1 アレン
「オーッホッホッホッ」
その高笑いを耳にし、シュパッと起き上がる。
「ホッホッホッー」
「待て待て待て」
扉に手をかけんとする新妻をバッグハグで止める。
「オホ?」
ユラユラと揺れていた頭が、カクッと落ちた。
いつものように、抱き上げフッカフカの寝具にボスンと落とす。
「ムニャ」
枕をギュッと抱き締めた新妻の姿を……眺める。
「ないな」
うん、ない。
こんな姿で扉を出ようものなら、大事になってしまう。
夫婦の寝室から寝ぼけた新妻が出ていく……どんな姿かを想像すれば自ずと分かろう。新妻のあられもない姿を披露してしまうことになると。
いや、間違いか。
「あられもない姿ならまだいい」
艶めかしい方ならば。
新妻たる体裁を保てるしさ。
「逆だし」
艶めかしいの真逆の姿を眺める。
新妻ならばペラッペランのスッケスケのネグリジェが艶めかしいと表現できよう。
その真逆とは、正しく目の前に横たわっている。
「寝間ぁー着。分厚い下穿きに上着をがっつりイン、腹巻きまでキメちゃってるしなあ」
百年の恋も冷める……のか?
「まあ、慣れだ、慣れ」
体が冷えたのか、ダンゴムシのように丸まった新妻を、いつものように全身で包んで温める。
全く持って世話が焼ける。
一つあくびをして目を閉じた。
人肌というのは睡魔を誘うわけで、二度寝に突入するのだ。
これが、ホッヘン伯爵家当主アレンの一日の始まり。新妻ダリアが高笑いという寝言をかましながら、寝ぼけて寝室から出ようとするのを止める……夫たる特権の朝作業だとでも述べておこう。
本日の妻。
何やら企んでいるな。
横目で妻の表情を確認中。
朝食の席、食む唇の角度、瞳の輝き、瞬きの数、頬の色付き、どれを取っても、ダリアのそれに繋がっている。
つと、控えている家令と視線が重なった。
小さく頷いている。
こちらも瞬き一つで応えた。
「ねえ、アレン」
「なんだい、ダリア」
呼ばれれば、ちゃんと顔を向けるわけで。
ダリアと視線が重なるわけで。
絡み合う視線を弾くようにダリアは口を開いた。
「社交を再開致しますわ!」
それはもう高らかに言い放った。
高揚しているのか、若干、鼻の穴が膨らんでいる。
新婚三カ月、蜜月期間といっていいわけでして。
まあ、半年は欲しかったなあとか、一年ほど続く奴もいるわけであり。
そうなると、社交させず、妻を閉じ込める夫という悪評が立つ。でもさ、これ系の評判って、まあ、なんていうの……溺愛評価の表裏一体でしょ。
悪い評判って、羨望の裏返し的な。なっ?
「ちょっと、聞いておりますの、アレン!?」
「ああ。もう少し蜜月期間を過ごしたかったけど、ま、いいんじゃないの」
「しゅ、しゅご、過ごしたかったのなら、良くってよ」
可愛いなあ。
頬染めるダリアを見つめる。
「確かに、当たり前よね。この私がたった三カ月程度で飽きられるなんてあり得ないもの、オーッホッホッホッホ」
顎を突き出し、口元に添えた右手の甲のしなりといったら、うん、完璧にキマッている。
「ねえ、ダリア。私が飽きるまで蜜月期間っていうのなら、君が死ぬまでそうなっちゃうんだけどいいの?」
「オホ?」
「私がダリアに飽きるなんてこと、一生ないよ」
もう、真っ赤っ赤。
クックックッ。
「それとも、ダリアは私に飽きられる程度のダリアに成り下がるつもりかい?」
対抗心たるや凄まじく、潤んだ瞳でキッと睨まれた。
ダン
ガシ
ピシ
「この私ダリアたるダリアが、ダリア以下に成り下がるなどありもしませんことよ!!」
ダン
立ち上がりーの
ガシ
侍女から扇子を掴み取りーの
ピシ
それを私アレンに指してーの
「私を誰だとお思い!? ダリアよ!!」
のけ反って居丈高にしてーの
からーの、扇子をバッと開き口元に添える。
「オーッホッホッホッホ」
今日も今日とて、ホッヘン伯爵邸に高笑いは響き渡るのであーる。
所変わって、執務室。
もちろん、当主アレンの。
「それで?」
仕事の手を止め両手を組む。ひと呼吸し、肘置きに両肘を置いて家令に向いた。
家令が会釈する。
「ここ最近、奥様のサロン開催をご希望される文が届いております」
「招待でなく?」
「はい」
足を組み替え、執事が淹れた紅茶のカップを手に取った。
「秘密の花園サロン」
「ブッホッ」
いぶし銀の口から紡がれた言葉に、盛大に紅茶を噴き出してしまう。
いぶし銀たる家令は若き執事と一緒に執務机を拭き始める。
「上着をお取替え致します」
家令の目配せで、執事がアレンの背後に回り上着を預かった。
「替えはいい。話を続けよう」
「かしこまりました」
洗濯係行きとなった上着を腕にかけた執事は、会釈してから出て行った。
「奥様曰く、紳士は秘密倶楽部、淑女は秘密の花園サロン、だそうです」
うん、ダリアなら考えつきそうなことだ。
「加えて、結婚前は別名での社交だったとのこと。生家より奥様に随行してきた侍女から聴取致しました」
「別名か、聞いておこう」
「八重会、です。奥様と八人の構成員だったことから、お仕えする者らがそう呼び始めたとのこと」
構成員……構成員かあ……。つまり、ダリアと八人の愉快な仲間たちってことだな。
「何か……すごく……クセが強そうな会だな」
「はい。随行侍女曰く、鉄の結束だそうで」
うん、手強そうだ。
「社交もここ数カ月ほど遠のいていたし、頃合いか」
サロンを開いて社交界の様子を知っておくことは必要だ。今現在、社交界の情報から取り残されているようなものだし。
まあ、新婚期間とはそういうものである。社交界から離れ、二人で甘い時間を過ごすのだから。
幸せ惚けした夫は、久々に顔を出した秘密倶楽部で揶揄われる。
隈を作った妻は、お茶会で生温い視線を浴びる。
それが、社交に復帰する通過儀礼のようなものだ。
「それにしても、招待でなく主催する方向とは……」
「はい。本来ならば、新妻を囲う夫から引き離すため、仲間内で茶会を開き招かれるものでしょう」
「その誘いも三度ほど断るのが儀礼だよな」
新妻を離さぬ夫。つまりは、溺愛してますよー、大事にしてますよー、ってなものである。
あらあら、お熱いことねー、てなあれでもある。
「主催させることで、確実開催したいということか……社交界で何かあったのかもな」
「その何かを、八重会のお仲間様は早急に奥様に伝えるべきと判断したのかもしれません」
なるほど合点がいく。
「よし、バックアップしろ。とはいえ、軽快に開催の許可を出せば、新妻の体裁も悪い」
それこそ、三度ほど断るのが体裁を保てるのだが、そうもいかぬ肌感がある。社交界は情報が命。
さて、どうしたものか。
「秘密の花園サロンですから、花園を贈ってみてはどうでしょうか? 花園が出来上がるまでお待ちいただくとすれば、奥様の体裁も旦那様の体裁も保てましょう」
夫が新妻に金をかける。新妻のために花園を準備して。
「なるほど、花を贈るより花園を贈るということか。いいな、それ。よし、メインの花はもちろんダリアで頼む」
「造園屋と花屋を手配し、庭師と打ち合わせします。では」
優秀な家令だ。
きっと、素晴らしい秘密の花園とやらを誂えよう。
安心して、再度仕事に戻った。
本日の妻。
気合いバッチリだ。
肌も髪も完璧な手入れ。新調のドレスもキマっている。大輪のダリアのように。
今日はサロン開催日。
早朝から準備に余念がない。
……寝ぼけ眼で高笑いをかましたダリアを朝湯に入れたのも私。
途中、目覚めた真っ赤な大輪のダリアたるや、サロンなど延期にして、新妻を囲う……新妻に溺れる夫になってしまいたかった。
が、なんとか自制して甲斐甲斐しく世話をし、湯上がりのダリアを侍女に託したのだ。
「ねえ、アレン」
「なんだい、ダリア」
エスコート中だったが足を止める。
「乙女の集まりに異性が顔を出すのはご法度よ」
「ダリアはいつから乙女に戻ったのかな? 私と朝湯を共にするのは乙女と言わないさ」
「んまっ、アレンったら!?」
ダリアが私の脇腹を小突いた。
「新妻の最初のサロン開催に、夫が侍るのは既定路線さ。本当はまだ一緒にいたいのに、渋々社交に送り出す夫でありたいから」
ウィンクしてみせる。
「それともダリアは用済みとばかりに軽妙に送り出されたいのかい、私に?」
ダリアの耳元で挑発した。
ちょっと離れてはいるが、秘密の花園で集まっている華たちがこちらを見ている。
守備は上々だ。
見せつけるように、ダリアの頬に口づける。
「アレン!」
涙目になりながら、睨まれた。
「私と離れがたく瞳が潤っているのかな? それとも、私を翻弄させたくてかい?」
ダリアはカッと目を見開き、力を込めている。瞬き一つで潤んだ一雫が溢れてしまわないように。
負けず嫌いなダリア。
決して俯かず咲くダリア。
私が変わりに傅こう。
「離れがたく聞き分けのない私に、最後までエスコートする許可を。どうか、縋らせてくれ」
手の甲に口づける。
本心だしさ。
ダリアを見上げて、困ったように眉尻を下げる。得意なんだよね、この情けない顔。
ダリアが拒めない顔なんだ。
「ッ、し、仕方ないわね。オーホッホッホ。よろしくってよ」
閉じた扇子を口元に添え、高笑う。
ああ、なんと耳に心地良い。一生懸命な高笑いだ。
「ありがとう、ダリア」
サッと立ち上がり、今度は目元に唇を落とす。
瞳の潤水は私のものだからいただかないと。
「アレン!」
「ああ、済まない。化粧直しをしてもらおうか」
控えている侍女に目配せする。
流石はダリアの侍女だ、手際が良いことで。
ササッと化粧直しを済ませて退いた。
「さあ、行こう。新妻に骨抜きにされ、淑女の集まりにまでエスコートする場違いな惚け夫にならせてくれ」
「も、もっちろんよ。私にメッロメロンだものね」
ツンと顎を上げるダリア。
メッロメロンかあ……メロメロの最上級かな?