整えた。そうせねば、ガイア軍がかつての戦友らをどんどん抱き込んでいくからだ。
ちなみに、この夜襲の準備には、ズンやジンも駆り出されただけではなく、ミルシースもセリエールを丸め込んで手伝った。この謁見はその礼を兼ねてもいる。
ミルシースとしてはこの機会に詰められるだけ話を詰めたかったが、不自然なまでに静まり返っているガイア軍の陣中で、いきなり大地が激しく鳴動し出し、無数の悲鳴が上がったので、彼女も聞こえぬよう舌打ちしつつひかえた。
五百を数える間、大地が割れる豪快な音が人や馬を悲鳴ごと飲み干し続け、やがて一人の手による悲劇の終章が鳴り止むと、
「全員、明かりを灯し、敵陣へと進軍せよ! まずは投降を呼びかけ、応じぬ者は討て!」
掲げた右手を振り下ろしたファドルドヤーの命令で、新たな悲劇の幕が上がるのに、少しの間隙を要したのは、騎士や兵士らが漠然と裏切りを考えていて、迷いを抱いていたからだろうが、そんなあやふやなものなど暗黒皇帝の一喝で吹き飛んだ。
「そなたら、朕に逆らうならば地の底に落ちる覚悟をせよ! 朕に従うならば、一時の気の迷いなど咎めぬ! 進んで武功を立てるが良い!」
途端に、リュードファン軍は明かりを灯して、ガイア軍の陣地へと突進した。
明かりを持って夜襲をすれば、普通は気づかれて失敗するが、そうしないとガイア兵に続いてリュードファン兵も地割れに落ちかねない。それにガイア軍はリュードファン軍の動揺を察し、かつての戦友に密かに接触して、夜襲のことを事前に知っていたのだ。
時間があれば内応の手はずも整えられたが、さすがに三日でそこまでは無理というもの。それでも、準備万端に夜襲を待ち構え、敵の機先を制すると同時に内応を呼びかければ、多くの兵が矛を逆さにして暗黒皇帝へと向かう。そんな計算も、十五歳の少年の術ひとつで大地ごと打ち砕かれたが。
局地的な大地震に見舞われたガイア軍に戦意など残っておらず、近づいて来る明かりを見ただけで、無事な兵士たちは我先に逃げ出し、正に一方的な幕切れへと至った。
ただし、それはこの戦のみのこと。そもそもミルシースにとってはまだ舞台の準備さえ整っていない。
聖騎士位を有する少女は、この場にセリエールとリュードファン騎士が十人ばかりの他は、人外の存在のみとなったのを見計らって、
「負けなどありえん戦であったが、勝利は勝利だ。それは祝うとして、もう暗黒皇帝の出番はあるまい。直接、祝辞を述べさせてもらえぬか?」
「ほう、我が影武者とバレていたか」
「魔人三人衆だそうだから、ジンとそっくりなのがもう一人いることになる。何より、いつ裏切るかわからん軍勢の中に主君を居させるなどありえん。ただ、確信したのはさっきだ。汝は何らかの術を使ったように見えなかったのでな」
ミルシースの考察に、セリエールを含める人間たちは大いに驚く。
そして、驚きが去ったか、当たり前のことに気づいたセリエールは目をむき、
「待て、そいつがニセモノなら、さっきの約束は何の意味もない、単にぬか喜びさせられただけということになるぞ」
「すまないが、先程の発言は我一個の発言ととらえて欲しい」
「ふむ。では、ガイアの民を助けたいと思うは、汝の本心ととらえていいわけなのだな?」
「その点に偽りはない。が、我などファドルドヤー様が作りしモノの一つ。所詮は人ではないのだ、我、いや、我らは」
「汝の意見は承った。私にとってはありがたい話だ。まったく賛同を得られぬよりはマシであるし、何よりも汝らを作ったのがファドルドヤーである点が大きい」
ミルシースがそう言い放った途端、ザンの表情が瞬時にして微妙なものとなる。
人と造形が異なっていたり、覆面をしているので、二人の少女は気づかなかったが、今、異形たちは心を一つにしていた。
「しかし、ミル、何にせよ、皇帝の承諾がまだ得られていないのは変わっていないぞ? どうする気なんだ?」
「これから承諾を得れば良いだけではないか。で、そちらの皇帝陛下はここに来られるのかな?」
こと無げに応じてから、ミルシースは主君の所在をその作品らに問う。
「こちらに向かっているよ。だから、ちいっと待ってな、ケッ」
鼻をひくひくと動かし、夜空の一角を見据えながらズンが言う。
一同は犬ころのように虚空に視線を転じると、ほどなく夜空に二つの影が飛んでいるのがわかる。
二つの影は一直線に彼らの元を目指している。だから、ミルシースにはすぐに、その両方が見たことがある姿と気づく。
一つは、先の戦いで遠目に見たゴリラ。もう一つは、初対面だがジンやザンと同じ外形である、リュードファン帝国の皇帝たるファドルドヤー。
両名は当たり前のように宙を進み、一同の前に着地する。
同時に、ザンが馬から降りると、リュードファン騎士らもそれに倣っていき、ただ一人と一匹を除いて、ゴリラやカマキリたんは器用に、ミルシースとセリエールを少し遅れて跪く。
ちなみに、肉体の構造から皆と同じ姿勢が取れないズンは、その場で伏せをしている。
全員からかしずかれるファドルドヤーは、麻のシャツにズボンというラフな格好で、へらっへらっと締まりのない表情をしていて、見るからに頭の悪そうな少年という以上の印象を受けず、
「ザン、言われた通りガイア軍を倒してきたお。もう帰っていい?」
口を開いてもその印象に変わるところはなかった。
無論、たったこれだけで一人の人間を把握できるものではないが、
「なるほど。これでは、十二の弟の方が残って政務を担当するしかないだろうな」
心の中で英明さのカケラもない少年と断じると共に、ミルシースは自分の読み違いを痛感し、頭を垂れながらリュードファン帝国を動かす計算式の修正に思案を巡らし始めた。




