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第二章 第4節 如月先生の講釈(独話)

「今回、ライフ・ケアと名付けられたこの事業は飽くまでも『生命・人生を介護・看護』する事業なのだ。死を推奨しているわけではない。ライフ・ケア事業は簡単に言えば駆け込み寺だ。様々な悩みに(さいな)まれ、その処理の仕方が分からず死を選ぶ。だからその死を選ぶ前にウチに来てくれという場所。それがライフ・ケア・ステーション」


「それでだ、現在の価値観として『生きる』も『死ぬ』も個人の自由であるという論理で蔓延(はびこ)る自殺だが、どうだね、『死ぬ』のもたしかに自由ではあろうが、結局個人身勝手な死のために残された者の悲しみや苦しみだけは残る。いざ自らで死のうとすると無残な死に方しか実際はできない。その無残な死を選び死んでしまった者たちのその醜い亡骸(なきがら)を目の当たりにする残された家族の気持ちは? そしてその亡骸は誰が処理しているのだ? 後先を考えずに死ぬことは無責任他ならぬ犯罪(、、)だよ、これは。そう思わないか?」


「最もわかりやすい心の病が『自殺願望』だな。これは生物として自らの命を止めようとするのは正常な状態ではない。むしろ『生きたい』がために自分をあらゆる危険から身を守り、まわりを傷つけてまでも生きようする行為の方が生物として正常であると言えよう」


「長年その病を治療するべくメカニズムを分析し、様々な薬物を作り、そしてカウンセリングというものを施してきたが悲しくも状況は変化しない。なぜか? これは現状の社会システムに起因している。自殺を自然淘汰などという言葉で片付けてしまっている、この社会システムに組み込まれた人々の意思がそうさせているのだ」


「日本人っていうのは自分に厳しくするのが当たり前という気質があるな。そして自分に厳しくしてるからオマエも手を抜かず厳しくしろ、努力しろと言う。人を頼るなと。だから不始末な結果が出た場合、それはオマエ自身の努力不足、手を抜いてきた責任はオマエ自身にあると言う。これは武士道気質の居残りではないのか? ハラキリの発想だ。自分の過ち、責任はそうやって取るものだと。だから、『自殺』という手段が頭によぎる。言い換えれば自己処刑だな。自分で自分を裁き処する。日本は先進国だとして長年名を馳せて来たものの自殺者数が減らない要因はここにあると考えられる」


(さかのぼ)れば半世紀ほど前の1990年後半ごろから自殺者数が急激に増加し、そして2008年の大不況によって拍車がかかり、政府をはじめ民間の者たちで様々な形のセーフティ・ネットとなるものを展開させた。しかしそれらの網で救いきれないほどの勢いで日本国民は落下し続けた。それを象徴しているのが2019年の同時多発集団自殺。それだけの過去がありながらも減ることない自殺者。つまり政府はさじを投げたのだ。安全な位置を歩いている者たちは自殺者を『自ら勝手に滑落していった者』として見向きもしなくなっていった。それは政府だけではなく日本国民もだ。つまり先に言った武士道的人生処理を認めさせた。あらゆる失敗は個人に責任があり、力の無いものは死をもって最後の責任を果たせという論理を内包させてきた」


「まあ、どんな理由であれ、社会システムの不完全さの皺寄せが経済弱者と精神弱者に圧し掛かっているのは間違いない。そして自己責任という呪縛に縛られ、国や自治体はもちろんのこと、家族や友人にも頼ることができない状況、心境を作り上げ、他人を頼ることは人間失格であり、自分は努力が足りなかったから仕方がないという終着点へ辿り着かせる。そして自殺というのは、ほぼ衝動的に行われる。」


「それでどうだ、悲しいことに自殺は10代の子供たちにまでも広がりをみせている。なぜ子供たちが将来を悲観せねばならんのだ? 子供たちを自殺へと振り向けるいじめや虐待……これは明らかにすべて私たち大人たちの責任じゃないのか? 子供にはまだ人生すべての選択の自由というのは与えられていないし、与えてはならない。大人である親の管理下で子供を守り育て、大人へと成長するためのバックアップを行い、大人として認められた後は自分の責任で生きていく。それ故に多くの選択の自由が許される。それが人間社会というものだろう。しかしだな、これは私たち大人が大人としての役割をしっかりと演じきれずにいたことが起因しているのではないか? 子供たちはそんな私たち大人を見透かし、大人に見切りをつける。まだ、まともに社会を見もせず、体験もせずに子供たちは自らを死に追いやる現実……結局、多くの大人たちは大人の歳と姿にこそなれど大人としての責任を為していないのだよ!」


「どれをとっても最後のキーワードは自己責任、自己処罰だ。私はこの自己責任という呪縛を解くためにライフ・ケア・ステーションという今までの中で最も効果的なセーフティ・ネットとして機能する機関を全国に設置し、社会的に認知させ活用させたいのだ。現在、厚生労働省が中心となって各種医療機関、労基(労働基準監督署)などの行政機関、自立支援NPOなどとの連携システム作りに入っている。それらがどこまで上手く機能するかなのだが……」


「そして残念なことに生きろ生きろと周りが言ったところで、決定権は本人に委ねられる。こちらのプログラム通りに誘導するよう働きかけても、本人がすべてを拒否したらそれまでだ。首にひもを付けて無理やり生かすことの方が正義なのだろうか?」


「だからな、航路君。せめて、せめて、そういう人たちに投身や首つりなどといった無責任で無残な死に方はしてほしくない。残された家族や友人にそんな醜い姿だけはさらしてほしくない。せめて安らかに、納得する形で『死』を決意して人生を終わらせてほしい。だから終末を迎える場として、自己尊厳死できる場所を提供し、供養する」


「そもそも、自己尊厳死という名で自殺を法で認めた根本には、終末医療患者とその家族の苦悩を緩和させるための選択肢にすることだったのだがな」


「そして荒療治と言うのはこういうことだ。ライフ・ケア・ステーションではいつでも簡単に『死』が選択できる。それが直面できる場所なんだ。それをリアルに感じ、考えることができる。そういう場所があるのだと認識させることで私は『いつでも簡単に死ねるのなら、まだこの世界において何かできることがあるのではないか?』と自らの力でリカバリーできる者が自殺志願者の中には存在していると考えている。少なからずとも私は現状よりは復帰できる人間が相当数いると確信している」


「ただ、これが残念であり情けない話なのだが、実際のところ『生きたい、でも死ぬしかない』という人たちすべてをフォローできる受け皿が未だ整っていないのが現状だ。社会復帰のための環境ができあがっていない。これは社会システムによるものと、その影響による国民の持つ思想による。人の死に対する関心の薄さと、脱落者に対する偏見。それ故に踏みとどまって復帰を考えても再び将来を悲観し、夢を持てず『死』を選択してしまうこのスパイラル……だからこそこの新たな第一歩を踏みこんで道を切り開いていかないといけないと考えている。このくらいの事をしなければ日本という国は変わらんよ……」


「目指すべき到達点はかなり遠いところにあり、時間がかかるであろうと思う。そしてこの進む道が絶対的な正義であるかは分からない……しかし分るよな? 今のままでは何も変わらないということは?」


 私は先生の話をただ黙って聞き続けていたが、先生の話が山を越えたと思えた瞬間に私は口を開いた。

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