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騎士シュヴァイン  作者: 河野章


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1/8

 血だ。戦場に血の雨が降り注いでいる。

 騎士シュヴァインは頭上を見上げた。そこには東の守りの要であるアーチ―卿の城に巻き付く巨大な竜の姿があった。銀青色の鱗の大半が今は血に濡れている。その根源は鋭い牙が並ぶ口吻に咥えられた自身の率いていた小隊の若者たちの無残な残骸であった。竜が首を振ると、ぼたぼたと血肉や内臓、千切れた手足が降り注ぐ。

「……地獄だ」

 傍で十騎士の一人、ファイゼンが呆然と呟く。シュヴァインはその肩を手甲をつけた手で強く押した。鋭い眼光でまだ若い騎士へと怒鳴る。

「本物の地獄を見たように言うな!騎士が、将軍が弱気では軍の士気に関わる!戦場では二度と弱音を吐くな!」

 シュヴァインは五十八になる人間軍の十騎士の一人だ。白髪混じりの短い長い髪を背中で緩く束ねており、深く皺の刻まれた眉間に青灰色の瞳を持っていた。畏怖堂々たる美丈夫で十騎士の中でも群を抜いて体格が良く、身の丈に近い大剣を扱う事に長けていた。

 魔物と人間が争い始めてもう三百余年になる。後の歴史にいう三百年戦争だ。

 戦況は逼迫していた。

 特にここ数年は人間側の敗戦が続いていた。

 魔物軍の首領、魔王が代替わりをしたらしい。新王に践祚したまだ若い魔王は優秀な銀青色の竜であるという。

「こやつか……!」

 シュヴァインは再度、城の塔に巻き付き咆哮する竜の姿を見上げた。魔王が戦場の最前線に出てくるとは普通なら考えもしないだろう。だが、ここは人間軍の領地の東の要。人間軍も十騎士の全員と兵士たちの半数近くをこの戦場に送り出していた。魔王が降臨してもおかしくはない。

「シュヴァインさま、ファイゼンさま!一時、撤退しろとのことです!」

 伝令が十騎士の中でも最高位のクラウスの名と命令を伝える。ファイゼンはよろめきながら自軍の方へと駆け出した。

 シュヴァインは、尾を鞭のように振り今まさに空へと駆け上がろうとしている竜の姿を睨んでいた。


「シュヴァイン殿!」

 アーチー城の城下町のほど近く、野営地へ戻ると早速十騎士長のクラウスがシュヴァインのテントを訪れてきた。

「魔王らしき竜が出たと聞いたが……」

「ああ、そのようだな」

 シュヴァインの落ち着いた声にクラウスが微かに息を吐く。。

「貴公のその反応。──手も足も出ない、ということか」

「撤退命令を出したのは貴公だったかと思うが?」

 ああ、そうだとも、とクラウスは深い溜息を吐いて近くのベンチの上に腰を下ろした。クラウスは三十五才。豊かな金髪と口ひげを携えた、まだ若いが優秀な騎士だった。

「アーチ―城を見下ろせる丘からあの惨状を見た。兵士たちの士気に関わると思って撤退させたが」

「うむ、良い判断だと思うぞ」

 その言葉にクラウスが苦く笑う。テントの外を兵士たちが集団で騒ぎながら町の方角へ通り過ぎる声をシュヴァインは聞いた。嫌な予感がする。

「クラウス殿。街へ降りる許可を出されたのか」

「勿論だ、兵士たちにも休息は必要であろう。街で酒を飲み、女を買う権利は彼らにもある。良い気晴らしになれば良いが」

「ただ酒を食らい、女を強姦し、家々の家財を根こそぎ奪う、の間違いでは?」

「なに!?」

 シュヴァインの言葉に流石の温厚なクラウスも気色ばむ。

「──本当のことだ。噂になっておるぞ。戦のあった街は焦土になるがそれよりも酷いのは兵士たちの残虐な行いだと」

「少しくらいは大目に見てやれ。戦場での辛い記憶を忘れるためだ」

「その結果、生まれたのが私でございますがね」

「シュヴァイン殿!貴公は……っ!」

 クラウスは言葉を無くし、立ち尽くした。

 暫し言葉を探し、それでも言葉は出ずバサリとマントを翻し出て行ってしまった。

 本当のことを言って何が悪いのかとシュヴァインは思う。戦火の中、若かったシュヴァインの母は魔物でも盗賊でもなくその地に遠征へ訪れていた複数の人間の兵士たちによって犯された。一晩中続いたその惨い行いの果てにシュヴァインは生まれた。母には婚約者がいたが勿論彼との結婚は叶わず、母は苦労してシュヴァインを一人で育てた。

 シュヴァインはこの話を母から聞かされ続けて育った。

「あんな男たちになるのではない」

「お前は優しい子に育っておくれ」

 母はそう言い続けたが母の惨たらしい経験を詳細に聞かされ続け、シュヴァインは癇癪持ちの頑固な性格に育った。物心ついた時には木の棒で剣術の練習を始めた。魔物との戦争を憎み、兵士たちを憎み、母のような戦争の犠牲者たちを守らなければと本気でそう思っていた。

 強さのみを追求した結果、気付けば平民の出で初めての十騎士にまで昇りつめていた。周りは貴族の出身のエリートたちばかりだ。普通ならば、十騎士は大隊を編成しそれを率いる将軍になるのが通例だが、シュヴァインだけはそれを固辞し、また彼の気性も将軍には合わなかったので、十人ほどの小隊のみを率いる小隊長の地位にある。

 小隊は自分の手で育てた若い兵士たちを中心にした奇襲部隊だ。さすがに情は湧いていたが、彼らも街での饗宴に参加しているのだろうかと空しく思う。

「魔物も人間も何が違う」

 クラウスが出ていったテントの扉をシュヴァインはただ眺めた。

「あのぉ……」

 入れ違いにすらりとした赤毛の少年がおずおずとテントへと入ってきた。遠慮気味に「足を洗うお湯、冷めちゃいました……」と手に提げた桶を少し掲げて申し訳なさそうに言う。

「ファルか。ああ、頼んだのをすっかり忘れていた」

 すまないな、という言葉を寸でのところで飲み込んだ。

 元々世話係も下男もいらないと決め込んでいたシュヴァインに従者は一人もいなかった。だが、ある日このファルがシュヴァインの元を訪ねてきて「お願いです!何でもするのでお仕えさせてください!」と頭を下げたのだ。ファル曰く、以前魔物に故郷の村を襲われた時に、シュヴァインに助けられたのだという。そんなことは何一つ覚えていないシュヴァインだったが、三日三晩テントの前で頭を下げられては断るわけにはいかなかった。

 成人前の細い腕、まだ筋肉のつき始めの薄い身体、子犬のような黒い瞳。くるくると独楽鼠のようによく働く。

 本当は優しい声かけや労わりの一つでもやってやるのが良いのだろうが……。

「温くて良い、さっさと終わらせなさい」

 つい冷たい物言いをしてしまう理由がシュヴァインにはある。

「は、はい!では、失礼いたします」

 ファルが頬を紅潮させて嬉しそうに足元へとしゃがむ。素足にされて固くなった足裏や、指の間、足の甲などを丁寧に洗われる。土砂塗れだった脛辺りまでを丁寧に洗われて足元で懸命に働くファルのつむじを何気なく見遣る。

(これで、アレさえなければな……)

「あ、あの……」

「なんだ」

「今夜も、その、夜伽は宜しいのでしょうか?」

「……。私には不要だと言ってあったと思うが?」

「は、はい!失礼しました!」

 見る間に顔を真っ赤にしたこの従者は、そう、この老いぼれに惚れているらしい。

 シュヴァインは密かに溜息を吐いた。

 戦場には女気が無い。そういう時に将軍や上級兵たちが自分たちの従者や下男たちを「使って」いるのは周知の事実だ。

 だから、兵舎からの通いの従者として抱えて暫く経った頃にファルの方から誘われて、ああ、とシュヴァインは納得がいったのだ。少年、青年期の気の迷いかもしれない。生来のものかもしれない。それは分からないが、どうやら自分はこの少年の特別な想い人らしいと。

 それからだ。

 ファルとは自然に距離を置くようにした。勘違いなどさせないようにというシュヴァインなりの誠意と処世術だった。無骨な武人のシュヴァインには抱いてやる甲斐性などなかった。応えることは出来ない、だが故郷を捨ててシュヴァインを追ってきた少年を追い出すことも出来ない。

 少年を下がらせて、シュヴァインは再度軽く溜息を吐いた。


 朝が来た。

 夜中の内に三日後の早朝からの開戦が魔物軍から通達された。

 魔物は妙に律儀なところがある。そう思いながらシュヴァインは髭をあたる。

(あの竜は、また来るだろうか)

 そう思うと魔物への憎しみがふつふつと湧いてくる。 

 そもそもがこの戦争である。

 記録が古く、三百年戦争の開戦はどちらからだったのかは歴史者の中でも意見が分かれている。

ただ、魔物の性を知るだに……、彼らは享楽と悪の権化であった。情などは存在せず快楽と悪行のみのために生きる。人間を糧にし、多くの人間が彼らの餌食となっている。姿は様々で下級のものは獣の姿をしており、上級の者になればなるほど伝説上の生き物に近くなる。また、上級の化け物は人間の姿に化けることができ、その見目麗しい姿で人間を誑かして自分の懐へ入れてしまうのだとも。その末路は……聞かなくても分かっていた。

 そういうわけで、人間は魔物の恐ろしさ、残虐さを幼少期から聞かされ、この戦争には必ず勝たねばならぬのだとそう習って育てられる。

 シュヴァインは身なりを整えて野営地を歩いていた。そこここで酒におぼれ、屋外で寝てしまった兵士たちの姿が目に留まる。その手には街から強奪した宝石や食料が握られている。またテント内では夜通し犯され続けた娘たちのすすり泣く声がテントの外まで響いていた。

「ここが地獄ではないか」

 苦く笑い、シュヴァインは野営地を離れ早朝の丘に立った。戦火の痕が凄まじい荒涼とした景色が広がっていた。城は破壊され、魔物の住処との境界となっていた城から伸びる塀城もその大半が崩れている。

 しかしそんなことは気にしてもいないのか、太陽は遥か彼方から上がり、太陽の日で温められた翼を広げて小鳥たちが羽ばたき始めていた。何ともすがすがしい朝だった。足元に人間や魔物たちの屍がなかったら、だが。

 それでもシュヴァインには美しい光景に見えた。何ものの上にも平等に訪れる死と精の力強さがそこにはあった。太陽が昇り切るまでシュヴァインはその丘で静かに立っていた。

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