二話
「まったく」
呟いてみたものの囃し立てられた気分は抜けない。
「まあそう怒るな」
それを聞きつけたのは部隊の隊長だった。
「皆命を落とすかもしれない任務に挑む前だ。緊張が張りつめたままだと体の前に心が持たん。それをベアトリクス殿はほぐしてらっしゃるのだよ」
「団長さん……。それなら分かりますけど」
老齢の頃合いに差し掛かってもその眼差しは生気に満ちていて、その声色には説得力がこもっていた。
確かにこの人の言う所も合っているのかもしれない。
集会が終わって最後の装備確認をする兵士たちを見た。
その雰囲気は物々しいが、悲壮な物ではなかった。
緊張をほぐす、というかミンチ状にするためのベアトリクスの言葉が効いているのかもしれない。
「ベアトリクス殿も勇者だ英雄だと称えられてはおっても女子だ。
女王陛下から賜った失敗の許されぬ任務を背負うにはその双肩は細すぎる。
恋人であるそなたを行軍の一員に加えたからと言って文句を言う者おるまいて」
「いえ、恋人ではないです」
隊長の言葉に概ね賛成だったが、一つだけ納得がいかない部分が有った。
「ベアトリクスとはただの幼馴染です」
それは紛れもない事実だった。しかし隊長はそれを信じる様子はなく。
「なあに照れることはあるまいて。彼女の言葉を聞いていればその関係は自明の理。無理に隠し立てすることは必要ないぞ」
と逆に恥ずかしさから嘘を言っているようい捉えたようだ。
「いえ、ただ小さいころから一緒に育っただけですから。
彼女とは家が近所で、同い年くらいの子どもが他に居なかったから親しくなったんですけど、
友達感覚が強いので付き合うとか、そういうのとは違います」
「はっはっは。いくつになろうとも女関係をからかわれれば否定するのは変わらぬな」
「いやいや。本当になんでもありませんて」
「頑なじゃな。何故そこまで否定するか」
隊長の表情がちょっと厳しいものに変わる。
あくまでもベアトリクスとは幼馴染関係であり、それ以上の想いはない自分としては、その厳しさがちょっと踏み込み過ぎだった。
「頑なでもなんでも、違う事は違いますから」
「タダミチよ。確かに今の時代は混沌としておる。
魔物による被害が後を絶たず、干ばつや風害、都市の砂漠化と栄えある時代から比べれば落ちぶれた時期かもしれん。
若者が未来に希望が持てぬ気持ちも分かる。
だがな。ワシは思うのだよ。こんな時代だからこそ絆が大切になってくるのだと」
「はあまあ。その意見には賛成です」
「うむそうであろう。
時勢の荒波は一人で超えるには厳しいものかもしれん。
だが、愛する者と一緒であれば成し遂げられる可能性はずっと高まる。
愛は時としてどんなものよりも強い力を与えてくれるのだよ」
「そうですね」
「であればタダミチ。そなたとベアトリクス殿は愛し合っているわけだから」
「ちょっと待て。だから。ベアトリクスとの間にあるのは友情であって、愛情ではないとさっきから」
「はあ。まあ落ち着け。とりあえず一息おこうではないか」
隊長殿はちょっと声を潜めた。
「ここだけの話じゃが、お主とベアトリクス殿との関係は隊の士気にも関係しとる」
「どういう意味ですか?」
「この行軍は命を落とすやもしれぬ旅路。
ともすれば絶望が背中に付いて回る死出の歩みじゃ。
そんな兵たちの心の支えと言えば、故郷に残してきた恋人や家族親友といった者達。
その者たちのためが安寧に暮らせることを思えばこそ辛い旅路を耐えられるのだよ」
「その気持ちは分かります」
「そうじゃろ。
だが辛苦に満ちた戦いはその安らかな日常を曇らせる。
命の消耗が、何のために戦うのかという気持ちを削ってしまうのじゃ。
故郷を出てから幾日が過ぎた?
皆、愛するもの達の姿もぼやけ始めておる。
そこでお主とベアトリクス殿だ」
「なんでそうなる」
「まあ聞け。そなたらのバカップルぶり。
主にベアトリクス殿のデレっぷりじゃが、それは旅の始まりから受け入れられていたわけではなかろう」
「俺は今も受け入れてませんが」
「最初は、ふしだらなとか気が抜けていると馬鹿にしておった。
ベアトリクス殿を軽んじる者もおった。
だが今はどうじゃ。
皆がお主とベアトリクス殿のいちゃつきっぷりに食いついておる。
重ね合わせているのだよ。
自分と故郷の恋人を、そなたとベアトリクス殿に」
「そんな迷惑な」
「愛する者を思い起こさせる関係が隊に与える影響。
これがいかに大切か分かってもらえたと思う。
その上でもう一度問うぞ。そなたとベアトリクス殿は恋人であるな?」
「違います」
俺はきっぱりと言った。
「ええい小癪な。認めろったら認めぬか! 二人は恋人関係であろう!
だいたいなんじゃ。幼馴染なんて付き合ってしかるべしの関係じゃろうが。ワシだったら絶対に付き合っておるぞ」
隊長はキレ気味に声を上げた。
「うるせえじじいだな。違うつってんだろが。あんたのことなんざ知るか」
それにつられておもわずこちらの声も大きくなる。
「あ、ワシ切れたぞ。ワシがここまで怒ったからには何が何でも認めて貰うぞ」
苦味が走った渋い声で、ガキのようなことを隊長は言う。
「しつこいぞ。なんでそこまで認めさせたがるんだ」
「そのほうが面白いからじゃ!」
「あてめえ、自分のためかよ。だったらてめえでベアトリクスと付き合えばいいだろうが」
「無理なの! ワシ、もう枯れちゃってるの!
呪われたの。若い頃あちこちに手を出し過ぎたから、怒った女に呪われてもうだめなの!
英雄色を好み過ぎたの!
だから若い子の話を聞いてラブ分を補給したいの!」
「知らねえよそんなこと。
何でおれがじじいの興味をそそるため好きでもない女と付き合わなくちゃならないんだよ」
「え?」
「え、って、え?」
背後で息を呑むような声が聞こえたと思い、振り返るとベアトリクスがいた。
「ミっちゃん。いやタダミチ。好きでもないとはどういうことだ? 今なんの話をしていたのだ?」
「あ……。いや。なんでもない」
「やべえ」
隊長はそう言うと脱兎のごとく逃げ出していった。
取り残された俺とベアトリクスの合間に妙な沈黙が流れた。