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第二章 第6節 青さ、故

「今までの話の多くは表向きのものなんだよ。」

「……表向き?」

 私は先生の言葉が理解できなかった。

「実際政府が考えているのは君の言っている通りのものだ」

「と、言うと……?」

「自殺者を減らしたいというのは全くの詭弁であって、政府は使えない人間を限りなく少なくしたいと考えている。つまり天才とエリートが完全掌握する社会。そしてその下にぶら下がる、使える従順な労働階級消費者だけを残したいというわけだ。随分前から始まっているエリート移民の受け入れは正しく君の言うとおりのものだ。国力として使える人間は日本国民である必要は全くない。世界を見れば代わりは掃いて捨てるほどいる。だから、死にたいと考えている人間はどうぞ死んでくださいと言っているわけだ。分かるだろ? 勝手に自殺されてはあらゆる生産活動に支障が出てしまう。自殺か他殺かわからず警察の手はわずらわせる。電車などの公共交通機関を止めたら大きな経済損失だ。そして自殺未遂者は優良人種の治療活動を妨げる。どれをとっても生産性はなく、また発展性がない。金のない終末患者はどうだ? 金のある人間なら最先端医療の実験台にでもなるだろうがな。もうわかるだろ。だから手っ取り早く専用の施設を作り自分で死んでもらおうと言うわけだ。つまり今回の事業立ち上げと今話したような損失とを天秤にかけると……政府や経済界のインテリが考えることはそんなものだ」

 続いた先生の言葉に私はただ呆れた。それはあまりにも安易すぎるものでそんな発想で政府がことを起こすなどとは、なんて恥ずかしい国なのだ……

「それではなぜこんな話を君に持ちかけたのか? 航路君。私はな、人が持つ一人一人の無限の力、未来を作ろうとする人の力をこの世から失くしたくないんだ。それを社会構造の圧倒的な力で生きようとする力を奪い去る、いや、選別し吸いつくしていくこの世界はもうウンザリなんだよ……」

 如月先生は手酌で酒を注ぐと体内へ一気に流し込み話しを続けた。

「結局、人は未だ目に見えるものしか信じない。体の弱いものは援護が受けられてなぜ心の弱い者たちは援護が受けられん。それを象徴し、見せつけんがために行われたと推測される2019年に起きたあの『同時多発集団自殺事件』。あの悲惨な事件を政府とマスコミは不安定階級達が引き起こした身勝手な行為であり、テロ同然だと言って非難し、そのような人の存在をも否定する社会の目を作り上げた。あれから30年経った今も日本社会は全く変わっていない。知っているだろ? ディフェンダーを作るのに10年も奴等と闘った。しかし、私が設計したディフェンダーとはかけ離れた姿のものとして仕立てられた。なんだかんだと理由をつけて結局は自殺への道を残そうとしているのだ。私はこのような腐った乱暴な考え方をなんとか消し去りたいと考えている。そのために私はライフ・ケア事業を利用する」

「先生、利用するとは?」

希死念慮(きしねんりょ)や自殺願望に囚われた者たちはもちろんのこと、あらゆる不安や悩みを抱いた者たちの相談窓口として機能させるための事業であるのは間違いない。とにかくこの入口の段階で自殺を食い止めれば後はアフターケアの段取りをしっかり作っておけば道は開ける。だが、現段階でアフターケアの仕組みが十分整っていない。この部分が最も大事なところだ。そのためにもライフ・ディフェンダーを増員し、フル活用したいと考えている。そのためには、これから長い戦いが強いられるのだ。奴らとのな……」

 先生の溜息が洩れる。奴ら……それは官僚や政治家、経済界といった者たちだけではない。そんな括りだけでは括りきれないこの社会を組み立ている人々の思惟と言っていいのだろう。私はそう感じられた。


「なあ、航路君。よく聞いてくれ。私の本心だ。私はこの事業をベースに曲がった社会構造を変えたい。私は自分の命あるうちに少しでもこの社会の進む方向を変えられればと真剣に思っている。この事業により我々大人たちが築いてきた社会意思構造を変革させられるものであると考えているのだ。日本中の大人たちが “自身の意思への気づき”を促すことができるものだと。私の身分で言うには生意気でありすぎるのかもしれん。だが、それでも今回の話が私に来たとき、私は何かが動き始めたと感じた。奴らの中には反対勢力がわずかながらでも存在はしているからな。今回この事業の話を聞いた時、君の顔が浮かんだのだ」

 先生の眼差しは強く私へと注がれていた。さっきまで呆れていた自分の感情はこの時点で消失した。そして先生は力強い眼差しとともに芯のある声を響かせ私へと続けた。

「私は残りの人生すべてをこれに賭けると天に誓った。しかし、私一人の力ではたいへん弱い。私のような年寄りだけではな。だからどうしても若い力が必要なのだ。航路君、どうか私に君の力を貸してほしい。頼む。お願いだ」

 先生はそう言い終わるとテーブルに手をつき私に頭を下げた。

「先生……」

「航路君。私からはこれだけだ。これだけの話で、この事業の責任者に就くことが決められるものかと思うだろう。君も家族がいる身だしな。私のような人生半分以上終わった者とは違う。航路君の生き方、考え方、私は十分に承知しているつもりだ」

 如月先生は本気だ。先生の言葉は一語一句すべてに芯の強い意志があった。それはまるで若き青年が夢を熱く語る様。それを人は『青い』と言うだろう。しかし私はその『青さ』が物事の原動力となり人の心を動かすと今も信じている。


――私はこの先生の覇気すべてを受け止め決心した。


 かつて私は何か人のためにと思いながらも突っ走ってきた。しかし、結局は自分のため他ならないことに気づき落胆した。そして、舞台を変えれば何かが変わると信じ大学病院を出た。それで何が変わった? 人一人ができる事など、それは酷く少ない。私は私の本物の『青さ』に心底嘆いた。そして流され生きてきた……

 しかし今、私は先生の力を借りて自分の目指していたものに出会える気がした。私の小さく非力な力が使えるのならば先生についていこうと決意した。

「あとこの話を嘉数(かかず)君にも近いうちにするつもりだ。覚えているか、嘉数君を?」

広明(ひろあき)先輩ですね? もちろんです」

「彼には関西の方で動いてもらおうと思っている。ことの話は大きい。まゆみさんとしっかり話し合って決めてほしい。まだ時間はあるから」

 先生は私の立場を十分に考慮してそう言ってくださった。私はその気持ちを受け入れ、即答は避けて一旦持ち帰ることとした。しかし、私の決意はあの瞬間にあった。しかし私は情けなくもまゆみを説得しきれる自信が無く言い出せずにいた――


「ごめんな、まゆみ。あの日に話しておけば良かったのだが……それは本当に悪いと思っている。私がただ臆病なだけだったんだ」

「そんなに私が怖かったの? へぇ、知らなかったわ、私を恐れていたなんて今の今まで」

 私の話にまゆみは皮肉を口にすると目を瞑りしばらく黙った。そして小さなため息をひとつつくとグラスをゆっくり傾け一気にワインを飲み干し、口を開いた。

「まったく、あなたはホントお義父さんの願ったように生きているわね。『人生の航路を自分自身で見つけ進んでいけ』なんて、まあ格好のいい意味だけでヘンな名前つけちゃってさ」

「変なって……昔は『あなたらしい格好いい名前ね』なんて言って褒めてくれてたじゃないか」

 まゆみは私を皮肉な眼差しで睨みつけ続けた。

「あなたは日本のマゼランやバスコ・ダ・ガマにでもなろうとしている気かしらね……。もう自分が正しいと思ったら誰が何言ったって突き進んでいく。その先にどんな危険が待ち構えていようとね。家族を犠牲にしてまで見つけなければいけない道なんてあるのかしら?」

 まゆみはそう言い終わると私の肩に寄り添ってきた。かなり頬は紅潮している。すっかりワインが体中に染み渡ってしまっているようだ。私はまゆみの肩を軽く抱き、小さく「すまない」とだけ応えた。

「たしかに若い頃はそんな航路が素敵だと思っていたのも事実だけれどね……もういいわよ。決めて返事したことなんでしょ。この先色んなことがあるとは思うけれど、子供たちさえ幸せになってくれれば。何より私達がいがみ合っているのが一番子供たちには良くないわ。それに、もし万が一のことがあっても私だけであの子達は育てられるわ」

 まゆみはそういって私の体から離れると、口元を軽く持ち上げ意地の悪い目つきで私を睨み、そしてチーズをつまみ小さく噛み付いた。

「このチーズ。また買ってきてね。すごく美味しかったわよ。それじゃあ私、もう眠くなってきたら先に寝るわ。最後、電気の消し忘れのないようにね。お酒もほどほどに」

 そう言ってまゆみは立ち上がるとリビングを後にした。私は心底まゆみと一緒になったことを幸せに思った。

(本当にすまない、まゆみ……)

 私はもう一杯だけ飲んで寝ようと思いワインをグラスに注いだ。チーズが無くなってしまっていたのは少々残念であった。


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