七話
「ふむ。寸前で羽虫が入り込んだか。とはいえわらわの吐息を浴びて生きておられる者はいまい。仲良く消し炭になっておろうぞ」
クローディアは、自分の放った火炎の吐息に満足しながら、立ち上った煙を宙から見下ろした。岩の地面には残り火が跳ねまわり弾けてその殲滅力を物語っている。
「見ればあの金色の鎧を身に着けた女子はそなた等の精神的支柱のようだな。それが無様な姿に変わっておれば絶望もひとしお。小うるさい勇敢さなど霧散してしまうにちがいあるまい」
それで討伐部隊などというふざけた連中は終わる。
あとは煮るなり焼くなりこちらの自由になるに違いない。
そう思った。
煙が晴れたら。
そして待ち望んだその時が、急に吹いた熱波によってもたらされた。
クローディアは高らかに哄笑した。
「さあ、そなたらの希望が潰える瞬間をとくと見るがよい!」
そこには無傷の男と、それに庇われたベアトリクスがぽつりと立っていた。
「あれ?」
おかしいなことであるぞ。消し炭になってるしかるべしであるのに。あやつらは五体無事にみえるぞ。
クローディアは首をかしげた。
「何を見てんだ」
しかし男は、普通に立ち上がり、クローディアの視線に気づくとそれをキッと見返した。
「ん?」
うむ。やはりおかしなことである。消し炭どころか反抗心むき出しであるぞ。
「まったく。危うくやけどする所だったじゃないか。どうにか無傷だけど、一つ間違えたら大けがじゃすまないぞ」
その言葉にぎょっとする
「え? …………、あれ?」
あやうくってことは、つまりやけどすらしていないということかえ?
クローディアはまた首をかしげた。
「いくら龍とはいえ弱ってる人間を攻撃するなんてどういうつもりなんだ」
注意してくる男の言葉をよく理解できなかった。
「えっえっ? あの。わらわのブレスは三千度を超す猛火であるぞ?」
普通であれば耐えられる理由は無い。
だが目の前の男は事実として無事に立っている。その意味が分からなかった。
「だから。そんな危ないものを噴きかけてくるなって言ってるんだよ」
はて。この者は何を言っておるのだろう。
クローディアはぽかんとした。
意味は分からないが、ともかくとして彼らが無事なのは事実だ。
「ほれ」
であれば攻撃を再開する。それが龍としての矜持だと思いクローディアは再度火炎を吹いた。
「ええいうっとおしい」
しかし身を焼き尽くすはずの業火は、蝋燭の火を吹き消すようにあっさりといなされる。
「あらあらあらあら。ちょっと待つのだ。落ち着くのだ。お主、たった今我の吐いた火炎にその身を飲み込まれたはずであるな。本来なら消し炭なってしかるべしだが、お主は何故無事なのだ」
「だから。二千度の炎の渦に包まれて危うくやけどする所だったってさっきから言ってるだろ」
こやつは何を言っておるのだ。
「え? わらわ意味わかんない。超何ゆえって感じ。なに? 言葉ちゃんと通じてる? ワッツ? ホワイ? ドーユーアンダスタン?」
クローディアは驚いた。
「分からない奴だなまったく」
「うそ。わらわ呆れられてる? おかしいのわらわじゃないのに。おかしいよそれ」
「でりゃー」
突然、兵士が叫び声をあげて飛び掛かってきたかと思うと、大剣で切りつけてくる。
「ってアブッ! 戦士がいきなりわらわに切りかかってきた。すんでの所で神業的な回避したけどアブッ。宙に浮いててマジ良かった。ていうか当然だよね。わらわ今隙だらけだし。呆気ににとられ過ぎだし、そりゃ不意打ちもしたくなるよでも許さぬ!」
カァ、とクローディアはブレスを吐きかけた。
「ぎゃー」
兵士は悲鳴を上げて地に落ちる。
咄嗟だったので致命傷の威力は込められなかったが兵士は確実なダメージを受けていた。
「あ、見てこの戦士ひん死。消し炭寸前。ふつうブレス喰らったら封炎の魔法陣内でもここまでダメージ負うよね。良かった。わらわ何か間違えたのかと思った。無意識に威力セーブしてたとかじゃなかった。じゃあもう一回いくね」
クローディアは、今度はバッチリと深呼吸してから全力の力を込め、火炎を吐いた。
「おい何すんだ」
しかしそれを受けたはずの男は平然と立っている。
「はい無傷。ですよね。無傷当然。わらわ何となく分かってた。炎が当たった瞬間いつもと感覚が違ったもん。あ、無事なんだろうなって。思ったもん。その方が面白いもんね。はは」
「ったく、突然猛火を噴きつけてくるなんて常識はずれな事をするな」
「ついにわらわ叱られちゃった。三百年も生きてる龍なのに二十歳そこそこの若造に叱られちゃった。へへ。意味わからな過ぎてちょっと泣きそう。蒸発しちゃうけどね。暑いから。泣いても涙はすぐ乾いちゃう」
「泣いてもいいんだぜ」
あまりに意味が分からないのでぽつりと零した泣き言を、男はしっかりと聞いていたようで、しかもそれに理解を示したかのようにふっ、と表情を緩めた。
「え」
「悲しい時に人は泣くもんだぜ。そうできてるんだ。一人じゃ泣けないってんなら俺の胸でよければいつでも貸してやるからさ。感情のままに自分を解き放てよ」
男はやにわに両手を広げた。まるで飛び込んで来いと言いたげである。
「わらわ龍だけどね。うん。おもむろに両手広げられても飛び込んで行かないしその胸で涙を流したりしないよ。わらわ強い子だからね」
やだなに。ホント意味わかんないんだけど。
言動も、炎の通用しない様子も何もかも意味不明だった。
こんな人間は今まであったことがなかった。
「ばか。強がるなよ」
「うわ。ついにわらわを馬鹿呼ばわりだよ。しかもすっごく優しいトーンで言われたよ。そっちが馬鹿だよ。いいや。もういっそう飛び込んで行こうかな。逆にね。胸に飛び込んで行ってみようかな」
「さあこいよ」
「うん行ってみるよ。じゃちょっと失礼……。あ。意外と良いかも。男ってもっとごつごつしてるのかと思ったけど案外優しく包んでくれる気がする。忘れかけてた父親の温もりを思い出すかも。わらわ卵生だけどね。生まれた時母上しかいなかったけどね。じゃあ折角懐に入り込んでみたし噛みついてみよっかな。ガブッ」
剣先のように鋭い歯でもって男の腕にかみついてみる。
「いてて」
しかしちょっと歯形が残っただけでそれ以上は噛めなかった。
「っぷは。やっぱり、いてて、で済んじゃう程度なんだね。わらわ一応大岩とか噛み砕けるんだけど。そなただと、いてて、で済むんだね」
「ほら。怖くない。怖くないぞ」
「怖いよ。割かし恐怖だよ。頭とか撫でられたくらいじゃ落ち着かない程度には錯乱中だよ。あーでも、もういっかなー。なんか。どうでもいっかなー。このままなし崩し的に人間に降伏しちゃおっか。だって勝てる気しないもん」
「うちの子になるか?」
「ああうん。もう。なるなる。うちの子ってどこの子か知らないけどなるよ。なんかもう疲れたし」
身体がなんだか途方もなく疲れていた。思考が空転しすぎたせいかもしれず、なんだか成り行きに任せた方が良い気がした。
「というわけなので、龍討伐を完了したぞ」
男は周囲に向かって言う。
「え、あ……うん」
ベアトリクス以下、討伐隊の面々はなにか呆れた表情で力なく頷いていた。