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9  第二の魔人

「……ゲホッ、ガホッ、グハッ」


 喉を通り、下っていく、熱い異物感にむせ返りながら、ぼんやりとしていた意識がハッキリしていくのを、神に仕えし騎士は感じた。


 意識が回復すると同時に、全身に走る痛みも感じることとなり、苦鳴をもらしつつも、重いまぶたを開け、何がどうなったのか、現実を直視する。


 彼女がまず目にしたのは力なく垂れ下がったピンク色の触手だった。それも一本ではなく、七本も。


 思考がクリアになってきた彼女は、それだけで現状の窮地を悟り、顔を苦痛に歪めながら、剣を杖の代わりとして、震える足で立ち上がると、視線を巡らして、最悪の想像がそう間違っていなかったことを知る。


 大ダメージを受け、気を失っていたミルシースが無事なのは、今、前に立っているジンが、ズタボロになりながらも庇ってくれているからだ。


 そして、ミルシースというお荷物がいるとはいえ、暗黒皇帝の作品をそこまで追い詰めているのは、ただ一体の悪魔。


 一メートルほどの大きな黒いドクロの下には、骨が一本も無く、そこから伸びるのは、大蛇の胴体を連想させる、太く長い闇という奇怪なものだった。


 その悪魔は口から凄まじい闇の波動を放ち、その威力たるや、人も馬も一撃で殺し、とっさに馬から降りて直撃を避けたミルシースですら、かなりの深手を負った。それを数度と受けて生きているジンの異常さは今更だが、それとてもう二、三発で尽きるだろう。


 無論、ジンとてやられっ放しではない。ミルシースが背後にいるから自由に動けないが、それで開き直ったか、無駄に守ろうとせず、完全に足を止めて攻撃に専念した。


 魔の攻撃をすべて受け止めつつ、触手で打ち据えるか、その先から白濁汁を浴びせたが、悪魔の張る闇の障壁に阻まれ、そのことごとくが防がれる。


 絶望的な戦いから視線を転じれば、そこも酷いありさまだった。


 愛馬を失ったセリエールが三人にまで減った義勇兵と共に、三体の悪魔と渡り合っている。悪魔の内、一体はドクロの杖を持った黒骸骨であり、もう二体は両手の指の長さがどれも二メートルはある黒骸骨で、女騎士がいるにも関わらず、人の側が攻めあぐねている。


 二体の悪魔が二十本の指を踊らせ、四人の接近を阻む。セリエールの腕と得物ならそれをかい潜るのも不可能ではないが、後方の悪魔が彼女に集中的に術を放ち、常に牽制しているので、前に踏み出すきっかけがつかめないでいる。


 明らかにジンを助けられる状況ではなかった。それどころか、一本一本は大した攻撃力はなくとも、その数の多さにすべてをさばき切れず、義勇兵らが少しずつ傷ついており、じわりじわりとセリエールたちは追い詰められている。


「気がつきましたか、ミルさん」


 大苦戦の最中というのに、背後で起き上がった気配を感じたか、さすがに振り返ることなどできはしないが、全身が血まみれのジンがミルシースを気遣う。


 風前の灯火であっても変わることのない人で非らざる存在の態度に、神に仕えし騎士は苦笑しながら、


「ああ、酷い気付けだったぞ。わずかでも薄めず飲むのは、本当にキツイ」


 気を失っていたが、何をされたか想像がつく。戦闘中の不利を承知で、触手の一本を口にねじ込み、白濁汁を少量だが飲ませたのだろう。


「すいません。余裕がなかったもので」


 ジンがわざわざ謝らねばならないことをしたのは、全滅を避けるために、それ以外の手立てがないからだ。


 ミルシースはボロボロの状態で、力なく穏やかな笑みを浮かべ、


「まったく、これが私のファーストキスか。おまけにディープキスときた」


「すいませんすいませんすいません。このお詫びは命にかえてもさせてもらいます」


「言われるまでもない。本当にそうさしてもらうぞ」


 言いながら、最後の聖石を手にし、痛みをこらえて精神を集中させていく。


「聖なる石よ! 傷つきし者を癒したまえ!『ホーリー・キュア』!」


「なっ!」


 癒されていくジンが驚くのも無理はない。ミルシースが自身の負傷を放置したのだから。


「何故?」


 女聖騎士が自らを癒し、女騎士らの加勢に行けば、三体の悪魔が倒せ、五人が助かる。それが触手を持つ異形の計算であった。


「ジンよ。私が突っ込み、わずかだが時を稼ぐ。その間に汝は逃げよ」


 ジンの計算を承知の上で、ミルシースは違う答えを出した。


 単純に助かる数なら、ジンの計算が上ではある。が、ミルシースからすれば、自分やセリエールを含めてどれだけ助かろうが、暗黒皇帝の作品が死んでは意味がない。そうなれば、逆転の目が消えるからだ。


 純粋な戦力だけでも、ミルシースたちはジンの足元にも及ばない。そして、そのジンがまるでかなわない悪魔がいる。ちなみに、そこに回復したミルシースやセリエールらが加わっても、この悪魔を倒すのは不可能。それほどに強力な相手であるが、魔を一匹、残らず駆逐しない限り、ガイア帝国の平和は回復しないのだから、何としても倒さねばならず、その可能性があるのはジンのみしかいないのだ。


 一対一ではかなわなくとも、同類を連れて来るか、あるいは暗黒皇帝を動かせれば、この程度の悪魔が倒せるだけではなく、魔との戦争が一変する。


 無論、一国を動かすなどまず無理な話であり、ミルシースやセリエールではそもそも話し合いすら成立しないだろう。対して、ジンなら首を差し出す覚悟があれば、低くとも創造主を動かせる可能性だけはあり、最悪でも話し合いはできる。


「この場をしのいでも、次に苛烈な戦いがあれば、どのみち命を落とす。だから、ジンよ、気にせず、私たちが無駄死にとならんよう計らってくれ」


 よろつきながらも、ミルシースは剣を構え、悪魔の標的になりによろよろと突っ込む。


 女聖騎士のスローな動きに合わせて、黒いドクロが向きを変え、闇の波動を放ち、十七歳の乙女の死にジンは背を向けて走り出す。


 ようなマネができるわけなかった。


 ミルシースの期待とは逆に走り、彼女に抱きついて押し倒し、その身と触手で覆い被さり、闇の波動から守る盾となる。


「ジン、今からでもいい。逃げてくれ。汝にまで犬死にされたら、それこそ無意味すぎる」


「できません! すいませんすいません、本当にすいません!」


 悪魔の攻撃に大ダメージを受けたジンは、すまなさそうにミルシースの懇願に謝罪しながら頭を左右に振り、彼女を抱えて立ち上がるや、セリエールの元へと走ろうとする。


「汝、犬死にだけは……犬?」


 異形にお姫さま抱っこされた十七歳の乙女は、同性同年齢の方に目を向

け、その視界の端で一匹の黒犬がこちらに駆けて来るのに気づく。


 ワオオオン!


 対する魔が一体も倒せないまま、ついに一人となったセリエールに、子馬ほどの大きさの黒い大型犬が迫り、猛々しい咆哮を放って三体の悪魔を砕き、九死に一生を拾った女騎士の傍らを駆け抜け、残りの悪魔へと疾駆する。


「ズン、しばらく頼みます! セリさん! ミルさんを頼みます!」


 ワオオオン!


 黒犬が放った咆哮を悪魔が闇の障壁で防いでいる間に、二本の触手を引きずりながら、槍を手にする少女の前に剣を手にする少女を横たえるや、すぐさま踵を返して自分を上回る魔へと突進する。


「ミ、ミル、何がどうなっているんだ?」


「わからん。が、手と肩を貸してくれ。人あらざるモノの戦いだ。近くで巻き込まれたら、余波で死にかねん」


 戸惑うセリエールを促し、ミルシースは肩を借りると、触手と犬と魔の戦いから距離をとる。


 二人の少女が背を向けた戦場で、犬一匹の参戦により、魔の一方的な展開が一変していた。


 ジンの動きは鈍くない。それどころか、身のこなしではミルシースやセリエールより俊敏だ。足手まといがいない今、フェイントを交えた素早い動きで、悪魔に的を絞らせないように努める。


 総合的には触手や犬を上回る悪魔だが、欠点がなくはない。その一つが攻撃も守りも一方にしか展開できず、一度に二つの目標に対処できない点だろう。特に、ズンという黒犬はジンより速力と小回りで勝り、何より優れた跳躍力で立体的な動きも加わっているので、しばらく魔はそれに振り回され続け、手遅れを招いた。


 ジンとズンの動きに大半は対応したが、両者の連携やフェイントに幾度か隙を作らされ、そこにどちらかの攻撃を食らい、悪魔の骨にヒビが生じ、その身の闇が薄くなっていき、じり貧と悟った時には、ダメージが積み重なりすぎていた。


 すでにジンは相当のダメージを受けていたのだ。そちらを集中的に狙えば、まだ勝機があったかも知れない。が、悪魔は双方を闇の波動で攻め、闇の障壁で防ごうとして、結局は触手の乱打か魔を砕く咆哮、どちらかの攻撃を受け続けた。


 ジンもズンも闇の波動を何発か受けたが、マトモに食らうのだけは避けた。とはいえ、元が強力な攻撃なため、七本の触手が垂れ下がり、左の後ろ足を引きずる状態に追い込まれ、そこでトドメの咆哮が決まり、人外の戦いは魔の敗北で幕が下りる。


 が、勝者に安息は許されない。この場から魔がいなくなった以上、それに気づいたジェフメル市の市民が遠からず戻って来るだろう。ズンはまだごまかしようがあるが、すでにジンの正体は多くの者に見られているので、騒ぎとなるのは目に見えている。


 無用な混乱を避けるため、話し合うべきことは棚上げにして、傷だらけの四名は暗黙の了解の内に、悪魔に崩された北の市壁へと歩き出す。


 負傷した重い体を引きずるようにして。



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