大罪を犯し獣はその手に囚われる 8
飛んでいった? ……ルナが?
「空、って……」
『ここは地上より遥か天にある空の世界。元は何も無かった場所なのですが、わたしはここに大地を興し、生命を生み出しました』
まさか女神リリスが創造した世界――〝神の楽園〟へ向かったの? でも今はもう存在しないんじゃ……?
というかそもそも、
「空へ飛んでちゃったなら、もうルナを追いかけることも出来ないってこと……?」
「――いや、イシュタルに乗っていけばいい。神龍の飛翔能力ならば、遥か天にも届くだろう」
「へっ……!?」
ポツリと呟くといきなり背後から聞き覚えのある低い声がして、わたしは飛び上がった。
恐る恐る振り向けば、そこに居るのは想像通りの人物。
「に、兄様……」
なんでここに? 生徒会長達は? という言葉は、兄様の隣でチーリンに乗って申し訳なさそうに眉を下げているアンヌの顔を見て全て察した。
兄様はアンヌの可愛らしい静止くらいじゃ、止まる人じゃなかったね……。
「森から見覚えのある巨大な化け物が現れたから慌ててこちらへ来た。心配せずともノーブレ嬢とレオナルドは学園長達に保護してもらっている。じきに理事長とも合流するとのことだから、部外者である私が出る幕はもうない。それより空へ行ったルナを追いかけたいのだろう? ならばイシュタルがお前を運んでくれる」
兄様がそう言って振り返り、背後に控えているイシュタルに視線を向けると、イシュタルは同意するように「キュオオオ!」と、ひと鳴きした。
「た、確かにイシュタルならルナを追いかけられるだろうけど……。でも兄様、わたしが向かおうとしている先にはルナと、……恐らく〝夜の魔女〟がいる。わたしを乗せて、もしイシュタルに何かあったら……」
「だからこそだろう」
「え」
不意にふわりと頭を撫でられて、わたしは思わずポカンとした顔で兄様を見上げる。
「――リリス、私はずっと考えていた。お前と私が兄妹として生を受けた、その意味を」
「わたしと兄様が兄妹で生まれた、意味……?」
「ああ、お前は昔からとても稀有な存在だ。この世の当たり前がお前にだけは適用されない。きっと私は、そんなお前の力となる為に兄として生まれてきた。それこそが神の意思だったのだろうと今なら分かる。だからお前が空へ行くことを望むのなら、私は全力でお前の力になる」
「……兄様」
兄様はわたしの頭から手を下ろし、フッと微笑んだ。
「さぁ、早く行きなさい。ウィルソンくんのことは、私とミィシェーレ嬢が責任を持って診療所に運ぶ」
そう言って兄様がアダムの方へ視線を向けるので、わたしもつられてそちらへ目を向けると……。
「ほらほら、アダムくん! チーリンに乗って乗って! チーリンの俊足なら診療所なんて一瞬だからね~!」
「いや、さすがに体ガタガタだし、ゆっくりで頼む」
倒れ込んでいるアダムの腰にそっと手を添えて、アンヌがニコニコと冗談を言いながらアダムを抱き起こしていた。
明るいアンヌにアダムも毒気を抜かれたのか、いつもの調子でツッコミを入れていて、その様子にわたしは少し安堵する。
「リリスちゃん、大丈夫だよ。地上のことはわたし達に任せて! リリスちゃんは一人じゃないんだよ。ルナくんだって、きっとリリスちゃんを待っている! 早く迎えに行ってあげて」
「アンヌ……」
「リリス、こんなこと言える立場じゃねぇが……俺からも頼む。あいつ、俺を助ける為にあの女のヤベェ魔力をモロに浴びてた。俺に対しても何故か謝ってたし……。このままなんて嫌だ。あいつを取り戻してくれ! それが出来るのは、リリスしかいないんだ!」
「アダム……」
みんながわたしをルナのもとへと送り出そうとしてくれている。その気持ちに応えたい。
「うんっ、分かったよ! ありがとうみんな!!」
わたしは大きく頷いてイシュタルの背に跨り、その金色の鱗に覆われた体にしっかりとしがみつく。
「――――あ」
と、そこでわたしはスカートのポケットに入れっ放しだったあるものを思い出して、そっと取り出す。
そして一度イシュタルから降りて、アダムの手を取りそれを握らせた。
「? なんだ?」
「テーマパークのお土産。ずっと渡しそびれてたから……」
「土産……? ……! これは……」
アダムがゆっくりと手を開くと、小さなハリネズミのぬいぐるみがついたキーホルダーが手の上でコロンと揺れた。それにアダムは驚いたように目を瞬かせる。
「――ねぇ、アダム。前にみんなで一緒にお昼ご飯を食べた時、すごく楽しくってわたしにとって大切な思い出なの。だから、……だから、またアダムとわたしとルナとピグくんでまたご飯食べよう! ……絶対!!」
「リリス……」
泣いてはいけないと堪えていたのに、ついに堰を切ったように涙が勝手にわたしの頬を流れていく。
そんなわたしの頭をポンと軽く叩き、アダムが頷いた。
「ああ……約束だ。絶対にまた、みんなで飯を食おう。ほら、俺のことはもういいから、とっととケリつけて来い。……あいつにもきっと、俺と同じ。お前の言葉が必要だから」
「……うん!」
涙を拭い、アダムに促されてわたしはもう一度イシュタルに跨る。
そして鱗を撫でてわたしはイシュタルに声を掛けた。
「イシュタル、ルナのもとまでお願い、わたしを連れてって……!」
「キュオオオオオ!」
イシュタルはひと鳴きすると、ゆっくりと浮上し始める。
わたしは見送ってくれているアダム達の姿がどんどん小さくなっていくのを見下ろし、そして天に向かって大きく顔を見上げた。
さぁ辿り着こう、遥か空の彼方にいるルナの元へ――。
=大罪を犯し獣はその手に囚われる・了=
次回『天高く届くは女神の抱擁』