第二章 第16節 後悔
「いないな……」
私は橘君のアパートへ到着すると一目散に玄関まで走った。そしてドアホンを押してみるも全く何の反応もなく、外から窓を見ても明かりの付いている様子は無かった。私は“連絡がほしい”とメモを書き残し郵便受けに入れた。
(美雨ちゃんはどうしたのだろうか?)
私は美雨ちゃんの個人アドレスを知らず、実家の連絡先までは調べられても、個人データまでは家庭サーバーのハッキングでもしない限り手に入れられない。私にはそのような技術が無いのはもちろん、家庭サーバーへの侵入は重罪だ。熱くなっていた私も手段を無くし諦めることにした。無事なら良いのだが……
あれから二日後、美雨ちゃんからメールが届いた。
日時 2059年10月19日 7:33
送信元 Miu Tachibana
件名 橘美雨です
『おはようございます。先日は所長さんへ失礼な事を言ってしまい申し訳ありませんでした。あの後、私は兄のところへ行きました。その時、兄は家にはおらず、電話もメールも繋がらなかったので、たいへん慌て、近所を探し回っていましたが見つからず、家の中で待っていたら兄は帰ってきました。そして私は兄に自殺しないようお願いし、兄は自殺はしないと約束してくれました。私は兄が心配で一緒にいたかったのですが、次の日、父の秘書がやってきて家に連れ戻されてしまいました。子供である私には何もできなくて悔しかったけれど、兄は心配するなと笑って言ってくれました。兄は私には嘘は言いません。所長さん、これからも兄の事をよろしくお願いします』
橘君が妹と約束をしたというのを信じたかったが、どうもそれを鵜呑みにすることができなかった。合わせて私は、美雨ちゃんが父親の秘書に連れ戻されたというのが気になった。親たち自身で動かないということに私はため息が出る。それだけにまだ中学生である美雨ちゃんの心理状態が心配になり、ひとまず私からはいつでも困ったら連絡をと、美雨ちゃんに私のプライベート・メールアドレスと電話番号を伝えておいた。
*
美雨ちゃんと約束をしたという橘君であったが、あれから3週間近く経った今も永眠申請の取り消しは無い。そして彼とは連絡がつかない。やはり橘君は美雨ちゃんへその場しのぎの嘘を言ったのだろうか?
そして私のとった今までの行動が橘君に対して何かを与え、変えるものであったのだろうか? この問への答えは『無かった』である。
2059年11月14日――
無情にも時間だけは流れていき、明日は彼がビジターとしてステーションにやってくる日まで迫っていた。私は深くリビングのソファーに座り天井を仰ぎ、妻のまゆみへ情けなくも愚痴をこぼしていた。
「自分の人生の中で今回のことは後にも先にも最大の後悔になるかもしれない……」
私のその言葉にまゆみは柔らかく発した。
「航路は手抜きなんかできる人じゃないもの。あなたはやれるだけのことは十分にしたはずよ。あなたは神様じゃないの。あなたの思いは十分彼に伝わっているはずよ。それでも橘くんは避け続けることを選んだ……」
「ああ、そうだな……結局は自ら生きようとする者のみしか生きることはできない。私には人が元来持つ生きようとする力を引き出す力が無かったんだ……。しかし、なぜ橘君は黙秘し続けたのだろうか。そこまで彼の心を覆い尽くし抱えていたものが何だったのか? 深く関わっているのは親子関係。親が子を育てていく過程で彼本来のアイデンティーを歪めたものとしたことは推察できる。しかし私はそこから解決の糸口を見つけられずにいた……自分の無能さだ……どうしても悔やむ気持ちがな……」
まゆみは私の隣へ座ると彼女の手は私の手の甲をしなやかに包み込みこんだ。私はその温もり受け取ると目に溢れるものを感じ、静かに目を閉じ続けた。
「まゆみ、勝手だな、私は……毎日あの施設で何人もの人が自らの意思で命を絶っている。その者に対してはここまでの気持ちが湧きあがらないのに、自分の身内が同じ道を選べば、止せ、生きろなんて勝手なこと言って走り回っている。どうしてこういう線引きをしてしまうのだろうか……」
そう私は口にしたとき、橘君の声が脳裏に聞こえた。
『人ってそんなもんですよね……』
「そうか、彼はそれを分かっていたんだ。それが彼にとっては苦痛だったのかも知れない……私は思うんだ。人は『必要とされたい人』から『必要とされていない』と感じてしまうことで自分の存在を不要と感じてしまうものだと。だから、いくら私や周囲の人間が『死んではダメだ』『君がいなくなっては悲しい』と言ってもそれは所詮表面的なものでしかない」
「『必要とされる』……は『愛される』という言葉に置き換えられるかもね……」
まゆみは私の手に指をしっかり絡ませ言った。
「そうだな。私は本当に彼を愛していたか? などと問われれば限りなくイエスに近いノーということになると思う。私がまゆみや愛、大樹と同質の気持ちを持ってはいない。そこに迷いみたいなものが混じってくる。それを彼は敏感に感じてしまっていた。感じすぎていたと言っていいな……」
「すごく繊細だったのよね、きっと……」
「人が本当に心から愛することができるのは人一人に対して一人しか愛せないと私は思っている。神や聖母と呼ばれる人のような大きなものは簡単に持てるものではない。後は互いに共存していくために必要であるがための情でしかないと思う。彼はそれを分かっていた。だから私達の声は聞き入れなかった。彼の頑なな拒否は無用なプライドだとして説明もできるが、そのような決めつけを作り出しているあらゆる環境条件……理屈は分かっているし、だからこそ私はこの仕事をやっているんだが……」
「人間はどうやったって人間よ。何度も言うけれど神様にはなれっこないのよ。すべてを望んでもそれをものにすることなどできないわ。それにまだ彼は生きてるのでしょ? まだチャンスはあるわ」
まゆみは俯きながら力なく答え、私の手を強く握りしめた――
ライフ・ケア事業を引き受け、今まで私は何をやっていたのだろうか? 自分の判断力の無さ、力量の無さ、器量の無さに自分はつくづく憂いだ。私は如月先生の言葉を受け止め、納得しここまで突っ走ってきた。その結果、今になってこの大きな痛みを知ることとなった。私はライフ・ケア事業というものをどう作用させようとしているのだろうか? そしてこれは人々の幸せに繋がっていくものだろうか? 心締めつける大きな疑問が私の中で生まれ膨れ上がっていた。
まゆみの言うように人は神になることなどできない。しかし、つまらない欲なのだろうか? 後悔してしまう過去の過ちを消し去ることができるような未来を生み出す力を求めることは?
私の口から出るのは溜息ばかりであった。そんな情けない私をまゆみは口をつぐんだまま静かに寄り添っていてくれた。
私は一体どこへ向かって歩いていたのだろうか?
自分はどこへ行きたいと望んでいるのだろうか?
第二章 完
第二章は今回で完結です。1節よりお読みくださった方、そして第一章より続けて読んだ下さった方、本当にありがとうございました。
次の第三章はアフター担当の永沢守が主人公です。(アフターの意味については第一章にて触れております)
橘優輝との関わり、そしてアフター担当の永沢から見た自滅支援事業が語られます。(2010年3月21日より掲載開始しました)
ご興味がある方は続けてお読みいただけると嬉しいです。また、第一章 橘優輝の物語をお読みでない方は、ぜひ目を通していただければと思います。
第一章 http://ncode.syosetu.com/n3606j/
第三章 http://ncode.syosetu.com/n4315k/
それでは、また第三章でお会いいたしましょう。 さ(^o^)丿