月曜日
担任の教師前田飛鳥に呼び出された。40前の女教師で教育指導も兼任している。指導が細かいことで知られて、生徒の中でもそれなりに恐れられている。確かに中間テストの結果は悪かったが呼び出されるほど酷いわけでもないはずだ。いったいなんのようなのだろう。
「今年は五月病にはなっていないようだな」
職員室に入るなり、前田先生は声をかけてきた。
「ああ、もうそんな時期ですね」
去年の今頃、僕は不登校になっていた。いわゆる五月病と言うやつだ。友達作りに失敗した僕は連休明けには孤独になってしまい五月の末には不登校になっていた。
そこから、一悶着あった。前田先生は家まで押し掛けてきて僕を五月病から救ったのである。
「そんなこと言うために僕呼んだのではないのでしょう?」
「ああ、実は西村彩乃が不登校になっている」
「西村のことは知っているだろう?」
「はい……名前くらいは……」
嘘である。顔もしっかり知っている。美人で頭脳明晰。クラスでいつも目立っている存在だ。先週から登校しておらず、話題になっている。
「西村が何か?」
「知ってのとおり先週から西村は欠席している。君は西村と家が近いだろう。悪いが先週1週間分のプリントを届けてくれないか?」
「嫌です」
「いい返事だな。私のクラスでは返事はハイかYesだと教えていたろう!」
「どこの海兵隊ですか?拒否権は民主主義の特権です」
「残念ながら君は成人していない。つまり、民主主義の特権やらは著しく制限されている」
「お、横暴だ!」
「権力に抵抗したいなら、力を付けることだ」
「ううっ」
「ただとは言わない」
「取引ですか? 卑怯ですよ。教師として最低ですよ」
「君は推薦入試希望だったな。内申書は重要だよな。何が言いたいか分るな?」
「よろこんで引き受けさていただきます」
「よし!任せたぞ」
梅雨に入り、毎日のように雨が降っている。去年の今頃、鬱陶しい雨のせいで、高校に行くのが嫌になった。ということにしている。本当は一人でいるのが嫌だった。友達がいないことが苦痛だった。高校を辞めて夜学に行こうかとも考えた。今にして思えば逃げていただけで、高校生活が孤独になると思い込んでいただけだった。まあ、今も友達らしい人間もいないのだが。
「そういえば学校で話するの前田先生くらいじゃないか」
ちょっと凹む。まあ考えるのは止めよう。大学に行けば変わる……たぶん……
学校の最寄り駅から三駅、西村の家の最寄り駅。僕の家の最寄り駅でもある。駅に着いたが相変わらずの雨。
西村の家に行くには若干遠回りである。
「我慢するか。内申書の為。輝けるキャンパスライフの為」
・・・
西村彩乃。頭脳明晰の美少女。黒髪のストレートで、縁のない眼鏡をかけている。性格は控え目なのだが、容姿と成績のせいで、いつも目立った存在になっている。クラスの中心グループに属している。
そして、僕は彼女のことをよく知っている。小学校の頃、同じ学区で親同士が知り合いだった為よく一緒に遊んだものだ、あの日までは……
とか感慨にふけっているうちに西村の家の前についてしまった。
「どうしようか」
雨に濡れた西村の家は寂しそうに見えた。小学生の頃遊びに来た、あの家とは外見は同じだが違う物のように感じた。
「えーい、内申書の為だ」
呼び鈴を押す。何度か押すと中から人の気配がした。
「よかった帰って来てくれたのね」
笑顔で出てきた西村彩乃は僕の姿を見るなり不機嫌そうに顔を歪めた。
「こんにちは、久し振りね。何か用?」
吐き捨てるように西村は言った。同じクラスだから毎日会ってはいたんだけどね。まあいい。
「元気そうじゃん。学校はサボりか?」
「あんたには関係ないでしょ」
確かに関係ないが、あんた呼ばわりはイラっとするな。
「お前がどう思っていようと関係ないが、家が近いというだけで雑用をさせられるこっちの身にもなれ。前田先生からだ、先週のプリント……」
「そんなもの、いらないよ」
「なんで?」
「私、学校辞めるから……」
「あっそう……なに!?」
・・・
西村の部屋で気まずい時間を過ごしていた。
西村は不機嫌さ全開で顔を背けたまま、こちらを向こうとしない。
なんでこうなったかと言うと、あの後、西村の母親が家に帰ってきて玄関で言い争いをしている僕達を見て家にあげてくれたのである。
西村の母親に会うのも久しぶりである。遊びにきたとでも思っているのだろうか?
「で、何しに来たの?」
「さっきも言っただろ、前田先生に頼まれて……」
「前田先生には優しいね」
「なにを言っている」
これは交換条件であって、ある意味、仕事だ。なんて言えないか。
「友達が前田先生しかいないって噂だよ」
「だからなんだよ?今は関係ないだろ」
「前田先生に言われたからって、今さら私に関わらないでよ。身勝手よ!」
「なんだよ、その言いぐさは?」
「もういいでしょ、帰ってよ。私は学校辞めるから、先生にもそう伝えて!」
「なに意地になっているんだよ!」
「もういいの。どうでもいいの!」
「西村……」
殺意を感じるほど鋭い視線でこっちを睨み付けている。
「わかったよ。帰るよ。じゃあな」
西村の部屋から出て玄関に向かう途中、西村の母親に声をかけられる。
「彩乃どうだった?」
「どうって、何か悩んでいるんですか?」
「やっぱり、そう見える?」
「ええ……」
「ごめんね。今日はありがと。よかったらまた遊びに来て。彩乃も喜ぶと思うから」
「はあ……」
曖昧な返事をして西村の家を後にする。
……
そして家に帰ってから気がつく……
「プリント渡すの忘れた……」