『真帆』 ―新たなる人生―
『――』
呼びかけるのは誰。放っておいて。一人でいたいの。
『真名!』
漆黒の闇の中、誰かが私を呼ぶ声がする。一人ではなく二人?いや、三人?
『いつまでそうしているつもり?』
『このまま消えちゃっていいの?』
『わずかでも可能性があるならチャレンジするのだ!』
『彼女は私たちを憎んでるわけでも嫌っているわけでもないのよ』
彼女とは誰の事だろう? そもそも声の主は誰なのだろうか?
放っておいて欲しい。何も考えたくない。
そんな私の気持ちに配慮する事なく、突然明るい場所に引っ張り出された。
『お久しぶりね、元気だったかしら?』
『真子の事、忘れちゃった?』
『相変わらず世話が焼けるわね』
『しっかりしてください』
私のすぐそばに、懐かしき幼い日々を一緒に過ごしたイマジナリーフレンドが現れていた。
彼女たちは私が成長するにつれて現れる頻度が減っていき、小学校に上がる頃にはほとんど姿を現さなくなっていた。
数えてみればもう十年以上あっていない事になる。
窮地に陥るたびに現れて助けてくれた彼女たち。それでも今の状況を解決できるとは思えない。
失ったものは二度と元には戻らないのだ。
『このままここに居ても消えてしまうだけよ。微かにでも希望があるなら挑戦しましょう』
『やるのだ!』
『もう一度、舜のぬくもりを感じたい――』
『あきらめるのはいつでも出来ますから』
舜? もう一度舜に逢える?
『舜に逢えるの?』
『ええ、運が良ければね。ついてらっしゃい』
導かれるままに案内された空間は五人も一緒に入れるスペースはなかった。せいぜい、一人か二人。
誰かが諦めなければいけない。
そんな事を考えていると――
『私はいいわ、真帆に譲ります』
『それなら真子も残る』
『嫌よ! 何か方法はないの?』
『誰かが残る必要はないわ。一緒に入りましょう。私たちは元々一つなんだから、元に戻るだけ。真名が心を開いて私たちを受け入れてくれるだけでいいのよ』
『そんな事を言われても――』
突然受け入れろと言われても、話の展開に頭がついていかない。私たちは元々一つ――
『真子は大丈夫なのだ!』
『私もOKよ』
『もちろん大丈夫です』
『真名も準備はいいかしら?』
『私は――』
――もう一度舜に逢いたい。
例え、罵られたとしても、軽蔑されたとしても、存在を無視されたとしても、もう一度逢いたい。叶わないならせめて一目だけでも、自分の眼で見てみたい。
それ以外の余計な事を考えるのを止めた。
彼女たちは私。元は一つの存在。
意識は混濁し、私のはずなのに私ではない感情が心の奥底で渦を巻き溶けて混じりあっていった――
***
気の遠くなるような時間を閉鎖された暗闇で過ごすうちに、少しづつ手足の感覚が芽生えてきた。だが、暗くて認識できない。
確認のために動かしてみるとそれに呼応するように押し返してくる感覚があった。
何か柔らかなものに包まれている。
脈打つ鼓動は感じられるけど、自分の呼吸音さえ聞こえてこない。ここはどこ?
突然に始まった押しつぶすような猛烈な圧迫感は数時間に渡り続くと、予告もなく治まった。それと同時に、明るく眩しい世界に放り出された。
遠くで赤ん坊の泣く声がする。
何がそんなに嫌なんだろう?
舜に逢えなくなって何年経つのだろう?私の方が泣きたいくらいだ。
もう一度舜に合わせて!
赤ん坊の鳴き声に合わせて私も泣いた。
***
再び生まれたの?
私、死んじゃってたの?
死んだ記憶はないわよ?
あの男と女が両親。彼らの子供として産まれたようだ。
もしかするとあの暗い空間は――
まだまだ小さくてうまく喋れない、それどころかまともに体も動かせなかった。けれど、周りで話している内容は全て理解出来ている。
真帆と呼ばれている。
私の名前は真帆、以前と同じ名前。舜に付けてもらった大事な名前。
真里の言っていた言葉が頭をよぎった。
『彼女は私たちを憎んでるわけでも嫌っているわけでもないのよ』
『真名』の願い通りに私たちは分離する事ができた。しかし、それだけではないと思いたい。
彼女が私を真帆と呼ぶ声は慈愛に満ちており、優しい母親の目をしていた。
『彼女もあなたを守りたかったのよ』
『あの時の最善――かどうはわからないけれど、出来る限りの精一杯の行動をしたの』
『真帆顔負けのツンデレさんなのだ』
『もう一度、舜に逢いたい』
色々な考えが頭の中に渦巻いた。
育児に関わらないのか、関わらせていないのか、父親だというのにあの男に触れられる事はほとんどなく。顔を見合わせる事すら数える程の日々。
「真帆、あなたは幸せになりなさい」
それが『真名』の最後の言葉だった。
私を祖母に預けると夫婦二人でドライブに出掛け、事故にあったまま戻って来なかった。
最終的にくだされた判断によると、運転ミスが原因の交通事故との事だが『真名』は自分が戻って来ない事を知っていたのだと思う。
最後に見せた寂しそうな表情がまだ若いはずの『真名』を老けて見させていた。
***
その日は突然やって来た。
いつものように幼い身体を鍛える為に、近所の公園で遊んでいる時だった。二度目の幼年期、高校生だった以前と違い、自分でも思うように動かせない幼い身体に苛立ちながらも、再び機敏に動く為に機会のある度に、可能な限り身体能力を向上させる訓練をしていた。
トンネルを掘っている手元だけが唯一暗くなった。
誰かに頭上から見下ろされている気配を感じて顔を上げたが、逆光で相手の顔がよく見えない。
その相手からは息をのむ気配がした。
「真帆――ちゃん?」
ゆっくりと膝を曲げ腰を下ろし身をかがめた彼と目線が合う。
「初めまして。此平舜といいます。よろしくね。おじちゃんはね、真帆ちゃんのママのお友達なんだよ。真帆ちゃんとも仲良くしたいんだけど、ダメかな?」
懐かしい舜が目の前にいる。
逢いたくてしかたなかった舜がいる。
もう我慢しなくてもいいよね?
「しん、あいちゃかっちゃや」
(舜、逢いたかったよ)
私は無我夢中で、泥だらけの手を気にせずに両腕を広げて最愛の舜に飛びついた。




