婚約者に元恋人を忘れてもらいたい!
アーネスト様には恋人がいたようなのです。
私はルイーゼ。アーネスト様の婚約者です。
次期サクサンド伯爵のアーネスト様と、ファイサル侯爵令嬢だった私は先日に婚約いたしました。
親同士が話し合って決めたのです。私とアーネスト様は初対面でこそありませんでしたが、お互いの事は碌に知りませんでした。
まぁ、貴族の結婚としては珍しくもない事です。侯爵家の長女である私としては、有力伯爵家の跡継ぎへの嫁入りは良縁の部類です。アーネスト様の社交界での評判は悪くはありませんでしたし、私としては婚約には何の不満もありませんでしたよ。恋人も想い人も特にいませんでしたしね。
貴族は婚約してからお互いに愛情を育てていくのが普通です。愛し合って婚約する事は極めて稀ですね。愛し合っていても家柄が合わなければ婚約に至りませんから。
そして婚約すればよほどの事がない限り破談には出来ませんから、お互いに何とかして愛情を育もうと考えるのが普通です。簡単には離婚出来ないならその方が建設的ですからね。
そんな訳ですから、私は婚約時にはアーネスト様にはこれっぽっちも愛情を持ってはいませんでしたけど、特に気にはしていませんでしたよ。彼の方もそうだったのでしょうけど、これから婚約者として夫婦として、愛情を育てていけばいいと思っていたのです。
婚約してから私は三日と開けずにサクサンド伯爵家に通いました。結婚準備のためですね。
嫁入り先のお家の風習や伝統を学び、一族の方へのご紹介を受け、屋敷や領地の家臣や使用人と顔を合わせなければなりません。嫁入りしたら住むお部屋の整備もしなければいけませんし、出入りの商人と次期当主夫人として対面しなければなりません。
もちろんこの中に、夫になるアーネスト様との交流も含まれています。アーネスト様は午前中は内務省の官僚貴族として出仕なさっていますので、お会い出来るのは午後になります。
アーネスト様がお帰りになったらサクサンド伯爵家のお屋敷で会うわけですね。お茶を飲みながら談笑します。庭園を二人で散歩することもありますよ。
アーネスト様は金髪に水色の瞳。端正なお顔立ちの物静かな方です。身長は高く痩せ型。社交界では美男子に分類されて結構人気のある方でしたよ。モテていたのです。ですから彼と婚約することになった私は友人から羨まれたものでした。
一緒にお茶を飲んでお話をしていても、穏やかで良く笑いますし、私のお話を良く聞いて下さいます。人の悪口は言わず、自慢や愚痴も言いません。一緒にいて気持ちの良い方なのです。
義父母になるサクサンド伯爵も夫人も、アーネスト様のご両親だけに穏やかな人格者で。私の嫁入りを歓迎して下さっています。
これは素晴らしいお家に嫁入り出来ることになった、と私は内心でホクホクしていました。もちろん、私もサクサンド伯爵家に相応しい嫁になれるよう頑張ろうと決意いたしました。
そんな感じで順風満帆な私の婚約者生活だったのですけど……。それが、たった一つだけ気になる事があったのです。
◇◇◇
それに気が付いたのは婚約してすぐでした。
アーネスト様と二人きりでお会いして、楽しくおしゃべりしている最中や、二人で庭園をお散歩している最中。ちょっとした間やタイミングでアーネスト様が胸元から何かを取り出して眺めては、フーッとため息を吐かれるのです。
? なんでしょう? と思いながらも私はそれほど気にはしていなかったのですが、これがそれからもずっと続いたのです。
さすがに気になります。どうやらアーネスト様が眺めて切なげなため息を吐いているのは、何かのペンダントのようです。こう、蓋が付いていてそれを開いて中の何かを見ているようなのです。
……蓋つきのペンダントはたまに見るものではあります。大抵は、ペンダントの中に家族の肖像画などを入れて、いつでも見られるようにしておくものです。
家族の肖像、ではありますまい。アーネスト様は毎日ご家族とお会いになっています。ペンダントには普通、あまり会えないような方の肖像を収めておくものです。
私、の肖像でもありえません。何しろ私が目の前にいる時にペンダントを開いて見ているのですからね。
一体誰の肖像を見ているのでしょう。アーネスト様はペンダントを見て、傷ましいような表情をなさって、ため息を吐かれると、すぐに普通の表情に戻って私と笑顔でお話しして下さるのですけどね。
……気になります。アーネスト様と交流して次第に仲良くなっていっているという自覚があるだけに、二人でいるときに彼が一瞬でも他に気を取られているというのがなんだか気に入らない心地がいたします。
私はある時、彼がペンダントを手に取った瞬間に思い切って声を掛けてみました。
「それはなんなのですか?」
するとアーネスト様は驚いて、どうも自分がペンダントを触っている事自体に驚いたようでした。
「これは……。なんでもない」
アーネスト様は言葉を濁しました。そしてその日は触らないよう意識していたようでしたけど、次の日にはやはりペンダントを無意識に手で弄んでいます。
あれは一体なんなのでしょう。無意識に手に取ってしまうほど執着があり、中を見ればため息が出てしまうような切ない何かが入っている。
……もしかして、あのペンダントには昔の恋人の肖像が入っているのではないかしら。
それに気が付いて、私は腑に落ちました。そうです。そうに違いありません。
社交界で人気だったアーネスト様ですもの。恋人がいても不思議ではありません。いえ、むしろ付き合っていたお相手がいなかったらおかしいです。私だって何度か親密になった男性がいたのですから。
私と婚約する時に別れた恋人がいたのに違いありません。忘れられないその女性の肖像をペンダントに入れて密かに眺めているのだとすれば辻褄は合います。
……なーんだ。私は逆に安心いたしました。
アーネスト様に恋人がいたことなど全く問題ではありません。それはいたでしょうってなものです。恋人がいようがなんだろうが、結婚は別というのが貴族の常識というものです。
これがもしも私と婚約したというのに恋人にこだわって、私と会わずに恋人の元に通っているというのなら問題ですが(たまに聞く話です)、アーネスト様は私とちゃん会って下さって順調に愛情を育んでいます。ならばちゃんと婚約を機に恋人と別れたということで、彼の誠実さを示すことでむしろ喜ばしいことです。
さすがに別れてまだ一ヶ月ほどでは思い出すこともあるのでしょう。あまり深い恋をしたことがない私ですけど、気持ちはわかります。それくらいは許すのが女の器量というものです。
……ですけども。
それがずっと、結婚してからも引きずるようなのであれば問題です。男は失恋をいつまでも引きずると聞きますからね。
さすがに夫がいつまでもメソメソと過去の女にこだわっていたらいくら私だって許せません。早い内に想いを断ち切って私だけを見て欲しいと思います。
アーネスト様に昔の恋人を早々に忘れて頂くにはどうしたらいいのでしょう?
……そんなの決まっておりますわ。彼が私を本当に愛するようになってくれればいいのです。私に夢中になって頂いて、過去の恋人が色褪せて消えてしまう、そんな状態になってもらえばいいのです。
そのためにはアーネスト様が私を愛して下さるように仕向けなければいけません。私の方が元恋人よりも素敵な女性なのだと証明して、彼の想いをこちら側に向けるのです。
私は婚約者への全力アピールを決意しました。
◇◇◇
まずは衣装ですね。私はサクサンド伯爵家に通う時に、衣装を慎重に整えるようにしました。それまではいわゆる外出着でしたけど、社交用のドレスにしたのです。
もちろん、夜会ドレスほど華美なものではありませんけどね。シルクを使った、洗練されたデザインのドレスです。デコルテや腕の露出は少し多め。お化粧も濃くなり過ぎない程度にしっかりします。
後は香りですね。男性がお好きだという香りを薄く纏います。
男性の気を惹くなら、まず外見から。鉄則です。男性が美人に弱いのは永遠の真理なのです。幸い、私はかなり美人だと自負しておりますわ。衣装もお化粧も香りも女性の美しさを何倍にも引き立てるものです。
次に、贈り物を準備します。とはいっても、何か高価な品を用意する必要はありません。婚約者にいまさら高価な品を贈ったらおかしいですからね。
贈るのは、手作りのもの。手作りお菓子ですとか、手料理ですとか、ハンカチに刺繍をしましたものですとか、手編みの手袋とか、そういうものですね。
男性は手作りの物を喜びます。以前にお父様に手作りのお菓子を差し上げましたら、喜ぶあまりなかなか食べようとしないので困った事があります。
私は手始めに手作りのクッキーを焼いてアーネスト様の所に持って行きました。お茶会の時に「私が作りましたの」と言って差し出しました。
ちなみに、貴族女性が料理やお菓子作りを趣味にすることはよくあることです。実家は母が凝り性でしたので、母専用の台所までありました。
私が作ったと聞いて、アーネスト様は目を丸くして驚かれましたけど、喜んで召し上がって下さいました。
「ルイーゼはなんでも出来るのだな」
なんて仰っていましたよ。クッキー一つで大袈裟ですね。
アーネスト様はお返しだと言って自分で小刀で彫った小さな人形を下さいました。指先ほどの大きさの猫でした。驚くほど精巧に掘り込まれていまして、私こそ彼の器用さに驚きましたよ。ご趣味の一つだとの事でしたね。
それからも私が何か手作りの物を差し上げますと、アーネスト様も小さな猫をお返し下さいました。色を付けた、凝ったものもありましたね。
私はそれをベッドサイドのテーブルに飾りました。猫が増えていくたびに、アーネスト様との距離が近付いた気がして嬉しくなったものです。
私はアーネスト様とお会いする時、肉体的なスキンシップにも努めました。男女が交流する場合、それは結婚までは清く正しい交際が神の前では理想なのでしょうが、現実はそう甘くはありません。
女性はやっぱり色気がある方がモテます。これも厳然たる事実です。殊更にあからさまに男性にベタベタとくっつく女性は、女性には嫌われても男性にはやはりモテるのです。男性の気を惹きたかったらスキンシップは必須です。
まして今回の場合相手は婚約者。もうすぐ結婚するお相手です遠慮は要りませんでしょう。
私はお茶会ではアーネスト様の手を握り、お散歩では彼の腕を抱き、夜会ではピッタリとくっついてワルツを踊りました。最初は気恥ずかしかったですけど、すぐに慣れましたね。
慣れただけでなく、私はアーネスト様にくっついていると何だか心地よく感じるようになってまいりました。人の体温とか、臭いとかは落ち着くのですよ。相手が好きな相手ならば尚更です。
最初はアーネスト様の気を惹くためにスキンシップに励んでいた筈がいつの間にか私が心地よくなって、安心してしまって、彼にくっつかずにはいられなくなってしまいました。
なるほど。お父様お母様がいい歳して時折ベタベタとくっついていたわけです。単純に夫婦仲が良いということもあるのでしょうが、こういう心地よさがあるからなのですね。
お茶の時は以前は向かい合って座っていたのですが、彼とくっついていたくて、長椅子に隣り合わせに座るようになりました。なにかというと手を握ったり腕を抱いたり彼の胸に額を押し付けたりします。
あんまり甘えるとアーネスト様が困ると思うのですが、我慢が出来ません。彼の方も拒否はせず、私の肩を抱いたり髪を指で梳かしたり軽いキスをしたりしてくれます。そうして甘え合っている時にはあんまり会話はしません。でも、心は温かく満たされています。
こんな風に親密にスキンシップをしているんですもの。私とアーネスト様はすっかり仲良くなりましたよ。もう親が決めたよそよそしい婚約者同士ではありません。すっかり恋人同士です。
「ルイーゼ!」「アーネスト!」と呼び合って抱擁し、唇のキスは結婚しないとダメですから頬にお互いキスをし合う。二人でいる時は手を離す事はなく、別れる(夜に実家に帰るだけです)時には寂しくて涙が浮かんでなかなかお互い離れられません。
その仲睦まじさは社交界でも評判になり、理想的なカップルとまで言われるようになりました。もちろん父母や義父母は私たちの仲の良さを喜び、これで両家は安泰だと祝杯を挙げました。
アーネスト様は「君と婚約出来て良かった」「君と出会えたのは天命だ」「早く本当の夫婦になりたいものだ」と仰って下さいましたよ。
私だってアーネスト様を強く深く愛するようになりました。これほどまでにお互いに強く愛し合う婚約者同士。これはもう誰も、私たち二人の隙間には入り込めないでしょう。完璧です。
◇◇◇
……その筈なのです。
なのに、なのにですよ?
その、アーネスト様はあのペンダントを、元恋人の肖像が入っているあれを、どうしても手放してくれないのです!
いつも、どんな時でも肌身離さず身に付け、時折手に取るのですよ。それは、私とお話ししている時、イチャイチャしている時に蓋を開いて中を見るような事はなくなりましたけど、お一人でいる時に蓋を開いて悲しそうなお顔で見ている事があるのです。
私といる時も時折、無意識に手でペンダントに触れている事があります。お顔は私に麗しく微笑んで下さっているというのに、お口では「君を愛しているよ」と言ってくださっているというのに、手はペンダントを弄んでいるのです。
どうしてなのですか!
これほど私たちは愛し合うようになったというのに。彼に愛してもらおうと頑張ったら、私の方こそ彼をべったり愛するようになってしまったというのに。彼の方だって言葉でも態度でも私を愛してくれているのが分かるというのに。
どうしても、どうしてもアーネスト様の元恋人の影が消せないのです。ペンダントを捨て、私だけを見て欲しいのに、彼はペンダントを手放さないのです。
私は悔しくて地団駄を踏みました。アーネスト様にとって、それほどにその元恋人は大事な存在なのでしょうか? この私以上に、大事な存在なのでしょうか。
アーネスト様は私を愛していると言いながら、私のことを抱きしめながら、それなのに心の一部をその元恋人に預けたままなのです。私は彼の全てが欲しいのに、彼は全てを私に預けては下さらないのです。
私はもう身も心も彼のものだというのに、生涯、彼だけを愛する覚悟でいるというのに。アーネスト様はそうではないのです。
悲しくて悔しくてどうにかなってしまいそうでした。なんど彼の胸からネックレスを引きちぎって捨ててしまおうかと思ったか知れません。でも、そんな事をしてなんになるでしょう。
アーネスト様が私を強く愛してくださっているのは本当です。夜会に出ても私以外の女性には目もくれません。浮気の気配など微塵も感じません。私に触れる手や唇からは優しさと愛情が溢れんばかりに伝わってきます。
それだけに、そんなに愛してくださっているのに、どうして元恋人の事を忘れてくださらないのか。それだけが分からないのですよ!
気がつけば結婚式まであと一ヶ月。このままでは私は心にあのペンダントの事を棘のように突き刺したまま、アーネスト様の元にお嫁に行くことになります。愛する彼の妻になれる事がこの上なく幸せな反面。胸に刺さった棘は痛みを増していきます。
どうしよう。どうしたらいいのか。そんな小さな事でこの幸せを崩したくなくて、でも、このジクジクとした痛みには耐えられそうもなくて、私は毎晩うなされるほど悩みました。
……そして、結局ある日、私は爆発してしまいました。
アーネスト様とお茶をするために談話室に入った時の事です。私が少し遅れてしまったため、アーネスト様が先に席に着いておいででした。
青いジャケットに白いズボン姿の凛々しいアーネスト様が、椅子にくつろいだ感じで座っています。愛しの彼の姿を見て私は自然に顔が綻んでしまい、いそいそと彼の隣に座ろうといたしました。
……しかしアーネスト様は私の入室に気が付かず、ジッとあのペンダントを見ていたのです。蓋を開き、中を見つめていました。その表情は悲しげで、それでいて愛おしさに満ちていました。
それを確認した瞬間、私の中で何かが沸騰しました。手が震え、足が震え、動けなくなります。視界が歪んで前が見えません。
ふと、アーネスト様が私に気が付きます。ペンダントの蓋を閉じて、私にいつも通りの微笑みを見せてくれます。
しかし、私は笑えませんでした。怒りと悲しみと悔しい気持ちで頭がグチャグチャです。ただならぬ私の様子に気が付いて、アーネスト様が立ち上がりました。
「どうしたルイーゼ……」
「そんなに!」
私はついに叫びました。
「そんなに元恋人が愛おしいのですか!」
「は?」
アーネスト様が目を丸くして呆然となさいますが、私はもう止まりません。
「目の前にこの私がいるというのに! 私の事を愛していると言って下さったくせに! そんなにその元恋人は魅力的だったのですか! この私よりも! どうして! なんでなのですか!」
私は涙を流し、顔をぐしゃぐしゃにして泣き叫びました。
「どうして、どうして忘れて下さらないのですか! 私を、私だけを愛して欲しいのに! どうして元恋人の事を気になさるのですか! なぜ! どうして!」
泣き崩れる私を、アーネスト様は駆け寄って抱き止めました。こんな時ですけど彼の優しい手や匂いに安心感を覚えます。
アーネスト様は慌てていました。私を抱きしめたまま言います。
「ま、まて! 何の事だ! なんだ元恋人とは! なんの話なのだ!」
私はグスグスと鼻を鳴らし、彼のジャケットを涙と鼻水で汚しながら反論します。
「そ、そのペンダント! そのペンダントに元恋人の肖像が入っているのでしょう? 事あるごとに見ているではありませんか! わ、私というものがありながら!」
するとアーネスト様の目が点になってしまいます。……あれ? なんか意外な反応ですよ? 戸惑った私は思わず泣き止んでしまいます。
アーネスト様はペンダントを胸元から出して、蓋を開きます。
「ルイーゼ。よく見るといい。これは元恋人などではない」
え? 私は慌ててアーネスト様が差し出したペンダントの中を覗き込みます。
蓋の開いたネックレス。素材は銀でしょうか。中には、絵などはなく……。
「……毛?」
何か茶色い毛が少し、束になって納まっていました。髪の毛? 誰かの遺髪?
しかしアーネスト様は優しい口調で仰いました。
「これは、今年亡くなった私の飼い猫の毛だ」
「ね、猫!」
私は愕然と叫びました。
アーネスト様が仰るには、なんでも物心付いた時から一緒に育った猫だそうで、毎日遊んだり共に寝たりとても可愛がっていた、兄弟の居ない彼にとっては弟のような存在の猫だったのだそうです。
それが今年の始め、私と婚約する直前に亡くなってしまい、アーネスト様はそれはもう嘆き悲しみ、一時は食事も摂れないほど憔悴なさったとか。
それで、ネックレスに亡き愛猫の毛を収め、時折見ては愛猫と過ごした日々を思い出していたのだそうです。それほど彼にとって大事な存在だったのでしょう。
「君と婚約した頃は悲しみもまだ深かった。しかし、君と過ごし、君を愛して大事に思うようになって、悲しみは癒えてアークとの楽しい日々だけを思い出すようになったのだ。君のおかげだ。ありがとう」
アークというのがその猫の名だそうです。
……。猫だったのですか。私はもう呆然として、何と言っていいか分からなくなりました。そういえばアーネスト様は何かというと猫の木彫りを下さいましたね。あれはアークがモデルだったのでしょう。
私が嫉妬し、怒りと悲しみに胸を焦がした相手は、謎のペンダントの中に潜んでいたのは、なんと猫だったわけです。私は呆れ、ちょと恥ずかしい気持ちさえ覚えました。
おかしいとは思ったのです。彼ほど誠実で、私の事を真剣に愛して下さっている方が、元恋人にいつまでもウジウジとこだわっているなんて。
相手が猫なのであれば、それはどんなに私が頑張っても上書き出来なくて当然ですわよね。心に占める枠が違います。
「しかし、確かに紛らわしい事だった。君の前で思わせぶりにペンダントに触ったりすれば、君が誤解しても当然だ。もうこのペンダントはしまっておこうと思う」
誠実なアーネスト様は仰いましたが、私は首を横に振りました。
「いえ、そのまま着けていて下さいませ。アークはアーネスト様の大事なご家族。そうであれば私の家族にもなるのですもの」
考えてみれば、私がペンダントを誤解して嫉妬して、対抗意識を燃やしてアーネスト様にアピールするようになったからこそ、私と彼は強く愛し合い、絆を深めたのです。そう考えれば、アークは私たちを結びつけた恩人、いえ恩猫という事になります。感謝するべきでしょう。
「アーネスト様。アークのお墓を教えて下さいませ。家族の仲間入りをさせて頂くお礼を言いたいと思います」
私が言うと、アーネスト様はそれは嬉しそうに微笑んで、私を優しく抱き寄せました。
「ああ、いいとも。アークも私がこれほど素晴らしい妻を迎えることを、天国で喜んでくれるだろう」
そうして私とアーネスト様は、なんの憂いもなく、お互いに微笑み合ったのでした。





