第二章 第11節 永眠申請
2059年10月12日――
「所長」
「ああ、副所長。どうした?」
山本副所長がイヤーセットマイクを外して私にそっと近づいてきた。
「ちょっとこれ見て下さい」
山本副所長は小声でそう言うと私のデスク端末に彼のIDを認識させ名簿リストを表示させた。
「永眠申請リストか。何か変わったことでも?」
「これです。これ……」
彼はそのリストから素早く一人の名前をピックアップしデータを拡大表示させ指差した。
「橘君!」
私は目を疑った。しかし即座に私は理解ができた。なぜなら彼の退職届を受け取った時からの意味無き不安感の答えがこれだと悟れたからだ。
(私はなぜ現実のものとして現れなければ理解できないのだ! しかも永眠申請日は辞表を持ってきた日じゃないか……私はなんて愚鈍な人間なんだ。これでライフ・ケア・ステーションの統括者とは呆れる……)
「副所長、よく見つけてくれた。ありがとう」
私はそう副所長に礼を言うとすぐさま橘君の現在の進捗状況を調べた。
「ステージ3までもう進んでいるのか……」
「しかも、すべて拒否してますね、彼は」
「ステージ1のコンダクターでの処置は彼に効くわけ無いとして、カウンセリングも投薬処置も拒否したか……彼の意志が固い証拠だな……くそっ!」
私は苛立った。ライフ・ケアのシステムは何だかんだと言っても個人の意思が尊重される設計がされている。これに私は納得いくこともなくシステムを改善するよう如月先生共々にアクションし続けてきたが未だ保留状態だ。自殺を食い止めようなんて気がさらさらない証拠だ。私はそのことも頭によぎり苛立ちは一層ふくれあがった。
私はとにかく彼のビジター化を止めようと即座に端末から彼の所在地域のライフ・ディフェンダーの手配状況画面を呼び出した。
「所長、何をしてらっしゃるのですか? ディフェンダーの個人手配なんてできるわけないですよ」
私は山本副所長の言葉に耳を傾けることも無く画面を注視する。
「ふっ笑えるな……ディフェンダーが長久手には9人しかいないのか? ここは村じゃないよな? 市だったよな? なんだ9人っていう少なさは」
私は今になってそんなことを知り、自分の馬鹿さ加減に鼻で笑った。
「そんなものでしょうね。ですから、予約ができるだけでもまだマシと考えた方がいいというのが現状です。しかし所長、我々にはそんな権限ありませんよ? 担当医師による配備指示を地域の福祉課を通してじゃないと」
「私が担当医師だ」
私は山本副所長を睨みつけ言い放った。
「所長、そんな事したら……」
わかっている。身内の直接介入処置は禁止だ。くだらない物差しで計った公平性というもので禁止されている。
「内部告発を受けたらクビだな。そして運がよければ執行猶予付きってところか」
私は副所長にクギを刺すかのごとく尖らせた言葉で言った。
「ですよ……少なくとも私は知らなかったことにすることもできますが、どのみち直ぐ見つかりますよ。所長、変な真似はよして、見守り……」
私は彼の言葉を待たずに我を忘れて大声を漏らした。
「橘君だぞっ! ついこの前まで私たちと一緒に働いていた仲間だぞ!」
私のその声に山本副所長は目を丸くし口をつぐんだ。幸いにして私たちはイヤーセットマイクを外し、監視室には私たちしかいなかったのでほかのスタッフは気がつかなかったようだ。
「すまない……山本副所長。悪いが副所長、ちょっと外へ出てくる。夕暮れまでには戻ると思うがそれまで頼む。君はこの件は知らなかった。私が独断でやっている」
私はそう言い放って監視室を出た。そしてそのままステーションから長久手市役所の地域福祉課へと向かった。