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「アルトゥール様!!」
「主様!」
「王よ!!」
怒号に怒声、大勢の気配。
そんなものにシュヴァインは叩き起こされた。目を開くか開かないかの内に、腕の中から熱量と重さが消えていることに気付く。そして、一気に引き起こされた。
「こやつ!王に何たる無礼を!殺してやる!!」
「引き裂いて食ってやろうよ」
「ふん、切り捨てれば良い」
目の前には二足歩行の巨大な黒い牛がいた。その後ろには目の覚めるような金髪の髪色をした美しい少年が。その横にはほとんど衣服を身に着けていない肌の黒い妖艶な大女がいた。更にその背後には数え切れぬほどの有象無象たち。
(魔物だ……!)
丸腰で眠っていたことも忘れて習いで腰に手をやる。
だが、すぐに混乱が襲ってくる。
(王が、魔王が来ているのか!?)
どこに。いつ。アルトゥールはどこへ行った。
「良い、捨ておけ。少々肌は痛むが、なかなかに興味深い経験をした」
涼やかな、だがよく聞き慣れた声がした。
其方へ無理矢理に首を回す。いた。アルトゥールだ。なんだ、怪我は大したことがなかったのか。どうして魔物たちに囲まれているのか。なんだ。魔王とは、アルトゥールのことなのか。そんな、そんな──
(そんな相手と肌を重ねていたのか、私は)
冷たい汗が背筋を伝う。
アルトゥールがシュヴァインには向けたことのない冷たい視線を周囲へ向ける。怪我はもう治った様子で、ふと視線がシュヴァインに止まったかと思えば路端の石を見るような視線で見つめ返される。
(アルトゥールが……魔王)
その事実がずしりと胸に重く圧し掛かる。裏切られた気持ちになるのはなぜだ。アルトゥールが魔物だということには変わりないのに。そうだ、アルトゥールは嘘をついていた。いや、黙っていただけとも言えるか。
「シュヴァイン」
すっぽりとマントで全身を覆い、銀の靴を履き、青灰色の鎧を身に着けている。それに対してシュヴァインはどうだ。汚れた下着姿のまま、魔王の部下である魔物に身体を押さえつけられている。
「楽しかったぞ。良い暇つぶしになったな。少々長居しすぎたか」
「アル、いや、アルトゥール。お前は、本当にっ!」
「ああ、親愛なる十騎士のシュヴァインよ。我が魔物の長、魔王であるぞ」
「騙していたのか!」
「そうとも言えるし、そうでもない。名乗らなかっただけだ。我は全て真実を話していた」
なるほど。一族から「外れた存在」。裏切り者たちを屠る役割、それは粛清か。あの最初に殺された竜も、軍から逃げ出したせいで殺された。裏切り者への粛清ということか。
「は、はは……私は何と愚かな……」
「なんだ、惚けた笑いをして。互いに楽しめた月日であったろう」
「偽りのな」
「ほう?」
アルトゥールが、魔王が楽し気に唇を釣り上げる。アルトゥールはそんな冷酷な笑みはしなかった。もっと温かな、人間味のある……そこまで考えてシュヴァインは首を振る。
「そんなに真実が大事か。それでは、お前の命を救った、あの血や肉の話もせねばなぁ?」
「あれは、家畜だと」
「素直に信じるのだな、シュヴァインよ。あれは、」
「人間」だ。
その途端、シュヴァインは掴まれていた腕を振り解き寝床に置きっぱなしになっていた己の大剣の元へと走った。大木に両手をつく。胃の腑がひっくり返りそうな吐き気と眩暈がする。一頻り、木の根に吐いてからシュヴァインはじろりと魔王を振り返った。
「美味かったろう?同胞は」
魔王が嬉しそうに目を細める。
「同族食いは魔物でも下等の者しかせぬ。人間はどうだ?」
「その口を閉じよ、魔王!」
胃の中を空っぽにしても胃の痛みと吐き気は収まらない。あれが、人間の肉だった。嘘だ。……いや本当か。こんな森の中に普通の生き物がいる筈がないのだ。目を背けていたのは、自分だ。
「もう、名を呼んではくれぬか。しかし色々と不思議だとは思わないか。我が怪我をした途端、その翌日にこうして魔物が大群で押し寄せた。お前に与えていた人間はどこから来たのかとか」
「どういうことだ」
シュヴァインはもう何も信じられなかった。アルトゥールが話す度にあの月日が嘘に塗れた醜いものになっていく。
「森は迷いの森などではない。我ら魔物にとってはな」
「どういう、ことだ」
「そのままだ。我らは子供を得るとこの森で遊ばせるくらいだ。我らの庭、我らの防波堤。この森があるから人間は我らの国に入って来れない」
「まさか、では……あの、私が口にした人間達は」
「ああ、我が適当に森から抜け出し近隣の村々から攫ってきた。お前はどれも美味そうに食っていたなぁ」
「……お前はなぜ、森から出なかった……?」
自由に出入りできたのなら、三月以上もこの森へ引き篭もる理由などない。
「お前がいたからな、シュヴァイン。お前は本当によく出来た玩具だった。我によく仕え、人間を食い、身体まで差し出した。なかなかの暇潰しだったぞ」
「あの日々は……全て偽りだったのか」
「いや、真実。面白い余興であった」
「心は、ないのか」
「あれば、魔物などやってはおらぬな」
快活な笑みさえ浮かべるその姿はシュヴァインの知るそれで、不意に腕の中からすり抜けてしまった恋人の影を見つめてシュヴァインは力無く項垂れた。
「お前がもしこちらへ寝返るなら今なら受け入れてやるぞ」
「……寝返る?」
「人間が嫌いだろう?お前は。人間の最後の希望の灯を自分で吹き消したくはないか?」
「は、何を言うかと思えば」
そう答えながらもぐらりと心が傾いでいくのをシュヴァインは自覚していた。今なら、この恋人を失わずに済む。人間のしがらみを捨てて魔物として生きる。
だが、シュヴァインは結局乾いた声で笑った。今、そんなことが出来よう筈もない。
「悪魔に渡す魂はない」
「なる程な」
さして不満げにも寂しげでもなく、魔王は頷いた。その瞳の奥は楽しげに輝いている。その光を真っ直ぐに見る事が出来ずにシュヴァインは目を逸らした。
「丁重に人間の領土に放り投げてこい。気は抜くなよ。きちんと縛り上げて途中でやられるな」
「しかし、この人間は王の身体を……!」
食い下がる牛の魔物を冷たい眼差しで一蹴すると、魔王はもうシュヴァインには興味を失った様子だった。
「アルトゥール……」
小さくその名を呟いて両脇を魔物に捕えられてシュヴァインは魔王の背を見つめ続けた。




