リリスとルナの夏休み 16
コンコンとノックすれば、「どうぞ」とか細い声が聞こえ、わたしは静かに扉を開く。
「失礼します」
緊張でうるさい胸を抑えて室内に入れば、記憶の中よりも更に華奢になった長い白金髪を緩く結んだ女性――母様がベッドの中に入って座っていた。
兄様と同じ澄んだ青い瞳がわたしの声に反応し、ゆっくりとこちらに視線を向ける。
「か、母様……。あの……」
「リリス……。もっとこちらに来て。顔をよく見せて」
「…………はい」
久方ぶりの再会に言葉が詰まるわたしを母様が手招きするので、言われるまま彼女の前に進み出た。
母様の目線に合わせて屈みこんで見上げる。
「――っ!」
すると母様の細っそりとした手がわたしの頬に伸びて、わたしは目を見開いた。
「ああ、こんなに大きくなったのね……」
そう言ってわたしの頬を撫でる手は、微かに震えている。
母様はそれ以上何も言わず、ただ無心でわたしの頬を撫で、食い入るようにじっとわたしを見つめる。
「このまあるい目の形……。ハイネにそっくり。ちょっと鼻が小ぶりなのは、私に似たのかしら」
「か……母様?」
「ふふ」
楽しそうに声を弾ませている母様の邪魔をしたくなくて、とりあえずわたしはそのまま母様のしたいままにさせて、落ち着いた頃合いを見計らって口を開いた。
「……あの、母様。わたし、マリアからバラを預かってきたんです。今活けますね」
「ああ、そうね。ありがとう、リリス。今日もとっても綺麗……」
足元に置いていた青いバラが入ったカゴを掲げて見せれば、母様の顔がぱっと華やぐ。その様子に微笑んでベッドサイドにある花瓶にバラを活けていると、母様がポツリと呟いた。
「……貴方がリリスの召喚獣のルナくんなのね。本当に美しい羽根だこと。扉の前で立たせたまま、お声掛けが遅くなってしまってごめんなさい。貴方にはこの子を何度も助けて頂いたと聞いたわ。本当にありがとう」
その言葉にバラから母様に視線を戻せば、ちょうどルナが母様の前に進み出るところだった。
「いえ、僕もリリスの心の強さには何度も助けられましたから。おあいこです」
ルナが少しおどけたように笑うと、母様もつられたように「ふふ」と可憐に笑う。
「ええ……そうね。この子は強い。リリスが魔法学園へ行ってしまった時、この子はもう二度とここへ戻ってくることはないと覚悟していました。でもリリスはこうして、貴方を連れてここに帰って来てくれた。――本当にマリアの言う通りね」
「マリアの……ですか?」
わたしが目を瞬かせれば、母様は微笑んで頷いた。
「ええ。貴女に着いて行ったマリアが屋敷へ戻ってきた時に、私に言ったの。『お嬢さまは神託に負けるほど弱くはないです。神託に囚われず、お嬢さま自身を見てあげてください』って」
「マリアが、そんなことを……」
「私は貴女を喪う恐怖ばかりに囚われて、次第に想っていた筈の貴女の姿すら見失ってしまっていた。……本当にダメね、私は。大切だったのは、貴女に寄り添い、信じることだったのに……」
そう言って、母様は今活けたばかりの青バラを見つめる。
「――――」
その様子にわたしはつい先ほど、バラを受け取った際にマリアに言われた言葉を思い返した。
『お嬢さまは何故奥様が青いバラを毎日欠かさずベット脇に飾られているか、分かりますか?』
『え、理由があるの?? うーん……。単純に好きとかじゃなくて?』
『私も以前、そう聞いてみたことがあります。そしたらこれは、〝願掛け〟なのだと教えてくださいました』
『願掛け……?』
『青いバラの花言葉は〝希望〟なのですって』
母様の手が、そっとわたしの手に触れる。
そうして軽く引かれるままにわたしは母様の腕の中へと導かれ、優しく頭を撫でられた。
「母様……」
「リリス……よく頑張ったわね。召喚獣のことだけじゃない、貴女にはたくさんの困難がその身に降りかかった。にも関わらず、よくぞ全て乗り越え、こうして私の前にまた顔を見せてくださいました。貴女の運命はこれから先も困難を引き寄せるかも知れない。けれど私は貴女なら決して負けないと、必ずまたここに帰って来ると信じているわ。だからいつだって帰って来て。――ここは貴女の家なのだから」
「……っ、うん……! ありがとう、母様……」
母様の言葉に涙が滲む。ルナが見てる前で気恥ずかしさは感じるが、体を包み込む母様の柔らかな腕の中はとても心地がいい。
もう少しだけこの温もりを感じていたくて、わたしはそっと瞳を閉じた――。