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第二章 第15節 橘圭治

「まあ、今日は丁度時間が浮いていたのと自滅支援のお偉いさんとはどのような方かと興味がありましてお会いすることをお受けしたんですわ。それで、今日はどのような用件でしたかな? 私は無駄が嫌いな人間でね。用件だけを話していただけませんか」

「わかりました。では単刀直入に申します。実は息子さん、優輝君が永眠申請を出しました。つまり自殺志願です。通常、永眠志願者へはコンダクターと呼んでいるウチのスタッフが連絡をとり、必要であれば心療内科等への受診を促したりするのですが、彼はコンダクターとのメール接触は拒否し、受診も拒否しました」

 私がそこまで口にすると橘君の父親は間を置くことなく言葉を返してきた。

「で、私にどうしろと? アイツはもうとっくに成人している人間だ。自殺したければ勝手にすればいい。もう私は保護者ではない。私があれこれ言って関与する必要はない。ろくに勉強もせず好き勝手やってきた結果だ。どれだけアイツに投資したと思っているのだ。投資した分は回収させてもらわんといかんだろうが」

 やはり最初の印象どおり、この人間と私とは反りが合うことはないようだ。私はこの男の口にする内容にストレートに怒りを感じ感情的に反論をした。

「橘さん、子供に投資とはなんというお考えでいるのですか? 子供は投資の対象であるわけないじゃないですか! 子供は生まれる場所も時間も、そして親も選べない。いわば親の都合で誕生した存在。理想論的な言い方にはなりますが、男と女が愛し合った結果としての大切な存在のはず。そして親として愛情をもって独り立ちできるよう育てるのが親として、そして大人としての義務では無いのですか? 橘さんご夫婦の関係とはどのようなパートナーシップで結ばれているかは存じませんが、二人の間に生まれたご自分の子供をそのように言うとは何たる事ですか! ご自分の子供が自殺しようとしているのですよ? 少しは子供の身になって物事を考えてはどうですか!」

 私の反論に彼は鼻で笑い、そのままテーブルに置かれた煙草ケースから煙草を取り出し火をつけた。

「木下さん。あなたのその正義感、なかなか格好良いとは思わなくもないですが、私にとってはくだらない表面だけの正義感ですな。人間、いつまでも甘ったれてちゃいかんでしょ? 所詮は動物なんですから自分の力で生きられないのだったらそれは死ぬしかないでしょ。この世界は生きるか死ぬかしかないのですからな。そのために私は親としてできることはアイツが18の成人になるまではしっかりやってきたつもりだ。アイツが一人前となってこの社会で生きていけるよう教育やら何やら。金だって相当使った。結果、そうなったのなら仕方のないことだろう。見方を変えれば、それだけの投資と教育をしても結果がそうなったのは私の失敗であり責任だったともいえるがな。しかし失敗は失敗として過ぎた事だ。いつまでぐたぐだ言ったって仕方がない。失敗作として世に出してしまったものはどうしようもできん。前向きに考えて次に良いものを生み出せば良いでしょう? 面白いもので、その気になれば次はいくらでも作ることができる。男はなかなか便利に作られていると思いませんか? 地位と富をしっかり持ってさえいれば好きなだけ子孫は残せるわけだ。いくらでも挑戦はできる。下手な鉄砲はなんとやらじゃないですがね」

 この男はそういって高笑いをした。私は殴りかかりたい衝動が沸き出たが、私はこの男を睨みつけ歯を食いしばることでなんとか耐えた。こんな私の態度は彼にはきっと滑稽に見えるのだろう。なんの悪びれた様子を見せるもなく私に続けて言った。

「アイツは高学を卒業してからは親の脛をかじってぶらぶらとしていた。そんな使い物ならんような人間に必要性は無いに等しいでしょうが。だからおたくの自滅支援施設があるんでしょ? 理に適ってるじゃないですか。私はなんて画期的だと思いましたけれどね。死にたいなら勝手に死ねばいい。私自身、親に見捨てられ生きてきた。死のうかと思った時期もあったが、この社会に負けたくなかった。こんな腐った社会やそれを作った大人たちに殺されてたまるかと思って私はここまで来たのだ。奴の甘さには吐き気がする」

 男がそう口にし終わったと同時に扉が勢いよく開く音が割り込んだ。

「お兄ちゃんがなんで出て行ったかよくわかったわよ!」

 振り向くと美雨ちゃんが全身を震わせながら立っていた。その美雨ちゃんの目からはとめどなく涙が流れ落ち、頬と耳を真っ赤にしていた。

「お父さんなんか大嫌い! 所長の嘘つきぃぃっ!」

 美雨ちゃんは高く震えた声で叫ぶと出て行った。美雨ちゃんの『嘘つき』という言葉が私の胸に突き刺さる。まるで自分の娘に言われたような気にさせられ、罪悪感に心が被われた。

(嘘つき……)

 しかしそんな美雨ちゃんの行動と言動に彼は微塵も動じることなく、まるで子供の戯言(たわごと)として切り捨てるかのように鼻で笑うと私へとこう言った。

「木下さん、私は思うんだ。家族など単なる便宜上の集合体だと。家族であろうとなかろうと繋がりが必要であれば人は繋がり群がる。必要でなければ離れ孤立する。結果は自らが生み出すものでしょう? くだらない問答は無用ですよ、木下さん」

 家族というひとつの集合体。そしてその繋がり。たしかに彼の言う性質は間違ってはいないだろう。しかし、家族という集合体は人間社会での元素とも言える最小単位の重要な集合体ではないだろうか?

「木下さん、お子さんは?」

 彼は低く落ち着いた調子で私へ問いかけてきた。

「9歳になる娘と5歳の息子がおります」

 私は彼の言葉と態度に腹立つが故にぶっきら棒に答えた。

「なるほど。では親の先輩としてあなたに教えてあげましょう」

 私は率直にこの男から教わることなどあるものかと内心思ったが、橘君のことを知る上でも彼の言葉をしっかり聞き入れる必要があった。

「子供は親の思った通りには動かない(ぎょ)し難いものなのだ。どれだけの思いがあったとしても所詮は他人だ。血のつながりなど関係ない。きっとあなた流の言葉で言うと『愛情』をもってしてもだ」

 私はなぜだか彼の言葉が橘君自身の言葉であるように聞こえた。

「木下さんは木下さんで、私はあなたではない。私はこういう人間だ」

 そう言って彼は立ち上がると黙ったまま再び煙草を取り出し口へくわえた。そして窓越しに立ち夜の街をぼんやりと眺めていた。成人し熟し切った人生経験あるこの人間に対しこれ以上言葉をぶつけたとしてもそれは無意味であろう。つまらない教育論として聞き流されてしまうのが落ちだ。そしてそうしたところで橘君を止められるものとはなり得ないだろう。

 だが、親と接触することで橘君自身を形成していったこの家族環境が自分の不必要性を見出し死へと向かっているのだと決めつけていいと確信できた。

 そして私は何も言葉を残すこともなく黙ってこの場を立ち去った。


 橘さんの言っていた言葉の意味は、それはそれとして理解はできるものだった。しかし理解はしても納得できるものではなく、また、あのような思想は人の命を物同然の価値としてしか捉えていない危険なもので、増殖させてはならないと強く思った。そして何よりも私の心と体は黙っていられない。

 ただ今は飛び出していた美雨ちゃんのことがとにかく気がかりで仕方なく、私は無意識に橘君の家へと向かっていた。

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