三話
※後半少しだけ性的な描写アリ
「盗み聞きしてしまったのは謝る。隊長殿とお前が争っていたように見えて気になって来たのだ」
しばしの沈黙の後、ベアトリクスが呟くように言った。
「いや。別に喧嘩していたわけじゃなくて、ちょっと言い合いが白熱しただけで」
「そうか。それで…………その、だな」
ベアトリクスは口を濁した。かち合っていた目線をそらして、意味も無く空咳を繰り返す。
先ほどの言葉の意味を問いただしたのだろうが、内容が内容だっただけに直接聞く勇気が出なかったのかもしれない。
「ああいや。済まないなタダミチ。一つ、確認させてくれ。私とお前は、その……、恋人同士でよいのだよな」
意を決したようにベアトリクスは言う。
「……………」
俺はつい答えられずにいた。
沈黙の回答を察したのか、ベアトリクスの顔色が変わった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。私たちは共に将来を誓い合った仲じゃないか。この旅が始まる前に私が想いを告げて、それをお前が受け入れてくれた、そうだったはずだ」
「うん。まあ。それは」
「で、ではどうして、恋人同士だと問われて否定するような態度を取るのだ。意味が分からないぞ」
「あー、いや、その、うん」
「どうして言いよどむのだ。はっきり言ってくれ。お前は、タダミチは私の恋人で、私を愛しているのだろう」
声色が悲しみを帯び、歎願するようにベアトリクスが言った。
その表情は普段の凛とした態度からは想像できないほど取り乱したもので、その必死さを伝えようとしていた。はぐらかして逃げるというのは無理そうだった。
「じゃあ、はっきり言うけど」
「ああ」
ベアトリクスはごくりと唾をのむ。
「別に愛してないし、恋人同士だとも思ってない」
俺はきっぱりと言った。
「そんな」
ベアトリクスは嘆息と共にがっくりと膝をついた。身体の力が抜けたようで、手をついて支えなければうずくまってしまいかねないようだった。
周囲がざわつく。
装備を整えていた隊の者たちがこの異常なやり取りに気付いて野次馬的に周りを取り囲みつつあった。その中心で膝をつくベアトリクスと俺に注目しているようだった。
「おいおいなんだ痴話喧嘩か」
「いやどうやら振った惚れたの話らしい」
と早くも噂をささめきあっている。
「では」
ベアトリクスが苦悶の表情で見上げてくる。
「どうして旅立ちの前日の告白を受け入れてくれたんだ」
「あー、それはだな」
「この際だ、はっきり言ってくれ」
まだ龍を目にすらしてないのに、すでにベアトリクスは息も絶え絶えと言った様子だ。
それに追い打ちをかけるようなことは流石にためらわれたが、ここまで来て置いて何となくではこの場の誰も納得はしないだろう。
周囲を見ていても、逃げ場がないように取り囲まれている。
俺は腹をくくって口を開いた。
「討伐隊の志願者家族には報奨金が支払われるのは知ってるな」
「ああ。危険な任務だ。手当がつくのは当然だな。家族には受け取る権利がある」
「その支払対象に続柄は問われない。つまり、結婚していない相手でも恋人同士であれば構わないというわけだ」
「ミっちゃん。…………まさか」
ベアトリクスはあんぐりと口を開いた。
「うん。お金目当て」
俺がそう言うと、ベアトリクスはその恰好のまま固まった。
どうやら口をきけないほどのショックを受けたらしい。だがそれで反論が無かったのかというとそうではなく、代わりに周囲を取り囲んだ討伐隊から苦情の声が上がった。
「なんという卑劣漢だ。金のため女性の想いを踏みにじるなど。貴様それでも人間か」
「サイッテー。あたし、タダミチってそんな男だと思ってなかった。女をなんだと思ってるのよ。せっかく好きに、なりかけてたのに。この気持ち返して」
「おいおい。これだからおモテになりあそばれるお方って奴は、非道いねえ。女を金づるあつかいとはこりゃまいった」
口々に俺に対して暴言が吐かれる。
「ええいうるさいうるさい。こちとら労せずお金が貰えるってほくそ笑んでいたのに、ベアトリクスが何を血迷ったのか恋人であれば一緒に来いだなんて言うから散々な目にあってるんだキツイ毎日に明け暮れるてよ。あれっぽっちの報奨金じゃ割に合わねえよ」
と反論したが、群衆から帰ってきたのは最低の連呼だった。
場は圧倒的に一対他。当然と言えばそうだが俺の味方は誰もいない。
隊長ですらバーカバーカと子どものように言葉を投げかけ、アッカンベーを繰り出している。
この喧噪を鎮めたのは、ベアトリクスだった。
「皆、もういいやめてくれ。いいんだ。例え嘘の愛でもあの時の私は確かに幸せだった。それは紛れもない事実だよ。そしてその幸せを糧に私は平静で居られる。皆が怒る必要はないのだ」
ベアトリクスは立ち上がると笑顔を浮かべて行った。だがその顔色は青いままだ。
無理して作った微笑みであえて明るく喋った様子が、気丈な振る舞いに見えたようで、ベアトリクスへの憐憫の想いはなおさら俺への敵意へ変わった。
「こんな良い娘をどうして受け入れてやらないんだ」
誰かが言うと、皆同意したようにうなずく。
どうやら彼らは美人で儚くて健気でいじらしいベアトリクスと付き合わない理由を求めているらしい。確かに俺も、彼らの立場にいれば同じことを思ったかもしれない。しかし、ベアトリクスと幼いころから共に過ごしたゆえに分かる彼女のマイナスがどうしても首を縦にふらせないのだった。
「だって。ベアトリクスはとんでもない浮気性なんだぜ」
「え?」
揃った疑問の声が周囲から壁のように上がる。
「ちょちょちょ、ちょま、ミっちゃん! ちょっとまって、なにそれ」
ベアトリクスが慌てて口をふさごうと手を伸ばしてくる。
どうやら言われたくない事の様だが、俺も悪人のままではいられない。
「まず言っておくが俺は最初からベアトリクスを拒んでいたわけじゃない。コイツはこの通り容姿がいい。頭も器量も人並み以上の自慢の幼馴染だった。だが大人になるにつれその本性が分かると次第に心の距離が離れて行ったんだ」
最初に疑問に思ったのは、中学校に通っていた時分だった。
当時はまだベアトリクスに対して淡い恋心を抱いていた時期で、しかし幼馴染関係の気安さから好意を口に出せないまま過ごしていた。
俺はバスケットボール部に所属していて、ベアトリクスは同じ部のマネージャーだ。
俺は彼女に良い所を見せようと毎日練習に精を出した。
朝練に昼休み、部活終了後の自主練と日々明け暮れていた。
ある日のことだ。前日から少し熱っぽさを感じてた俺は部活後の自主練をやめて家に帰った。
するとおかしなことに俺の部屋の電気が点いているのが外から確認できた。
我が家は両親が留守がちで、ベアトリクスが晩飯を作ってくれてるなんてことがあったから、今日も彼女が来ているんだな、と思った。
ふと、いたずら心が湧いてこの時間に帰ってくると思っていないベアトリクスを驚かしてやろうと忍び足で家に入ったんだが、それがいけなかった。
俺の部屋の扉をゆっくりと開き、中を見た。
すると、俺のベッドでベアトリクスが裸で男と寝転んでいた。
俺は最初何を見ているのか分からなかった。
茫然とただ中を覗いていると「タダミチ」と男が言ったんだ。
心臓が跳ね上がったがどうやら俺を呼んだわけじゃなくてベアトリクスに話しかけていたらしい。
その声で、男が同じクラスの友達だということが分かった。
「タダミチは本当にまだ帰ってこないのかよ」
するとベアトリクスが聞いたことの無い艶めいた声で答えた。
「平気よ。かれったら今頃はバスケットボールをこね回している時間だもの」
「へー、それで幼馴染のお前は俺のタマをこねまわすってわけか。さすが以心伝心だな」
「あん。ちょっと。もう今日は駄目よ。匂いが取れなくなるでしょ」
「いいじゃねえか。ばれやしねえよ。タダミチが鈍感野郎だって言ったのはお前だろ」
「彼をけなさないでよ興奮しちゃじゃない」
「へへ、じゃあもっと言ってやるよ。お前は、幼馴染が自分に惚れてることを知っていながらその男の部屋で他の男と寝る淫乱で、タダミチはそれにまったく気づかないマヌケだ」
「抱いて!」
と、三流エロ漫画みたいな寝取られ劇場が俺の部屋で繰り広げられていたのだと気付くと、ベアトリクスへの想いはすっぱりと霧散してしまったわけだ。
ベアトリクスはそれからも俺に隠れた付き合いを繰り返した。
相手に選ぶのはいつも、俺に関わりを持った相手で、担任教師、後輩、バイト先の店長、お隣さんなど様々。一番酷かったのは高校時代に同じクラスの男全員と交わったことだ。
ベアトリクスは俺に気付かれてないと思ってるようだけど、まあ、だいたい知ってるよ。
「というわけで、ベアトリクスは俺の周囲の男を喰いちらかす悪女ぶりを発揮して、見事俺からの軽蔑の想いを実らせたんだ」