木曜日
梅雨の中休みなのか、今日はスッキリと晴れわたっていた。
昨日の不快感が少しだけ和らいだ気がした。
・・・
放課後、前田先生に声をかけられる。
「なんですか?」
「お願いがあるのだが、頼めるか?」
「……」
「なに、帰りにちょっと寄り道をしてほしいだけだ」
西村様宛と書かれた角2サイズの封筒を渡された。
ため息をついてから返事をする。
「返事はハイかYesだけなんですよね?」
「私は飲み込みのいい生徒が好きだぞ」
「べつに前田先生に好かれなくてもいいですよ」
・・・
僕は彩乃の家の前にいた。もしかした僕は探していたのかもしれない。彩乃の家に行く理由を、家の扉を開ける方法を……
彩乃はもしかしたらもう会ってくれないかもしれない。
それでも会って話がしたかった。なんとかしてあげたかった。このまま彩乃が高校を辞めてしまえば本当に二度と会えないような気がした。
青空のせいか今日は彩乃の家が明るく見える。
呼び鈴を押すと不機嫌そうな彩乃が顔を出す。
「なんか用?」
「またお使いだよ。ほら」
「また拒否されるかと思ったが、今日は素直に封筒を受け取った」
「ねえ、中身なんだか知ってる?」
「いや……」
「そうだよね。見せてあげようか」
彩乃は封筒から一枚の紙を取りだし僕に見せる。
「退学届……だと……」
「本当に知らなかったんだ」
「前田先生は何を考えているんだ?」
「昨日、電話で前田先生にお願いしたの」
「そんな……彩乃……考え直せ……」
「!?」
「学校を辞めても、現状は何も変わらないよ……」
「もういいの……もう疲れちゃったの……」
彩乃は下を向いたまま黙ってしまった。
どれくらいの時間が過ぎただろうか……
今日はもう帰ろうかと身を翻した瞬間、彩乃はぽつりぽつりと呟いた。
「みんな身勝手だよ……
私、頑張ったよ。努力したよ。
でも、どんなに頑張っても、努力しても、私の想いは誰にも届かなかった。
もう、疲れたよ……
嫌だよ……
何もしたくない……」
彩乃は声を殺しながら泣き崩れた。
・・・
西村彩乃は頑張っていた。自分が変われば両親は離婚を思い止まってくれるにはずだと信じて……
いい娘になった。成績優秀になった。
品行方正、頭脳明晰、誰にでも好かれ、愚痴らず、笑顔を絶やさず……
しかし、その結果は本人が意図するものとは別の結末を招いてしまった。
父親に言われたそうだ。
「立派な娘に育ってくれた。彩乃なら父さんがいなくても平気だろう」と
思い知らされる。自分の努力が結果的には両親の離婚を早めるだけであったことを。自分が変わったところで現実は何も変わりはしないことを。
自分の努力が徒労だとわかったとき、現実は変えることできないと気がついたとき、それでもなお頑張れる奴なんていやしない。
・・・
彩乃はベッドの上でうずくまっていた。
月曜日に来たときよりも部屋は整理されいているような気がした。
でも、机の上には教科書とノートがあった。不登校でも勉強はしてるのだろう。
「ねえ……離婚届……見たことある?」
彩乃は呟いた。
「ないよ」
「薄い紙切れ一枚なんだよ……それに名前書いて、判子押して、それで終わり……たったそれだけで家族が終わるの……あの薄い紙切れ一枚で……家族が、両親が他人になるの。
本当に薄いんだよ……きっと、うちの家族も薄っぺらい……」
「彩乃……」
「ねえ……小学生の頃のこと覚えている?」
「ああ」
「なんで私のこと無視したの?避けたの?」
「それは……」
「私、嫌われるようなことしちゃったかな?」
「いや……」
「何か嫌なことしちゃったのかな? 今までずっと、聞こう聞こうと思ってた。でも、恐くて聞けなかった。入学式の日も、春のクラス替えの時も話しかけたかったけど……目を合わせるのも恐くて……恐くて……何も言えなくて……」
彩乃は顔を伏せたままで目を合わせることはなかった。
何も言えなかった。僕は自分が恥ずかしいというだけで彼女を傷つけてしまったのだ。それだけではない、今も彼女はその原因は自分にあると思い込んで自分を攻め続けている……
僕は彩乃に嫌われていると思っていた。そう思い込んでいた。でも、違った。
彩乃は自分が嫌われと思って僕を避けていたのだ。
そりゃそうだよな。
「答えてくれないんだね……」
「そ、それは……」
言えるわけがなった。クラスの友達にからかわれるのが嫌なだけだったなんて……
「彩乃は悪くない。悪いのは僕だ」
「やさしくしてくれなくてもいいよ。もう、誰に嫌われてもかまわないから……気にしないから……本当のことが知りたい……」
「彩乃……」
「本当は嫌だったんでしょ?私の家に来るの。前田先生のお使いだもんね。
期待しちゃった。私のこと助けに来てくれたのかなって。昔のように私のこと……ううっ……
ばか……
助けてよ……
辛いよ……
嫌だよ……私、父さんも母さんも好きだよ……離婚なんていやだよ……
いやだよ……」
「彩乃……」
泣き続ける彩乃にかける言葉を僕には見つけることができなかった。ただ、ただ、綾乃を見守ることしか出来なかった……
日没とともにまた雨が降りだしてきた……
雨のなか、傘をささずに家路につく……
僕は最低だ……