2-1 魔獣と聖獣
晴れた空。白い雲。緑豊かな森。――の中で。
ドドドドドドド!
轟音とともに土煙をあげながら、魔獣・大牙イノシシが追いかけてくる。
その巨体は三メートルほどで、名前の通り大きな牙を生やしている。
私とキールは、それから走って逃げていた。
「いやぁぁああぁぁっ!!」
「追いつかれるぞ!」
「来ないでぇぇええぇっ!!」
必死になって走る。
追いつかれたらあの牙でズタズタよ!! っていうか体当たりで潰れるわ!!
「!! あの木なら……!」
「うぇっ!?」
突然、体が浮く。
キールは小麦袋のように私を抱えて、低木の上へ飛んだ。枝から枝へ飛び移り、高い方へ行く。
ドドドドドドド!
大牙イノシシは、木の横を、そのまま走り去って行った。
「…………行った?」
「目の位置が低いし、首がないから、上の方はあまり見えないのかもな」
ほっ、と安堵する。
「怖かった……! キールありがと……」
「あいつ、お前の蜂蜜臭に寄ってきたんじゃないか?」
ずるっ。木から落ちそうになった。
「熊じゃないんだから!!」
「でも、大牙イノシシも蜂蜜を食べるんじゃないか? 雑食だろ!」
「あのねぇっ」
ドリアードの里をでてから三日が経った。
私達はまだ、ヴェンアーラントの森にいる。
私がいるから、迷いの術は効かないけれど、森は広大で、町へでるのにはまだまだ日数が掛かりそうだった。
「この森の中に、こんなに魔獣がいるとは……」
「里の中にいたら、見ないもんな」
魔獣というのは凶暴なモンスターで、普通の動物とは少し違う。
里の結界は魔獣避けの術もかかっているので、魔獣を見たのは初めてだった。
「結界の中では、小鳥とかはいたけど……イノシシがあんなに大きいなんて思わなかったわ」
「本で見ただけだと違うな」
里には先祖が残した手書きの図鑑があって、大牙イノシシも載っていた。
でも、大きさが書いていなかったから、もう少し小さいと思っていた。
私達は、狩りをしない。植物や野菜、果実、それから花の蜜などを食べて過ごしている。
狩られないから、こんなに大きな魔獣になっているのかもしれない。
もう大牙イノシシが帰ってこないか、少しのあいだ様子を見る。足音は遠く、私はそろそろと木から下りる。
キールがひょいひょいと登ったものだから低木だと思ったが、地面を見下ろすと意外にも距離があるように思う。
「ほら」
先に降りていたキールが腕を伸ばしたので、そこへ向かって飛び降りる。
一度抱きかかえられて、そのままゆっくり下ろしてもらう。
「えーと、んーと、こっちよ!」
「頼りにしてるぜ」
森の様子を感じ取って、方角を探る。集落の反応とは逆方向へ行けばいいんだから。
私達は町へあまり行かないので、森に道はないと思っていたけれど、魔獣の通る獣道はあるようだった。踏みしめられていて草が少ないので、方角だけ気をつけながら、なるべくそこを歩く。
しばらく歩いていると、やがて泉に出た。
きっと魔獣も水を飲んだりするからだろう。
「わぁっ! 結構広いわね!」
「ここでひと休みするか」
「賛成!」
しばらく歩きっぱなしで、天気も良いしで、汗をかいていたところだったのよね。
私は荷物を置いて、水辺に駆け寄る。
水面を覗くと、澄んだ水に、魚が泳いでいた。――魔物ではなさそうだ。
水の匂いを嗅ぐ。特に変な匂いもしない。
水底も近く、水深もあまり深くはないみたいだ。
大丈夫そうね。
そう判断し、靴を脱いで、水に入る。
水が冷たくて、気持ちいい。
渇いた体に、染み渡るようだ。(実際、まあ四分の1くらいは植物みたいなところもなきにしもあらずなので、定期的な水浴びが必要なのよ)
水深は膝より下で、とても浅い。
じゃばじゃばと水の中を歩くと、魚が逃げていった。
水の中で座ってみる。水面は、おヘソより上くらい。
足でばちゃぱちゃと水を蹴ると、滴が舞って、日差しが反射してキラキラとして見えた。
キールがいつまでも水に入ってこないので、声をかける。
泉の水で顔を洗っているようだ。
「キールもおいでよ!」
「……いや、俺はいいよ」
「見張り? 侵入者を許してしまってアレだけど、普通なら結界の中なのよ。誰もこないわよ」
「う~~~ん……」
キールは唸って渋った。
「水辺なんて、毎日あるわけじゃないんだから! 今のうちに入ったらどう?」
「それは……そうだけどさ」
「私ひとりで遊んでたら、馬鹿みたいじゃない! だから、ねっ!」
「誰もいないならどう見えてもいいんじゃね?」
「そういうことじゃなくて!!」
言って、ばしゃあっと水をかけてやる。
水は命中し、キールの顔から胸までを見事に濡らした。
「……」
「あははっ! かかった!」
「ア~イ~シャ~っ」
「休憩しようよ! ねっ!」
「……ったく……」
こういうときは、言うことを聞いてくれそうなときだ。
「ちょっと待ってろ!」
「ふふっ」
私は、水の上に仰向けになると、ぷかぷかと浮かんだ。
少しの時間が経って、茂みから着替えたキールが出てきた。
上半身は裸で、下半身は短パンのようなズボンをはいている。聞いてみると、『海水パンツ』だそうだ。
「そんなもの持ってたっけ?」
「お前は水浴びをしまくるだろうことは分かっていたからな。持ってきておいたぜ」
「ふ~ん……」
じゃあすぐに着替えたら良かったんじゃない? と思うけれど、多分見張りがしたかったのよ。
「人間は服を変えないといけないのね」
「お前たちみたいにすぐに乾かないからな」
私は、普段着のワンピースのまま水に入っていた。
「それって、女子のもあるの?」
「……なにが?」
「水着よ」
「……あるけど?」
「なんでこっち見ないの?」
「見てるけど?」
「見てないけど……」
明らかに目をそらしながら、キールは水に入ってきた。
細身の体には意外と筋肉が付いていて、引き締まっている。
いつの間にか背も伸びたみたい。
いつも背後にいるからか、こんなに正面からみたのはなんだか久しぶりのような気がする。
いや、半裸を見たのが久しぶりなだけかもしれない。
「…………」
「…………」
そんなことをぼんやりと考えていると、キールが勢いよく屈んだ。
そして、
「隙アリっ!」
「わぁっ!?」
ばしゃあっと水をかけられる。
……油断してたわ。
私は、手のひらに水を溜める。お返しよ!
「やったわね~っ! ……きゃあっ!?」
「ははっ!」
私が水を掛ける前に、先にかけられた。
キールの動きは俊敏で、どうにも先にしてやられてしまう。
なので、
「――ハマドリュアスの姉妹よ、力を。螺旋!!」
「なっ! それは反則だろぉっ!?」
「あははっ!」
私は水底から水草を生やし、それらも使って水を掛けた。
水遊びを始めて、しばらく経った頃だった。
ガサ……と草を小さくかき分ける音がした気がして、私は音のした方を探す。
茂みを見ると、小さな動物がテトテト歩いていた。
垂れ耳のウサギがずんぐりむっくりしたような姿に、白い羽が生えている。
「ねぇキール。見て。あれって、聖獣かな?」
「ん? ああ……。ラタトスク……か?」
魔獣とは反対に、聖獣もいる。
白い翼を生やしているのが特徴の生き物で、『世界樹の使い』と呼ばれている。
聖獣は人を襲わず、おとなしい。
数が少ないらしいけど、この森にもいたのね。
ラタトスクは私達を見つけると、びくっと身をかがめ、茂みに後戻りした。それからまた、そろ~っと顔を覗かせて。
私は小声で、
「警戒しているみたい。動かないであげて」
「……近くに寄るなよ」
「しっ」
「……」
私達が動かないのを見ると、ラタトスクは再びテトテトと水辺に近付いた。
何度も私達の方を確認しながら、水を飲み始める。
やっぱり、獣の水飲み場なのね。
っていうか、羽があるけど歩くのね。
やがて、ラタトスクは水を飲み終わり、茂みの中へと戻っていった。
「ふぅ。動いちゃいけないと思うと、緊張するわね」
「……そーだな」
「髪が重くなってきたから、もう上がるわね」
必要な水分量の吸水が終わったのだ。
私が水から上がると、キールも上がった。
「今夜はここでキャンプする?」
「いや、……移動しようかな……」
「水辺だし。料理とかも便利じゃないの?」
「便利だけど……」
「誰も来なかったし、安全じゃない?」
「来なかったけど……」
「けど、なに?」
「…………思い出しちまうじゃん」
「なに?」
「……まじで、なんでもねー」
キールはどうにも歯切れが悪い。
さっきまであんなに楽しく遊んでたのに。
「まあ、いいわよ。私が料理を食べるわけじゃないし」
「まだ日が高い。もうちょっと進もうぜ。水だけ汲んでおくよ」
「はいはーいっ」
キールの着替えが終わると、私達は再び歩き出す。
私の髪や体や服は、もう乾き始めていた。
しばらく歩いた頃だった。
「ブギャーーオッ!!」
突然、大きな声が森に響いた。
「魔獣の声!?」
「大牙イノシシか!? 離れよう!」
「うん!」
声と反対方向に走ろうとした、その時。
「……た、助けてくださぁいぃ……っ!」
「!!」
か細い、子どものような声がして、私は踵を返す。
「行くよ!」
「あっ! おい! ちょっと待てよ!」
「ブギャーーオッ!!」
雄叫びが聞こえる方へと、走る。
怖い、怖いよ!? アレに自分から近付くなんて! でもね、誰かが困っているなら見捨てられない! ここは里の外だけど、まだ私の森なのよ!!
やがて予想通り、大牙イノシシの姿が見えて――その足下に、倒れている人影が見えた。大牙イノシシは、それを今にも踏みつけそうだった。
――させない!
「――ハマドリュアスの姉妹よ、力を。螺旋!」
「ブヒッ!!」
大地から蔓を生やし、大牙イノシシを捕獲する。――が、すぐに引きちぎられてしまった。
「くっ……! ならっ! 盾! 盾! 盾! 盾!」
「ブヒィッ!?」
ゴウッと突風と共に、葉の盾を四枚出して、大牙イノシシを取り抑えに掛かる。
「ブオオオオオオオッ!!」
「ああっ!」
大牙イノシシが頭を振ると、盾も簡単に破られてしまった。
――ものすごい怪力ね!
でも。
「だからっ! 待てって言っただろっ!」
「プギィィッ」
飛び上がる影。
それから――ザン! と剣が振り下ろされる。
キールの剣は、大牙イノシシの肉を切り裂いた。
「プギィィィィィッ!!」
大牙イノシシは、一際大きな声を上げると、だっ、と逃げ出した。
その姿は、森の奥へと去っていた。
すごい……。追い払えた……。はぁはぁと、荒い呼吸を整える。
「ったく。すーぐ飛び出していっちまうんだからなぁ……」
「追いかけてきてくれてるって、信じてたわ!」
「……そりゃ、どーも」
「大丈夫!?」
私は、人影が倒れていたはずのところへ駆け寄る。
――が、
「……あれ?」
倒れていたのは、聖獣ラタトスクだった。
***
私は、ラタトスクを抱きかかえる。
四十センチほどの小さな体は、じんわりと温かい。
ラタトスクは、全身に怪我を負っていた。泉で会った時は、あんなにも綺麗でふわもこだったのに。
森にいると、またいつ大牙イノシシがやってくるか分からない。
私達は、森林から外れ、岩山のほうへと向かった。
岩山を登って、少し経った頃。
「こっちだ」
「うん」
キールが休むのに良さそうな洞穴を見つけたので、中に入る。
洞穴にしては浅く、じめじめしておらず、乾いた岩だし、大きさもちょうどいい洞穴だ。
ラタトスクをそっと地面に置いて、私は魔法を唱える。
「――ハマドリュアスの姉妹よ、力を。治癒!!」
ぱああっと光が生まれて、ラタトスクを包み込む。
特に切り傷となっている箇所には、治癒で絆創膏(アロエの葉を薄くしたようなものを貼り、蔓で撒いた)を貼った。
とりあえず、応急処置はできたと思うけど。
「大丈夫かな……?」
「細かい傷はもう消えてる。呼吸も安定してるし、休めば回復するんじゃないか?」
「……かわいそうに」
そっとラタトスクを撫でる。柔らかな毛並みが、呼吸の度にゆっくり上下する。
大牙イノシシも、こんなにすることないわよね!
今日のキャンプは、ここですることに決まった。
私がラタトスクを撫でている間、キールだけが携帯食のご飯を食べた。(私たちは、人間のようには食べなくても平気なのだ)
「あと森を出るまで、何日くらいかかるんだ?」
「そうねぇ……。三日、四日くらいかな?」
「まあ、そんなもんか。それでも早いくらいか?」
そう言って、キールは洞穴の外を見た。
日が落ちたので暗いが、集落も見えないが、町も見えない。
ちなみに集落は、中にいると日差しが明るく開けた土地なのだが、里の外から見ると木々と霧で全く分からないようになっている。
夜。岩山の気温は下がった。
ラタトスクは、目を閉じたままだったが――小刻みに震えているようだった。
「寒いかな?」
私がラタトスクを抱きかかえて撫でてやると、少し震えが収まったように見えた。
私は、ラタトスクを抱きしめながら、眠りについた。
翌日。
朝日が洞穴に直接差し込み、私は顔をしかめた。
「ん……ん~……」
なんだろう。あったかい。
体になにか、あったかいものがくっついている。
そうだ、昨日はラタトスクを抱っこしながら寝たのよね。
まだ、眠い。あまりはっきりしない頭で、ラタトスクの頭を撫でる。
……ん? なんかおっきいわね。こんなにおっきかったかな。
さわさわ。……毛がない? ……いや、あるわ。おしりにあるから、これは尻尾ね。
……?
私は、目を開ける。
すると、
目の前にあったのは、人の後頭部だった。
「!?」
まばたきを数回して、飛び起きる。
私は、ひとりの見知らぬ少年を、抱きかかえていた。




