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第二章 第9節 吹き流し

 ライフ・ケア事業が動き出して約4年。開所1年目は反対市民によるデモやネット上での過激な論争が展開され、その対応に振り回されていたが、時が解決してくれたようで、年を追うごとに事態は自然に沈静化し日本社会に馴染んでしまっていた。

 そして今の私は毎日数多く訪れるビジターの出入りをチェックし、永眠したビジターの死亡確認と書類の作成にほとんど追われている。私はそんな役職としての立場を言い訳に如月先生の志に同意した気持ちを棚上げしてしまっていた。そんな無頓着さが橘君を傷つけてしまう道を歩かせていたことに気づかずにいたことをこの後知ることとなる……


 2059年8月23日――

 今日も私は日々の業務をこなすべくセンタールーム中央にある監視席にいた。そしてステーションへやってくるビジターのフィルムノートを一つ一つ確認していく。ノートにはここに来るまでの経緯が記録されている。

 大半は生きていることに意味がないと自らで終止符を打つことに意味を見出してやってくる高齢者。そして精神科治療を受け続けることだけでは解決できない社会復帰問題に(さいな)まれ、現状の社会環境に馴染めず疲れ果ててやってくる働き盛り世代……


 今日の一人目のビジターはまだ20歳になって間もない女性であった。辛い仕事である。結局、所長という立場だからといって彼女の来訪を止めることもできなければ、ここで最後を迎えることも止められない。

(このままでは駄目だ……)

 心の嘆きは日に日に大きくなっていき自分を責める自分を作っていく。私はそんな項垂れた気持ちを抱きつつも彼女のデータを確認後、フィルムノートにロックをかけ担当の橘君を呼び出した。

 彼はいつものように静かに私の前に現れた。

「若い女性で、少しやりづらさがあるかも知れんがよろしく頼む」

 私がそういい終わるか終わらないうちに彼は無言でフィルムノートを手に一礼して部屋を出て行った。いつもの彼と言えば彼らしいが、しかし、慌てた動きのようにも思えた。


 私はイヤーセットで周期的に切り替わる各ガイドの対応をモニタリングしながらコンダクターの各種要請に対応する。そしてビジターが終末を迎えたら私は死亡確認をやらねばならない。どれもこれも事務的に処理をする毎日と化していた。無用な忙しなさとも言える状態だ。

 そんな私は先ほどの橘君が少し気になっていたのか、今日は無意識に彼の声に敏感になっていた。そのせいだったのだろうか? 橘君の言葉が震えているようでいて言葉には詰まりがあった。私は念のためにと彼へ話しかけてみた。

「おい、橘君。どうした? 体調が悪いのか? さっきも黙って出て行って」

『すみません、所長。ちょっと彼女、可愛いから緊張しちゃいました。まったく問題ないです。このまま続けますので安心してください』

「そうか。ならいいんだが。今さら君に言うことでもないが、様々な人たちがここには来るわけだから、しっかり集中してやってくれ。かえって相手に不安な気持ちを与えてしまうからな。頼んだぞ」

 彼らしからぬ回答。彼にしては軽さがある言葉。私はこれに疑問を抱き、そのまま彼の対応を聞き続けた。しかし杞憂であったのか、それ以降はいたって普段通りであった。

 しかし最後、イヤホンから私の耳にいつもと違う橘君の力無い声が入ってきた。

『いつか……どこか偶然でいいから……三枝さんに会いたい。その日までオレ……待ってるよ……』

 私は彼の声を聞き終えた瞬間、自分の失敗に唇を噛んだ……彼は、このビジターとの知り合いだったのだ。不覚であった。彼の声と言葉から明らかに単なる知り合い程度のものではない。

「橘君、すぐ私のところまで来い」

 私は急いで橘君に何度も話しかけたが返事は返ってこない。ノートを手渡した時点で彼女との関係を察知しなければならなかったのだ……


 それから5分ほどして橘君は私のところに来た。彼は俯き加減であったが、彼の目は涙を流したことを物語るものであることが容易に確認できた。そしてその姿は彼の細い体を一層細く見せていた。

「橘君。あのビジターと君とは知り合いだったのか?」

 私の問いかけに彼は「すみません」とだけ答えた。

「橘君、もしビジターに知人がいた場合、即座に連絡すべきではなかったか?」

 彼は再び「すみません」とだけ口にして俯いた。今までの彼にはない行動や言動、そして彼の目。橘君とビジターの女性とはそれなりの関係にあったと想像はでき、私は彼の対応と自分の失態に大きな溜め息が出た。

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