四話
シーンとした静寂が洞窟内に響いた。
俺が明かしたベアトリクスの素性により、周囲には先ほどとは違う種類の沈黙が流れた。
皆なにをどう言っていいのか分からず、お互いの顔を見ながらただ時が過ぎるのを待っている。
俺自身の心持としては、針のむしろのような立ち位置にいて、自分の赤裸々な過去をさらした気恥ずかしさがあったが、それよりも何もかも解放した清清しさの方が大きかった。
「言っておくが、俺は何も、報奨金目当てで付き合おうとした事を正当化するつもりは無いんだ。ベアトリクスとどうして恋人にならないのかを説明しただけだ。ただこれだけは訴えたい、あの日、バスケ部の練習から帰ってきた俺に与えられたショックの大きさ、そしてその後に受けた仕打ちを考えれば、報奨金は決して高くない慰謝料だと思う。もちろん価値観はそれぞれだからどう思おうと皆の勝手だから、責めたいものは責めてくれて結構だ」
こういったが面と向かって罵ってくるものはいなかった。そんな気が無いと言うよりは戸惑っている気持ちが多くて言葉が思い浮かばないのだろう。
俺はふと、ベアトリクスが気になった。
ちらりと彼女の方を見ると青い顔でぶるぶると震えている。
「……………ミっちゃん、知ってたの」
「ああ。お前が寝取られ劇場の主演女優をやってたことは知ってる。相手役もな」
「ど、どれぐらい」
「さあな。全員というわけにはいかないだろうが、『彼のベッドでするといつもより感じる』と言った相手と『出来てもいいから中に頂戴、彼の子どもとして育てるから』と言った相手のことは知ってる」
「はうっ」
ベアトリクスはがっくり膝と手をついてがっくりと頭を垂れ四つんばいになった。
ソンナマサカバレテイタナンテ、とぶつぶつと呟く声が聞こえてくる。
その様子を見て、周囲の者たちは俺が話したことが真実であると理解したようで、ひそひそとそれぞれ噂し合った。
主にベアトリクスについてこれまで気づいてきた英雄としてのイメージと実際の彼女の様子の差に戸惑いを覚えた感情を話し合っているようだ。
「ごめんなさい」
ベアトリクスがいきなり言ったのでそちらを見ると、潤んだ瞳が見上げてきた。
「お願い許して、本気じゃなかったの」
何を言うのかと思えば謝罪とは、俺は少し驚いていた。
「いや。許す許さないじゃないだろう」
「本当なの信じて。我はそんなつもりなかったのに向こうが勘違いして」
「それは嘘だな。お前、あえて俺の周りばかりにちょっかい出してたろう」
「だってそれは、ミっちゃんが誘ってもノってきてくれないから、ああすれば少しは意識してくれると思ったんだもん」
「あらあら、俺のせいにしちゃうのか」
俺がそう言うとベアトリクスはちょっと強気な顔になった。
「心が繋がってれば浮気じゃないもん。本気なのはミっちゃんだけで、後は単なるニアミスっていうか勘違いで。ミっちゃんのこと大好きな気持ちは一ミリも減ってないよ」
「いや。別に浮気どうこうを責めているつもりはない。そもそも俺たちは付き合っている訳でもないから、ベアトリクスが誰とくっ付こうが離れようが、くっ付いたり離れたりを繰り返そうがどうでもいいんだ」
「そもそもさ。ミっちゃんにも悪い所はあるよね?」
「は?」
「だって。我がどれだけアプローチしても気付かないし、貴族のお嬢様とか純潔エルフとか妙なのばっかりに好かれるんだもん。少しは我の気持ちも考えてほしいよ」
「ついには考えろときたか」
「それに。恋人になってからは浮気してないし、過去は過去ですっぱり分けて考えてもいいじゃない」
「してるじゃないか」
「へ?」
「浮気だよ。この旅が始まってからもしてるだろ」
俺の言葉に周囲がまたざわついた。
彼らもその意味に気付いたのだろう。
龍討伐の旅が始まってからは常に軍一体となって一緒に進んでいたのだ。荒れた旅路の途中では他の旅人と出会うこともない。つまり、ベアトリクスの浮気相手は隊の中にいるのだ。
皆、それぞれ顔を見やる。
「そ、そんなのデタラメだし」
ベアトリクスが目を泳がせながら言った。
「じゃあ、バラしてもいいんだな?」
「え、ちょ、ま」
「まず。制圧部隊のハンス」
俺は制止の声を聞かず名前を読んだ。
皆が一斉に一人の人物に注目する。赤毛で細見のその男は必死に明後日の方向を見ながら大汗をかいている。
「同じくボロネーズ、ピッチカント、ファラウェイ」
ざわつく声が大きくなる。一人じゃないのかよ、と誰かが呟いた。
名前を呼ばれた男は集団の中で自ら存在を証明するように慌てた行動をとったのでよく目立った。
「続いて、重装部隊のロートレック」
俺の点呼はまだ終わらない。
「ヴァイロンにハーヴェイ、田中、長谷川、ロック、ウルフ、ガバチョ、ブルックリン」
重たい鎧のがちゃがちゃとこすれあう音が響いた。逃げ出すように離れていく者もいる。
「ちなみにどうして浮気に気付いたのかだが、というか、気付かない方がおかしい。ベアトリクスは常に俺の眠るテントの横で行為をしていたからだ。いつだったか、『声が聞こえるかもと思うと興奮する』というベアトリクスの言葉を聞いたことがある」
ベアトリクスは四つんばいの恰好のまま、ゆっくりと逃げようとしている。その尻を軽くつついてやると蜂に刺されたように身体がのけぞってそのまま悲鳴を上げながら転がっていった。
「ああ。俺は別に今名前を挙げたやつらを怒っているわけじゃないから安心してくれ。あくまでもこの話は俺がベアトリクスと恋人関係ではないと証明するために言っただけなんだ」
集団の中で何人かがほっと息をなでおろした。
当事者がいなくなったことで、この珍妙な会合は終わろうとしていた。
周囲を取り囲んでいたもの達は少しずつ散り散りになる。
今は龍との最終決戦を前にした大事な時なのだ。
「重装部隊が多いのはやっぱ筋肉質が好みなのかな」
「匂いフェチなんじゃない。あいつらだいたい臭いし」
「封炎部隊が一人もいないね」
「あいつらオタク臭いからね」
だが交わされる会話はとんと的外れだった。