3 ダリア
「それで、何がありましたの?」
開口一番で八重会の仲間たちに確認する。
私主催のサロンを希望したのは、何か社交界であったのでしょ?
さっさと本題に入らなきゃ。
「あらま、私たちがホッヘン伯の手繋ぎエスコートをスルーするとお思いなの?」
うきゃー、だから本題に入りたいのよっ!
「そうそう、急転直下の婚約に速攻婚姻だったから、私たち、心配していたのよ?」
それは、だって、アレンが特攻したから。
プイッと横を向く。
自ずと目に入る花園。
皆の目も花園を眺める。
「すごいわね、この花園。ダリアでいっぱいだもの」
「ホッヘン伯のダリアへの想いが見事に咲いていますこと」
「本当に惚れ惚れするほど、ウフフ」
「新妻の社交にノコノコ顔を出す場違い感たるや」
「愛されているわねえ」
生温い視線を一身に受けている。
これぞ、社交復帰の通過儀礼。
「あ、当たり前でしてよ。私はダリア! 愛されて当然のダリアですもの。オーッホッホッホ」
バッと扇子を開き、ツンと上げた顔に添える。
「流石、ダリアね。羨ましいわ。私たちもダリアのように愛されたいものね」
「……そうよねえ」と仲間たちの共鳴。
あらら?
しみじみとしちゃっている。
「どうして萎えてらっしゃるの?」
皆、顔を見合わせて苦笑した。
「ダリアが社交から遠ざかっているこの数カ月で、状況が一変したのよ。聖女を覚えている?」
「ええ、もちろん。外遊に来ている聖女でしょ。私がやらかした夜会がお披露目だったわよね。確か、治癒力があるお方だとか」
夜会で紹介された聖女を思い浮かべる。
自身とは正反対な見目だったような……それこそ、元婚約者が望んだような慎ましく庇護欲そそられるそんな感じの。
「そうなのよ。それが問題なのよ」
「えっと、治癒力が?」
小首を傾げた。
「神の愛し子たる聖女。聖女には治癒力の他にも、加護が与えられていてね……聖女に仇なす者には治癒が発動しないって」
「それって、聖女が不当に力の搾取をされないようにかしら。治癒力の行使を、権力者によって強制されないようにといった方が正しいかもね」
治癒力のある聖女は、何かとその能力を求められがちになる。無理難題を押し付けられることも。
平民の聖女を酷使し続け、神の逆鱗に触れた国が滅亡した……なんて話が、どこの国にも語り継がれていたりするだろう。
「ええ、まあねえ。本来は、そういうことだと思うわ」
微妙な雰囲気の返答だった。
「何よ、さっきから、変な含みを感じるわ」
皆を見回した。
一番付き合いの長い伯爵令嬢シンシアが、視線に応えるように口を開く。
「『愛され聖女』って条件下でしか治癒ができないそうよ」
「……は? よくわからないわ。どういうことなの?」
詳しく話すようにと、シンシアに続きを促す。
「聖女に対する『愛』があれば、治癒されるってことよ。皆に愛される聖女だからこそ、治癒力が使える、だから『愛され聖女』」
「は?」
詳しく聞いても全然わからない。
「ま、私は『ハーレム聖女』だと思っているけれどね。皆に愛を囁かれ、崇められ、もてはやされると、治癒できる……ううん、治癒力を使う。今の社交界は、聖女一強。一部の者を除き、ほとんどが聖女に手玉に取られちゃっている感じ」
シンシアが心底嫌そうに言った。
半ば、呆れているといった雰囲気を醸し出している。フンと鼻で笑う感じで。
「続きはエレンにお願いするわ」
シンシアのいとこで、同じ伯爵令嬢のエレンが肩を竦めて応えた。
「事の発端は、ダリアの婚姻と同じ頃よ。運悪く王太子が風邪をこじらせたのよ。婚約者のリナリー公爵令嬢は必死に看病したの。もちろん、王宮医官だって同じ。でも、ちょっと悪い風邪だったから、快方に向かうのが遅かった。そこで、聖女がしゃしゃり出る。外遊成果を上げたかったのかもね」
なんとなーく話が見えてくる。
「王太子は咳き込みながらも『聖女の献身に感謝する』と親愛的、友愛的な言葉をかけたのですって。それで、『愛され聖女』は治癒をかけたの。そうしたら、あらまあ、なんということでしょう」
エレンが目配せしたわ。わかるでしょ? っていうような感じで。
「あっという間に快方したのでした?」
「ええ、その通り」
どこぞのおとぎ話の典型的展開すぎて笑っちゃうほどね。
ちちんぷいぷいで一発解決みたいな。
「聖女は笑顔で『王太子の愛にお応えでき嬉しい限りです』なんて、宣ったそうよ。リナリー公爵令嬢がその場にいるにもかかわらずね」
驚きを禁じ得ないったらない。
王太子の婚約者の面前で、王太子の愛に応えたなど、口が裂けても言えないものだろうに。
「その驚きは私たちも同じよ」
シンシアが言った。
皆も苦々しい表情で頷き合っている。
「リナリー公爵令嬢は、そんな聖女でも寛容だったそうよ。手を取って、ありがとうと涙ながらに感謝したのだとか。でも、王太子の快方に安堵したのか、今度は看病疲れでリナリー公爵令嬢がフラッと倒れてしまったの」
エレンがそこで言葉を止めて小さく息を吐き出す。
「聖女がもちろんその場で治癒を行った……のだけど、回復しなかったの。聖女はこれでもかと瞳いっぱいに涙をためて言ったそうよ。『仕方がないことです。例え治癒とはいえ、王太子の愛に応えた私を嫌うのは当然ですもの』って。『私が悪いのですわ』って」
眉をひそめる。
聖女への気持ち悪さが込み上げてくるわ。
「そんな聖女の言い分を、膝を崩し息も絶え絶え状態で聞いていたリナリー公爵令嬢は、力なく笑った後、意識を手放したのですって」
ギュッと扇子を握りしめていた。
アレンから贈られた扇子でなかったなら、きっと、バッキしていたかもしれないわ。
「王太子はすぐにリナリー公爵令嬢を抱き上げようとしたのだけれど、聖女が遮ったの。いくら治癒で快方したとて、病み上がりに変わりないので無理は禁物だと。リナリー公爵令嬢は王宮医官らに託され、その日のうちに公爵家が引き取ったの。……その後からよ、妙な流れになったのは」
予想はできるけれど、口にはせずに待つ。
エレンがシンシアに視線を投げた。
シンシアがまた話を引き継ぐのね。
「さっさと聖女に治癒を乞えばいいものを、リナリー公爵令嬢は怠った。聖女に対抗した自己中心的な無駄な看病で時間を費やした。そんな謎理論が、流れ始めたのよ。……王太子は病み上がり、リナリー公爵令嬢は体調不良で、二人が社交界に出れない間にね」
重苦しい雰囲気が流れる。
社交界の嫌な一面だ。
「そんな流れの中、王太子の治癒で実績を見せた聖女は励み出した。生傷多い騎士隊、兵隊、病を患う貴族、神殿に出向き民にまで、治癒を施し回ったの。そんな聖女は称賛されるわよね。反対に、リナリー公爵令嬢には厳しい視線が注がれることになった」
チョロチョロ流れ出ていた水が、聖女の治癒の行いによって対比され、濁流になるのに時間はかからなかったのだろう。
「聖女への羨ましさが招いた失態。聖女に嫉妬し自滅した愚か者。王太子妃に相応しくない。王太子も聖女に心を許している。だから治癒が効いたのだ、リナリー公爵令嬢と違って。……反吐が出るような話が、一気に広がった」
悪評は蜜の味、面白可笑しく、且つ陰湿な方へ拡大解釈されて膨れ上がっていく。
「社交界はガラリと姿を一変させた。羨望の眼差しの対象をリナリー公爵令嬢から聖女へとね」
シンシアが憤懣やる方ないといった表情で話した。
ううん、シンシア以外の皆も同じ表情。
きっと、私も同じね。
「私もエレンももう話すのに疲れたわ。誰か代わってよ」
シンシアとエレンが紅茶の入ったカップを手に取った。
「ありがとう、二人とも。じゃあ、レネにお願いするわ」
シンシア、エレンと続き、レネに引き継ぐ。
レネは守護刺繍を学ぶ仲間で、カッツ侯爵家と縁のある辺境伯家の令嬢。
レネもカップの紅茶を一口飲んでから口を開いた。
「体力を戻した王太子と体調が回復したリナリー公爵令嬢が、社交に復帰することになって王宮で夜会が開かれた。けれど、リナリー公爵令嬢は王太子のエスコートではなかったの。王太子がエスコートしたのは聖女。だって、仕方がないじゃない、王太子に治癒を施し快方させた聖女を王太子当人がエスコートするのは。聖女のおかげだと、感謝の意を表明するための対応だから。そして、陛下は『聖女のご尽力に感謝を』と口にした」
確かに仕方がなかったことかもしれないけれど、リナリー公爵令嬢に対する不穏な流れを王家が知らぬはずはない。
そんな中で王太子が聖女のエスコートをすればどうなるか……リナリー公爵令嬢の立場はさらに脆くなる。
「聖女は、陛下に応えるように膝を折り、また宣ったのよ。『王太子の愛にお応えでき治癒できたことは嬉しい限りです』って」
バンッ
思わず、テーブルを両手で叩いてしまったわ。
「リナリー公爵令嬢の面前だけにとどまらず、公の場でも言い放ったのね。いい度胸してるじゃないの、その聖女って! そんな不届きで不敬な発言を社交界はどう受け取ったのよ!?」
流れ的にはわかっているわ。
でも、ちゃんと最後まで確認するわ。
レネはコクンと頷いた。
「喜ばしいことだとか素晴らしいことだとか、愛が病に打ち勝っただとか……歓喜の拍手喝采となったわ。聖女は頬染め恥ずかしそうにして周囲に笑顔を振り撒いたのだけど……」
「だけど?」
レネが小さくため息をつく。
心を整えているようだ。
「聖女が周囲を見回している途中、ビクンと体を震わせたの。聖女の視線を皆が追う。そこにいたのはリナリー公爵令嬢。『ご、ごめ、す、みません。そんなに睨ま、ないで……』とかましたの。批判の眼差しがリナリー公爵令嬢に注がれたわ」
唇を噛む。
聖女の言の葉一つで、肯定されたのだ。理不尽にもほどがある。
「流石に王家もリナリー公爵令嬢を孤立させるわけにはいかない。王太子はすぐに動いたわ。聖女の傍を離れ、リナリー公爵令嬢に向かおうとしたのだけれど、また聖女が邪魔をしたの。『近寄っては、悪しき感情に呑み込まれてしまいます!』って」
ドンッ
今度は拳でテーブルを叩いてしまった。
茶器がガチャッと音をたてる。
「ダリア、落ち着いて。こぼれちゃったわ、紅茶が」
「お取替え致します」
私専属の侍女が、すぐに対応してくれた。
大きく深呼吸して、気を落ち着かせる。
「それで、どうなったのよ? リナリーを独りにさせたの?」
「いいえ、私たちはリナリー公爵令嬢の傍らに寄り添ったわ。何百何千いる貴族らの中で、公爵家の人たちと私たちだけだったわよ。……私たちの婚約者どもも尻込みして寄り添ってはくれなかったの」
針のむしろのようだったに違いない。
「そんな状況になって出遅れてしまったけれど、王太子はちゃんとリナリー公爵令嬢の下まできて手を取ったわ。『嫉妬してくれて嬉しいよ。ここは空気が悪いようだ』そう言って、聖女に手玉に取られた夜会場からリナリー公爵令嬢を連れ出したの」
王太子の賢明な判断だろう。
でも、問題が解決したわけじゃない。
「その後は、どう収束したの?」
「元々、聖女の独壇場だったけれど、主役が如く口を開いたわ。『私が悪しき感情に当てられぬように、引き離してくださった……自らを犠牲に』なーんて、ポロポロと涙を流してたわよ」
物は言いようね。
「聖女の周りには気遣いや労いの人集り。治癒の恩恵に預かった者らが聖女を囲ってもてはやす。『愛され聖女』は、笑顔を取り戻しましたとさ」
レネがそこら辺に転がっていそうな物語のように締めた。
周囲がフォローしたのでしょうね。
夜会を潰さないための暗黙の掟といったところかしら。
一旦、リナリーと聖女を均衡にした感じね。
リナリーには王太子、聖女には治癒の恩恵を受けた多数の貴族。
「……私も、圧力がありましたわ」
レネが低く小さく告げる。
「辺境領は防衛線。多くの騎士や兵士らを背負っている。多くの怪我を診ている。古傷が痛む者も多い。聖女に期待する者もいるの。聖女との敵対を望まない……願わくば、治癒の恩恵に預かりたいから仲良くしろって圧がね」
レネが苦笑した。
それを皮切りに、他の仲間たちも同じだと口々に告げる。
自身が治癒を必要としなくとも、縁者には望む者がいるから。親類縁者全員が健康体であることなどないのだ。
医者では治せない怪我や病を患う者はいるだろう。
「だから、聖女一強になるわけね」
険しい顔で皆が頷いたわ。
「王太子から頼まれたのよ。ダリアを社交に復帰させてほしいと。自身は聖女の治癒で回復したから、表立って対抗できないとね」
シンシアが言った。
確かに治してもらいながら、どの口が言っているのだと批判されよう。
それこそ、リナリーの悪しき感情に毒されたなどと言われかねないもの。
「今、打てる手立てはダリアの社交復帰だけだと王太子は考えたの」
エレンもシンシアに続いて言った。
「鉄の結束の見せどころよね」
レネがフッと笑う。
そして、ダリア以下七人の構成員が一席へと視線を移した。
空席のそれはダリアの対面席。
八重には一重足りない。
リナリーがいないから。
「社交界復帰、よろしくってよ! 私ダリアが、社交界の流れを覆してやるわ。オーッホッホッホ」