女帝の傀儡、傀儡の女帝 10
「…………」
粒子が完全に消え去ってしまい、しかしそれでもなお名残惜しくて、わたしはじっと空を見上げる。
「……リリスは行ってしまったんだね」
「あ……」
するとその横からルナの声がして、わたしは視線を声の方へ向けた。
その表情はやはり切なく、女神リリスが去った空をじっと見つめていて。わたしの胸も、ズキリと痛んだ。
「ルナ、あのね、女神リリスは……」
「……うん、大丈夫。君達がどんな会話をしたのかは分からないけど、彼女が夜の魔女の元へと向かうと決めていたのはとっくに知っていたから。この日が来ることはもうずっと覚悟していた」
「…………」
どんなに覚悟していたとしても、実際ショックは計り知れないだろう。
その横顔になんと言葉を掛けていいのか分からず、わたしは考えあぐねてしまう。
「あの……ルナ……」
「――さ! それよりも今は君のことだよ、リリス」
「え!?」
そこで唐突に重苦しい空気を散らすように、ルナがパッと明るい調子で話し出した。そのあまりの切り替わりの速さに戸惑っていると、ルナはわたしをじっと見つめて何やら頷いている。
「うん、確かに今リリスには女神の力が宿っている。その力は必ず、君が泣いてここに来た状況を打開する鍵となる筈だ」
「わたしがここに来た状況を打開って……――」
そこまで呟いて、ハッとする。
「そうだ! わたし、生徒会長に変な魔法で真っ暗な空間に閉じ込められて! それで、それで兄様がっ……!!」
「〝変な魔法〟?? なんだい、それ? 僕に詳しく聞かせてよ」
「えっ、ルナに?」
「僕は天使の中でも最も強く、また魔法の知識において僕以上に精通した者はいない。魔法だというなら、僕ならその正体も分かるかも知れない」
「天使の中で? そうなんだ、道理で」
確かにルナは今まで、わたしが見たことも聞いたこともないような色んな魔法を使っていた。
現実のルナがどういう訳か呼んでも来てくれず、また兄様ですらなす術がなかったのだ。
今目の前のルナに話すことで、少しでも事態が好転するのなら――。
「なら、聞いてくれる?」
わたしは藁にもすがる思いで、ポツポツとあの空間で起きた出来事をルナに話し始めたのだった。
* * *
「――ふぅん、真っ暗な空間に飛ばされ赤く……。確かにそれは君の兄の見立ての通り、幻覚魔法だろうね」
「でも、魔法を使った気配が全くなかったの! 本来いる筈の召喚獣の姿も見当たらなかったし……」
「なるほどね」
わたしの話を聞き終えたルナは指を顎に当てて少し思案した後、パッとこちらを向いてにっこりと花が咲くように笑った。
「いいかい、リリス。幻覚魔法っていうのは、必ず魔法に標的を嵌める〝トリガー〟が存在する。そこに例外は無い、絶対だ。つまりそのトリガーさえ潰してしまえば、どんなに強力な幻覚魔法だろうと未然に防げるって寸法さ」
「〝トリガーを潰す〟……? でも、魔法をいつ使ったのか気配すら分からないのに、そんなのどうやって潰せば……」
戸惑って言うと、不意にルナがそっとわたしの頬へと手を伸ばした。
そしてそのまま優しく撫でられる。
「大丈夫。君はもう既に反撃の一手を持ってい……る……。女神リリスのように……、よく……耳をそばだてる……ん……だ」
「!?」
唐突にルナの声が聞き取り辛くなり、頬を撫でらていた筈の手の感触も薄らいでいく。
これにはルナも一瞬目をぱちくりとさせたが、やがて眉を下げて微笑んだ。
「……そろそろ帰還の時間……か……な? リリス、僕はどの僕であっても君の味方……だ。それは忘れ……な……いで……」
前と同じ意識が吸い込まれるような感覚。
わたし、現実の世界に戻ろうとしているの!?
「っ待って! 待ってルナ!! まだ他にも聞きたいことが! 女神リリスが消えて、ルナはこれからどうするの!? 貴方はこれからずっと一人で……!!」
「リリス……」
そんなわたしの叫びは、意識が呑まれつつもルナにはちゃんと伝わったようで。姿かたちが見えなくとも、声だけはハッキリと聞こえた。
「僕は……本当に大丈夫。女神リリスにふたつ、頼まれ事をされているから」
「え」
――――頼まれ事?
「それって……、どんなこと?」
「ひとつは人間と召喚獣に別った天使達を見守ること。そして、ふたつめは――……」
そこでルナは言葉を切り、クスリと笑うような声が聞こえる。それだけでいつもの飄々としたいたずらっぽい表情をしているのだろうと、簡単に想像がついた。
「ふたつめは、未来の僕に聞いてみて」