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第二章 第12節 懇願

 長久手(ながくて)市役所地域福祉課へ到着するとすぐさま、地域福祉課課長の田倉さんを呼ぶよう受付の所員へ伝えた。

「ああ、どうもこんにちは木下所長。どうなさいました、わざわざここまで来られるとは」

 受付奥の席に座っていた田倉さんは私の存在に気づき、所員の言葉を聞くことも無く私のほうへ歩いてきた。

「どうも、こんにちは田倉課長。ご無沙汰しております」

 私は逸る気持ちを抑えつつ遠慮気味な作り笑顔で挨拶をした。

「木下さん、しばらくお会いしてない間に少し痩せられましたか?」

 田倉課長はそう口にすると私の表情に呼応するかのように極端に口角を持ちあげ、作り笑顔を見せてきた。

「いやぁ、どうでしょう? まあ、やはり気苦労は絶えないですからね」

 薄っぺらな社交辞令を口にし私は照れ笑いをしてみせる。

「でしょうなぁ。私は逆に随分と楽させてもらってるんで御覧の通り贅肉が増えて仕方がないですわ」

 田倉課長は私を刺すような眼差しを作りながら盛り上がった腹を擦って言った。

「で、所長がわざわざお起こしになるというのは何か悪い話で? それとも監視にでも来ましたか?」

 私を忌み挑発する露骨な皮肉を並べる田倉課長。しかし、私はその気持ちを重々理解していた。それはかつて福祉課が担っていた業務の大半をライフ・ケア・ステーションが持っていったため、今の福祉課はディフェンダーとソーシャル・ワーカーの管理業務が主となり、課長自身、ただ毎日モニターと睨めっこしているだけとなってしまいストレスを感じているのだ。

 田倉課長は元来熱い人情を持った人間であるが故に、ただ座っているだけの職務に納まってしまっている自分自身への苛立ちが相当あるに違いない。私も田倉課長の立場であれば嫌味の一つ二つは当然言っている。

「ええ、ちょっと課長にお願いがありましてね」

 そんな田倉課長へ私は静かな役所内にあまり声が広がらないよう小声で喋った。

「でしょうね。ステーション所長がわざわざ喜ばしい話などしに来られるなんてありえないですわなぁ」

 そう容赦なく大声で田倉課長は言うと応接室へと私を案内した。


「それで、所長が直々来てのお願いとはどのような事でしたでしょうか? あなたにできないことが私にできるとは思えませんが、木下所長」

「いえ、私の領分もたかが知れています」

「ライフ・ケア・ステーション所長にできなくて、私でお役に立てるようなことなどありましたでしょうか?」

「ええ。もちろんライフ・ディフェンダーについてです」


 ライフ・ディフェンダー――

 正式名 特殊精神衛生防衛士


 如月先生が執念で創設させた自殺志願者を踏み止まらせ、自殺へと向かわせる要因を捜査、排除をする国家資格職。自殺志願者は複雑な精神状態であるため、適切な援護・援助には、あらゆる知識と行動力が必要とされる上、かなりプライベートな部分へ入り込むということから資格を得るための難易度がかなり高く設定されている。そのため成り手は少ない――


「実は田倉課長、この者にディフェンダーをあてがって欲しいのです」

 私は橘君のデータの写しを転送したフィルムノートを田倉課長へ渡した。田倉課長は一通りフィルムノートに目を通し、そして私へこう言って来た。

「所長。このデータからディフェンダーの必要性は高いと分かります。しかし彼の担当医からこちらに要請があり、それに応じてこちらが手配をかける。私のところではそのルールに従い業務を行っています。それを木下所長は私にどうしろと? 実際、うちのディフェンダーはすでにキャパを超えた人数を抱えて頑張ってもらってます」

「はい。それを承知しているだけに私はここに参りました」

 私の言葉に田倉課長は顔をストレートにしかめた。

「木下所長、それは無茶ですよ。この橘さんという方以外にもディフェンダーを必要としている人たちが沢山いるんですよ? それを木下所長が直接来たからといって私が融通を利かせるなんてできるわけありませんよ。そもそも違法行為です」

「わかっています。私は身分を利用しようとしています。それも個人的感情でです。そこをなんとか、一週間だけでもいいので都合はつけられませんか?」

 田倉課長の冷ややかな眼差しを浴びているのを承知で頭を下げ、そしてその眼差しを見返す。

「この橘さんという方の経歴まではデータが取り出せませんが、木下所長の親族か何かで?」

「少し前まで悠久乃森でガイドをやってました」

「なるほど。そういうことですか……。気持ちはお察ししますが、ガイドをやっていたのでしたら、ステーションの保健管理担当医におまかせしたらどうですか? その方が融通も利くでしょうし」

「おっしゃるのはごもっともな話です。しかし残念ながら衛生管理医はカウンセラーレベルでしか動けない者ばかりしかおらず、私がこう言ってはいけないのですが使い物になりません。単なる会社員的な連中ばかりです。ディフェンダー業をやっている(かた)の方が信頼できる。もちろん私も彼のディフェンダー役として動きますが、ディフェンダーではないと立ち入れない領分も多くある上、勝手な話、ステーションの仕事を放り出すわけにもいきません。そこで、どうか田倉さん、なんとかできませんでしょうか?」

 私は応接テーブルに両手をつき、そして額をテーブルに擦り付けるように頭を下げた。

「木下所長……」

 わずかな静寂ができた後、田倉課長は口を開いた。

「実際のところたとえ都合出来たとしても結局は本人が拒否したらそれまでですからね。この方に接触するのも難しいかと思いますし、最悪、この方が訴えたら私たちはただじゃ済まないですよ?」

「彼が訴えるということはありません。そういう人物ではないです。これは断言できます。ただ、拒否はあるでしょう……」

 そう言うと私は田倉課長の眼差しをただ見つめた。田倉課長は私の目線を捉えるとゆっくり目を閉じ深くため息を出した。私はその田倉課長に黙ってもう一度頭を下げた。

「わかりました、木下所長。ただ、わかったというのは所長の話を()()()()というだけです。もう一度言いますが、ディフェンダーを必要としている人たちは実際たくさんいるのです。それが追いつかず結局はおたくの所で自滅する結果を生んでるんですよ? それをあなたにとってどんな方か知れませんが、貴重なディフェンダーを横取りしようとなさる。あなたのコネクションを利用して。勝手だとは思いませんか?」

 田倉課長は先ほどまでのトーンから一変し強い口調で私へと言葉をぶつけてきた。私の間違った正義感と言えるこの行動への批判だ。この言葉に私は胸が締め付けられ返す言葉などあるはずもなかった。

「申し訳ありませんが、私にはどうにもできません。木下所長、お引き取りください」

 田倉課長はそう言うとソファーから立ち上がり私を強い視線で見つめ、扉へ手を差し出し私に帰るよう催促した。


 私は冷静さを無くし感情だけで完全に動いていた。全く田倉課長の言うとおりだ。しかし橘君を死へ追いやることを見過ごすことは絶対にできない。私の立場でやれることはまだあるはずだ。うだうだと考えていても仕方がない。

(直接橘君と会って話をしなければ……)

 私はそう思うと市役所からそのまま橘君の家へと向かった。

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