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第二章 第13節 橘美雨

 悠久乃森に比較的近い橘君の住むアパートは2階建てで外観からするとワンルーム仕様のようだ。私は家の目の前にあるパーキングに車を停め外へと出ると、時折吹く風が頬を冷たくなぞっていく。上着を羽織らずに飛び出してきたことを少し後悔する肌寒さを感じた。そして陽は随分と傾き辺りを紅く染め上げていることに気がついた。

 そして私はそのまま駆け足で橘君の家の玄関に辿りつくと名前の出ていない202号室の表札兼ドアホンを押した。

「留守か? それとも居留守か?」

 玄関上部に取り付けられた電気メーターへと目線を移し、かすかに動きがあることを確認する。居るかどうかは分からないが私はドアをノックして声をかけた。

「橘君! 橘君! 私だ! 木下だ!」

 その私の耳に入ってくるのは時折横の通りを走っていく車の走行音だけで家の中からは何の反応も無かった。私はもう一度ドアホンを鳴らそうとしたとき、背中から不意に声をかけられた。

「どちら様ですか?」

 私はその声に驚きとっさに振り向くと、疑いを持つ目つきで私を見上げている中学生くらいの少女が立っていた。その少女は艶やかな長い黒髪を後ろでひとつに束ねており、長く豊かな睫毛と細く綺麗な線の眉に目が奪われる。一見して利発であろうと推測できるものでもあった。

「私はライフ・ケア・ステーションで所長をやっている木下です」

 私はそう口にしながら胸ポケットから名刺入れを取り出し少女へ名刺を手渡した。名刺を受け取った少女は名刺を黙ってじっと見ていた。そして疑いを持った眼差しのままで少女は私へ言った。

「IDチェックさせてもらえますか?」

「あ? ああ。もちろん」

 少女は私の返事を待つことも無く、肩にかけていた大きなトートバッグを下ろし、スマートフォンを手にして私を待ち構えていた。

「もし少しでも変な動きをしたら防犯ボタンを押しますから」

 少女はスマートフォンについている防犯ボタンのカバーを開けて私に凛とした声で警告した。私は少女に言われるがまま手を差し出しだすと、少女は私を警戒し半身の状態でスマートフォンを私の手首へ近づけIDチェックをした。すると少女はチェックしたスマートフォンを見るなり突然頭を下げた。

「疑ってすみませんでした。私は橘美雨(みう)です。優輝の妹です」

「ああ、君が橘君の妹さんか。そういえば歳の離れた妹がいると言っていたなぁ」

「親からいつも大人を簡単に信用するな。初めて会う大人には必ずIDチェックしろと言われていまして。所長ということは兄の上司ですよね?」

「ああ、まあそういうことだね」

 少女の姿勢はたいへん良く、語り口調や態度といったすべてのものが模範的というか、私から見て出来すぎであり、作られすぎと言っていいものに見え、不自然さのようなものを感じた。

「いつも兄がお世話になっています」

「いやいや、そんな丁寧に。なんだか変な感じだなぁ」

 外見とは似使わないその口調が橘君を思い起こさせるものであるが顔立ちは橘君と違い丸顔だ。やや尖ったあごのラインは似ているか? 

「ところで、今日は橘君に会いに来たんだけど留守のようでね。お兄さんはどこへ行ったか知っているかい?」

「いま兄は外出中です。夕方には戻るとメールがあったのでもうすぐ帰ってくると思います。どうぞお入りになってお待ちください」

「ああ、どうも」

 親ほど離れた私を相手に少女は冷静的確な大人びた対応と口調。随分としっかりした躾をされているのだろう。私はただ言われるがままに橘君の家に入った。

「狭いですけど、どうぞ。いまお茶を淹れますから。と言ってもパックですけど」

「いや、お構いなく」

 少女の大人びた落ち着きある口調にはやはり違和感を覚える。しかしこれは私自身に子供とはこういうものだという形式からずれているという思い込みがあるせいかもしれない。

「あ、どうぞ、そこの座布団のあるところで座っていただければ」

 少女は立ち尽くしていた私に座るよう促した。私は足元にある座布団を見つけるとそのまま腰を下ろし部屋を眺める。玄関を入ってすぐには小奇麗なワンルーム仕様の小型キッチンに8畳ほどの広さの室内にはシングルベッドと小ぶりなチェストに小さな卓袱台。あとは壁に貼られたフィルムモニターとパソコンが1台。まったく飾りっ気のない部屋でそのせいか広さは感じられるものの、生活感は感じられない雰囲気であった。そしてそんな部屋にはミスマッチといえる昔ならではの日めくりカレンダーが壁にぶらさげられていた。

(8月23日?)

「どうぞ」

 少女は卓袱台の上にそっと湯呑を置いた。その横顔は端正で、睫毛の長さがすこぶる印象的に映った。

「あ、ありがとう。美雨ちゃん、で良かったかな?」

「はい」

 少女は最初に会った時の警戒的な表情とは打って変わり柔和でまだ子供であることを象徴するかのような純粋で愛らしい笑顔であった。

「所長さん、よかったら一緒にご飯どうですか?」

「ん?」

「実は今日、昨日学校で覚えたチンジャオロースをお兄ちゃんに作ってあげようと思って来たんです。昨日メールしたら今日大丈夫だって言ってたんで」

「そうだったんだ。よく、そうやってここには来るの?」

「最近はちょくちょく。家にいても退屈ですし」

「美雨ちゃんは何年生?」

「いま中学2年です」

「そうか、中学2年か」

「お兄ちゃん、ちゃんとまじめに仕事やってますか?」

「ん? ああ、もちろん。なんだい、美雨ちゃんがそんな心配するなんて?」

(橘君は妹さんには何も言っていないということか……)

「所長さんがわざわざ家まで来るなんて、なんかあったのかなぁと思いまして。まさか学校の先生みたいに家庭訪問してるわけじゃないですよね?」

 美雨ちゃんはそう私へ質問しながら持ってきたトートバッグの中から食材を取り出して食事の用意に取り掛かった。

「そうだね、家庭訪問はありえないなぁ」

 私は何も知らないであろう美雨ちゃんに対し、一瞬、「美雨ちゃんからも説得してもらえないか」という言葉が頭を過ったが、彼女自身を傷つけ大きな負担になるのは間違いない。ましてやまだ中学生だ。そして何より私の無責任な気持ちの表れだと感じ口にすることなく飲み込んだ。そして彼女に対しどう返事を返そうかと言葉を探していた時、部屋の中にセキュリティ解除の電子音が鳴り響いた。

「あ、お兄ちゃんだ」

 そう美雨ちゃんが言うと同時に玄関の扉が開いた。

「美雨、もう来てたん……木下所長……」

 橘君は美雨ちゃんを挟んで部屋で座っている私を見つけ言葉が途切れると同時に扉を閉める動作が止まった。

「橘君、おかえり。すまないな、なんの連絡もせずにお邪魔して」

「いえ……」

「お兄ちゃん、所長さんにも私ご馳走したいんだけど? いいでしょ?」

「あ? ああ……でも所長を無理に引き止めちゃいけないだろう。家で奥さんやお子さんが待っているだろうし……」

 橘君はそう口にしながら私から視線を外し部屋へ入ってきた。その橘君の様子は半月ほど前の退社時とさほど変化も無く、いたって今までどおりの橘君と言ってよかった。

「ああ、そうか……所長さん、お食事一緒は無理ですか?」

「うん、ぜひ美雨ちゃんの手料理を頂きたいけれど、まだ仕事も少し残ってるからね。また次の機会に誘ってもらっていいかな?」

 私はそう言って立ち上がり橘君に近づいた。

「そうですかぁ。残念です。じゃあ、またぜひお願いします。その時まで料理の腕上げときます!」

 美雨ちゃんは元気よく私の言葉に応えてくれた。その言葉を受けた私は橘君の肩に黙って手を置いた。

「美雨ちゃん、いつでも名刺にあるアドレスにメールを送ってくれていいよ。今度は三人でぜひ。あ、そうだ、うちの娘も一緒にいいかな? 娘はいま小学4年生なんだけどね」

「ええ、ぜひ! わぁー、はりきっちゃおう! あ、でも兄に用事があったんじゃないですか?」

「いや、また今度でいいよ」

 私は美雨ちゃんに言葉をかけたあと、橘君に「メール入れておくから」とだけ言って彼の家を出た。あの状況で彼にあれこれ言うのはマイナスに作用すると私は判断した。

 そして私はパーキングに停めておいた車に戻ると、彼の家族との接触が必要だと思いスマートフォンからステーションのサーバーに繋ぎ橘君の履歴データを取り出し、彼の実家の住所とサーバーアドレスを調べすぐ彼の実家へとメールを送った。

 私は正直なところ彼の両親はライフ・ケアをどう見ているかも分からないうえに、彼とのつながりが密度あるものとは思っていなかったため、私との接触を拒むのではないかという不安を持っていた。しかし意外にもあくる日に橘君の父親からメールで返事があり、今晩なら時間が取れるという内容であった。この機会を逃すわけにはいけないと私は夜、橘君の実家へ行くことにした。

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