4 アレン
「社交界に復帰致しますわ!」
フンと鼻息荒く宣言されてしまった。
やはり、秘密の花園サロンとやらで火がついたのかな。
「社交再開から一気に社交界復帰かあ。もう少し、サロン期間でいいのでは?」
淑女のサロンは基本昼間、社交界とは主に夜会中心。
普通、新妻が社交界復帰する流れは、数回サロンに顔を出し、近々の社交界情報を得てからが妥当だ。
「アレン……駄目、なの?」
反則だなあ。
大きな瞳を数度瞬きし、上目遣いでお伺いだもんな。本人自覚なしのあざとさなんだよ。
見慣れた気高きダリアでなく、朝露に濡れるダリアの如く、無防備な姿。近しい者だけにしか見せないんだよ、これ。超レア、激レア。
ソッと撫でて朝露を拭いたくなる。無意識に誘われるやつ。
魅せられ、心奪われる……夫を惑わす、まさに悪妻。
「ア、レン?」
本当にダリアの頬を撫でていたわけさ。
「うん、いいよ。社交界復帰」
「本当!?」
パッと華開く表情。
「準備期間は欲しいけどね」
「準備?」
頬撫でた手に預けるように、コテンと小首を傾げるダリア。
今日は色んなダリアを見せてくれるなあ。
「新妻の社交界復帰に、新調ドレスも贈れない甲斐性なしの夫は嫌だし」
「まあっ、アレンったら。ウフフ」
甘笑いいただきました、うん、今日はなんていい日だ。
イチャイチャ……で、幸せな眠りについた。
眠りにね。
「オーッホ」
パチッと目を開く。
ガシッと抱え込む。
「ッホッホ」
今日は起き上がらず捕獲できたぞ。
「聖女に反旗を翻せっ!」
はい?
何事だよ?
聖女……って、あの外遊聖女か?
そういや、胡散臭い奴だったよな。
第一、聖女が外遊っておかしいだろうよ。普通、聖女はお抱えにしておきたいものだろ。奪われないように、国家で囲うはずだって。
それを、外遊に出すってさーーオラの国じゃ手に負えねえだあ。どっか引き取ってくれねえべか、よし、放流しちゃえーーみたいに思うけど。
「私ダリアが来たからニャア、好き勝手はできニャアくってよ。ニャアーッホッホッホ」
クックックッ
ニャアって、猫語混じってるんだけど。
「ムニャア……アレンだけよ、私を好き勝手できるのは、ムフフ」
どうしてくれようか、この初い奴め。
頭に一つキスを落とす。
まだ夢の中の新妻ダリアは、幸せそうにウフフと笑った。
きっと、私も同じ幸せ顔だろうな。
「ま、とりあえずは情報収集からか」
サロン開催後の社交界復帰宣言だったし、予想通り何か社交界で起きているんだろう。
情報収集時間が欲しくてドレス新調を提案したし。
つっても、この国では新顔の私につてはほぼない。
「幽霊伯爵だしさ」
幽霊の如く動こうか。
情報収集はこの国以外でも可能だから、元々生まれ育った母国に指示を出しておくか。
母国の屋敷もそのままにしてある。
ホッヘン伯でもあり、母国では別の爵位も有している。生活基盤は二拠点あるわけ。
「こっちの社交界がオフシーズンに入ったら、あっちに連れて行こう」
ダリアの髪を梳く。
ふふぁあ、とあくび一つして、二度寝に突入した。
「……とのことです」
翌日、執務室にて家令からサロンの内容を聞いた。
内容の出どころは、ダリアの専属侍女からである。
家令の手際の良さはあいかわらずだ。
「勝手ながら、あちらの屋敷にも情報収集の指示を出しておきました」
「流石だ、頼りになる」
我の意を得たり。
この家令を母国から連れてきたのは正解だった。
母国の屋敷は屋敷で、人は置いてきている。新任の家令だが信頼できる者だ。情報収集の指令に、迅速に動くだろう。
ホッヘン家屋敷で働く者の八割は、母国から引き連れてきた。一割がダリアの生家カッツ侯爵家出の者。通いの一割がこの国で雇った者だ。
「社交界復帰は、ドレスを新調してからだとダリアには言ってある。その期間で情報収集しダリアのサポート態勢を整えておくぞ」
「かしこまりました」
「さてと、私はダリアと外出する」
「カッツ侯爵家への先触れを出しましょう」
うん、出来る家令だ。
この国でのつてで一番に思い浮かぶのは、カッツ侯爵だし。
新妻の社交界復帰の相談訪問なら妥当でしょ。
後々は、鉄の結束八重会にも信頼され情報源にしたいところだけれど、今は無理だろうな。実績がないしさ。
今回の社交界復帰が実績になるように頑張るか。
というわけで、カッツ侯爵家屋敷前に到着。
「ねえ、アレン」
「なんだい、ダリア」
すでに臨戦態勢なのかな。
目をギラギラさせて、屋敷を睨んでいる。
どう見ても、婚姻後に生家へ初訪問する雰囲気ではない。
生家を見て感傷に浸るとか、優しい眼差しになるとか、そんな新妻を夫が見守る図を想像するものだけど。
まあ、ダリアだし。
秘密の花園サロンの後だし。
何をそんなに怒り肩なのかは、見当がつくけれどさ。
「私、僭越ながら先陣を切りますわ!」
先触れのおかげで、すでに門番の者が立って待っている。
「たっのもおぉぉーー」
何、その掛け声?
掛け声に驚きながらも門番が門扉を開けると、カッカッカッとヒールを鳴らしながら進んでいく。
「お、お嬢様、お待ちを」
門番が慌てるがどこ吹く風。
私も苦笑いでついていく。
「お嬢様、私が先導致しますので」
門番がダリアの前に駆けていく。
ダリアはピタッと足を止めた。
ホッと安心する門扉に、ダリアはキッと睨みつける。
「も、申し訳ありません、お嬢様」
「違うわよ!」
ダリアが扇子で門番をビシッと指した。
「ヒィッ」
門番の鼻スレスレで指された扇子。
そりゃ、悲鳴も出るさ、高潔なダリアの指摘だから。
いや、でもさ……門番の戸惑いよりもダリアの方が心をモヤッとさせているかもね。
「ダリア、許してあげたら?」
扇子をソッと下ろさせて、門番に目配せした。
門番はダリアの扇子の圧から解放され、数歩後退し頭を下げる。
「お、おじょ」
「待って待って」
門番の口を制する。
「今は、ホッヘン夫人だから」
「あっ」
門番がやっと気づいたようだ。
「ダリアも目くじら立てないであげてよ」
「だって、だって……お嬢様だなんて、子ども扱いじゃないの。私はれっきとした夫人ですのよ」
そう口にしながら、私の袖口を摘んで不満げに見上げてくる。
「私も母国では未だに坊っちゃんって呼ばれていたりするよ、乳母とかに」
「あらまあ、そうですの?」
「そういうものだよ。カッツ侯爵家では、ダリアはずっとお嬢様なんだって。せめて、私も『若』とかだったらって、いつも思うし」
クスッとダリアが笑う。
笑われたから、お返ししなきゃな。
「まあ、ダリアの場合は私が好き過ぎてホッヘン夫人と呼ばれたいんだろうけれど」
「な、な、な、ニャアにを、ほざいておりますの!」
ププッ、また、猫語が入っている。
門番に目配せした。
きっと、意を汲んでくれるだろう。
「大変失礼致しました。ホッヘン夫人、屋敷まで先導致します」
「お、お嬢様でいいわよ!」
「アーッハッハッハッハ」
「なんで笑うのよ、アレン!?」
ポカポカと叩かれるけれど、可愛いだけなんだけど。
「はいはい、愛し愛されるホッヘン夫人ダリア、先陣を切るんでしょ?」
「そうよ、そう! 私、父上に、コホン、カッツ侯に言わなきゃならないことがあるの。詰めてやるんだから!」
意気揚々と屋敷に案内されたとさ。
「おお、私の可愛いお転婆嬢ちゃんや」
カッツ侯爵が手を広げてダリアを迎えている。
お嬢様以上の愛し愛される呼び名だ。
迫るカッツ侯の手を、ダリアの扇子がビシッバシッと叩き落とした。
「私はホッヘン夫人でしてよ」
ツンと澄ました視線をカッツ侯に向けている。
「なんと、なんと、鼻垂れ泥だらけで屋敷を駆け回っていたあの暴れ赤毛馬が、ウグッ」
みぞおち一発見事に突かれたカッツ侯。
どうやら、ダリアはお転婆さんだったらしいな、幼い頃も。……寝ぼけ中も。
「私、本日は抗議に来ましたのよ」
流石、ダリア。
一直線だ。
婚儀後の初生家にもかかわらず、挨拶そっちのけ。本題まっしぐら。
「ダリアったら、また突っ走っているの? ホッヘン伯に迷惑をかけちゃって、ごめんなさいね」
カッツ夫人が苦笑しているから、軽く会釈しておく。
「いえいえ、迷惑だなどと思いません。婚儀後の生家初訪問ですから」
「二人で仲良く訪問してくれて、ホッと安心していますわ。私、ヒヤヒヤしておりましたのよ。返品の可能性が頭をかすめていたの。だって、ねえ? 奇行をね、実際経験なさった……なさっているでしょ? 素のダリア以上の本質ダリアをホッヘン伯が受け入れてくれるものかと」
頬に手を当て、カッツ夫人が悩ましげに漏らした。
あー、あの寝ぼけ行動のことだろうと察しがつく。素のダリア以上の本質ダリアか、言い得ているな。
その本質ダリアが、今朝口にしたのは『アレンだけよ、私を好き勝手できるのは』ってこと。
「素のダリアも本質ダリアにも、私はメッロメロンですので」
「ちょ、ちょっと、アレン! 何を言っているのよっ!」
顔を紅潮させたダリアのダリアたるや、可愛いなあ。
「あらあら、まあまあ。良かったわね、ダリア」
「母上、揶揄わないで!」
そこへ、『やあ』と手を上げて紳士が登場する。
ダリアの兄、次期侯爵であるロバートだ。
「あいかわらず騒がしいな、ダリア。ホッヘン伯、本当にこのジャジャ馬でいいのですか?」
こちらも、軽く手を上げて挨拶しておく。
「いいも何も、ダリア以外は要らない」
「おおっと、流石新婚、惚気られた。じゃあさ、この後、どう?」
酒でも一献ってな感じで、クイッと手を傾げてウィンクのロバート。
秘密倶楽部へのお誘いだろう。
唯一のつてに来て正解だったなと。というか、ロバートの視線からして、何か思惑がありそうだ。
「兄上! 邪魔しないで! 今日は抗議に来ましたの! カッツ侯に、物申おぉぉっすぅっ」
「そんなに父と語らいたいのか、ダリアよ。仕方ないなあ、父が恋しかったとは、まだまだ子ども、フンガッ」
「ちっがあぁぁうっ」
ダリアがカッツ侯の口を扇子を広げて押さえつけた。
「私怒っておりますわ、リナリーを孤立させたことを! なぜ、バネトン公爵家に助太刀しなかったのですか!? なぜ、聖女を野放しにしているのです!?」
バネトン公爵家ご令嬢ことリナリー公爵令嬢、王太子の婚約者。
聖女の言動で悪評が流れ、夜会で孤立寸前になったーーことを、ダリアはサロンで聞いたから、カッツ侯爵を詰めているわけ。
まあ、私もカッツ侯爵の動向は気になる。
「そりゃあ、あちらさん(聖女)の後ろ盾がダリアの元婚約者の家になっちゃって。こちらは表立って敵対位置に出張れない状況だ」
絶句。
ダリアは薄く口を開けて固まった。
なるほど、なるほど。
リナリー公爵令嬢と聖女を盾に、代理戦争の状況になってしまうか、カッツ侯爵がリナリー公爵令嬢側につけば。
なんか、色々と背後が動いていそうな展開だ。
王太子も八重会にダリアの社交界復帰を依頼しているし。
「ちょっと、いいか」
ロバートが口を挟む。
「ホッヘン伯、この状況を理解できています? ダリアの言動や父上の口にしたことを? ダリアのことだから、説明せずに来訪した気もするし。ホッヘン伯は、こちらの社交界は未知の領域でしょ?」
バッと皆の視線を受ける。
「そうですね。『愛され』聖女に社交界が手玉に取られ、『愛し愛される』ホッヘン伯夫人が、そんな社交界を覆す未来が確約させている程度ぐらいしかわかりませんけど」




