金曜日
結局、昨日は彩乃に声をかけることができなかった。
現実は甘くない、いくら自らが努力してもどうにもならないことが多すぎる。彩乃は現状を変える方法を知らず、自らが変われば周りの人間も変わってくれると信じていた。しかし、その努力が報われることはなかった。結果としては自らが努力することにより、自分が望む方向とは違う結末を招こうとしていた。彩乃は現状を受け入れることを拒否し引きこもっている。でも、誰も彩乃のことを非難できないはずだ。自分の力ではどうにもならないなら受けれるしかないと言うが、そんなのは無理だ。どうしたって納得できないことはある。受け入れられないのなら目を背けるしかない。無視するしかない。ないことにするしかない。
自分も過去に逃げたことがある……
今日も朝から雨が降っている。鬱陶しい雨のせいで気持ちが沈む。そうだ、雨のせいで気持ちが沈んでいるんだ。そう思いたかった……
「自分をごまかすことはできないか……」
小学生の時、僕は彩乃を無視した、遠ざけた。今までそのことから目を背けていた、考えないようにしていた。僕は彩乃を傷つけておきながら、自分は嫌われていることにして考えないようにしていた。僕もまた逃げていた。
落ち着かないのはその現実をしってしまったからなのだろうか。どうしょうもなく自分が嫌になる……
彩乃に謝りたい……
しかし、その前にしておかないといけないことがある。
・・・
職員室の扉を勢いよくあけると、そのまま前田先生の席に近づく。
「昨日は届けてくれて、ありがとう」
「あの封筒はなんですか?」
「退学届だ」
「なぜ今の彩乃にそんなものを渡すんですか?」
「本人に頼まれたからだ」
「だけど、それじゃあ、それじゃあ」
「それじゃあ、なんだ?」
「辞めてもいいと言ってるようなものじゃないですか」
「決めるのは本人だよ」
「そうだけど……」
「君には辛いかもしれないが、決めるのは西村自身だ」
「どうしていいのかわからないけど……彩乃は悩んでいる、苦しんでいる……」
「あまり深く考えるな」
「深くかんがえるなって……、前田先生……」
「なんだ?」
「気分が悪いので早退します」
「気分が悪い……か、ああ、わかったゆっくり休め」
「ありがとうございます」
「……すまなかったな……巻き込んでしまって……」
「今さら謝らないでください」
「そうだな……」
シトシトと降り続ける雨のせいか。廊下は静まりかえっていた。時折、教師の声が聞こえる程度だった。傘を指し学校を後にする。
・・・
また彩乃の家の前に来てしまった。
毎日、通っているな。ストーカーに間違えられても仕方ない感じだな。
今さら彩乃に合わせる顔もないのだが……
人生はどうにもならないことの方が多い。努力は報われないし、人は他人にやさしくない。生きていて辛いのみんな同じだ。みんな辛さを痛みを抱えて生きている。
「なんで私のこと無視したの?」
彩乃の言葉が僕の心をエグる。
あまりにも幼稚すぎて言い訳できない。
僕はなんで嫌だったのだろう。胸を張れなかったのだろう……
たぶん、それは……
RRR……
携帯の呼び出し音が僕の思考を中断させる。携帯をカバンから取り出す。
「前田先生から?」
「もしもし」
『やあ、元気か?』
「元気じゃないですよ。早退したのですから」
『そのわりにはまだ家に帰っていないようだが?』
「ええ、まあ……」
『まあいい、君を責める為に電話したわけではない』
「はあ……」
『西村が補導されて警察署にいる』
「ハア?」
『ご両親と連絡がとれず学校に連絡があった。すまんが身元引受人になってくれないか?』
「僕がですか?」
『大丈夫だ。警察には知り合いがいる事情も話してある。私は午後の授業があるので動けない』
「わかりましたよ。でも、一つ聞かせてください」
『なんだ?』
「本当に巻き込んで悪かったと思っているんですか?」
ツーツー……
「切りやがった。ひどい教師だ」
・・・
警察署につくと、前田先生より少し若いと思われる婦警さんが対応してくれた。
「話は聞いてるよ。君が彼氏くんだね」
「はあ……」
「いろいろ大変だろうけど、自分の彼女なんだから、話は聞いてあげないとダメだぞ」
「えっと……」
「ああ、彼女さんのことなら大丈夫よ。いま連れてくるね」
そう言って婦警さんは奥へ消えていった。
「彼女って……」
しばらくすると婦警さんと一緒に彩乃がやってきた。
「ほら、これで信じてくれた?ちゃんと彼氏さんが迎えにきてくれでしょ」
彩乃はうつむいたまま顔を上げようとはしなかった 。
「手続きはいいわ。前田先生によろしくね」
「はい……」
彩乃を見る。ずっとうつむいたままだ。
「帰ろう」
「うん……」
・・・
雨の中、二人で傘をさして帰る。二人の間に見えない壁があるように感じた。彩乃は警察署を出てからも一言も口を開かない。
「はー……」
何を怯えてるのかな……僕は……
自分勝手な理由で彩乃を避けたこと?それとも彩乃を傷つけたこと?それとも彩乃に嫌われること?
彩乃を助けたいなんて考える資格が僕にあるのだろうか?結局、僕も彩乃の両親と同じように自分の都合を彩乃に押し付けた。そのことを謝れずにいる。情けない話だ。
立ち止まって彩乃の顔を見る。彩乃は体を硬直させ、捨て犬のように怯えた目でこちらを見ている。
「迷惑かけて……その……ごめんなさい……、私は……あの……家にいるのが……辛くて……その……えっと……言い訳になってないね……ごめんなさい」
「いいよ別に……」
「ごめんなさい……」
また、自分を攻めているのか……
はー、
一息吐いてから彩乃を正面から見る。
「小学生の頃、僕は彩乃のことが好きだった」
「なっなに?いきなり……」
「そのことでクラスの友達に知られてからかわれた。彩乃と一緒にいると陰口を言われたり、からかわれたりした。それが嫌だった。
それで……お前を無視してしまった……
ごめん……お前はなにも悪くないんだ。僕は自分の都合でお前を無視し、遠ざけたんだ……」
「そう……なんだ……」
「最低だろ、だから僕はお前に嫌われていると思ってた」
「べつに……嫌いになんか……」
その後はお互い無言だった。
彩乃の家の前につく。
「ありがとう……」
彩乃が消え入りそうな声で言う。
「ああ……」
「まだ……私のこと……。やっぱいいや……なんでもない……」
好きだよ
「えっ?いま何か……」
「なんでもないよ。じゃあ、帰るわ」
「うん……」
「また学校で会えると嬉しいな」
「ごめん……ありがとう……」
・・・
現実は何も変わらない。むしろ自分の望む方向と違う方向に進んでしまうことが多い。努力なんか報われないし、人は自分の都合しか考えない。
それでも彩乃と一緒にいたいと思った……思っていた……それが自分勝手な願いだとしても……