リリスとルナの夏休み 13
「久しいな、リリス」
「と、父様……」
いきなりの再会に戸惑うわたしに対し、父様は特に表情を変えることなくわたしをジッと見ている。
それに一抹の居心地の悪さを感じながら、わたしはおずおずと口を開いた。
「あ、あの、父様。先ほどの〝その必要はない〟とは一体どういう意味でしょう? 理解が悪くて申し訳ないのですが……」
「なに、そのままの意味だ。領主がここに居るのだ。別に場を改まって私に話を通す必要はもうないだろう?」
「え……」
その言葉にポカンと父様を見上げれば、父様が少しだけ気まずそうに表情を変えた。
「仕事から帰って来てみれば、湖から竜巻が発生したと町中大騒ぎでな。マリアにお前が湖へ向かったと聞いて私も急ぎここへ来た。するとお前が魔獣と何事かを話しているじゃないか。その様子とお前の言葉から、概ねの状況は察することが出来た」
「あ……」
そう言うと父様はスッとわたしの横を通り過ぎ、川の源泉に浸かる人魚さんへの前へと進み出た。
人魚さんはそんな父様をじっと見ている。
「私に君の声は聞こえないが、私の声は君に届いているね? お初にお目にかかる。私はこの地の領主を任されているハイネ・アリスタルフという者だ。私は長年、町の繁栄ばかりに囚われて、民の声を聞くと言う本来領主ならば最も大切なことを忘れていたようだ。この地に住まっているのは、なにも人間だけではないというのに……」
そこで言葉を切り、父様は人魚さんに向かって頭を下げた。
「町では以前から度々不可思議な事故が多くあったのは知っていた。にも拘らず、このような事態になるまで何も対処せずに放っておいたのはこの私だ。そんな私の言葉など信じられないかも知れないが、しかし必ずやこの地を元の美しく清らかな場所に戻すと約束する。今度こそ、人間と魔獣が共に暮らせるように――」
『――――』
父親の言葉を黙って耳を傾けていた人魚さんが口を開く。
『領主ハイネ・アリスタルフ。貴方の真摯な言葉、信じます。ワタシ達に残された時間は決して多くはありませんが、それでも貴方が変えてくれると。だからどうか忘れないで。貴方が約束を違えた時は、今度こそワタシ達も容赦はしないと。ですがそんな時が来ることは望みません。ワタシ達は人間と共存することを望んでいるのだから』
そして父様に厳しい表情を見せた人魚さんが、わたしを見て微笑む。
『ありがとう、女神リリスの力を持つ者よ。貴女の力強い言葉、とても嬉しかった。貴女との出会いが転機となり、ようやくこの地に変化をもたらしそうです。また会う時があれば、その時はこの地がかつての美しい姿を取り戻し、坊やが汚れを気にすることなく自由に泳げることを願っています……』
「あ、人魚さん!!」
人魚さんは虹色の大きなヒレを翻し、腕に水のボールに入ったピンクのイルカの子を抱いて大きく跳ねた。すると水しぶきがキラキラと光を弾き、ドボンッ! と大きな音を立てて、人魚さん達は水中奥深くへと消えていったのだ。
「……彼女は何と言っていた?」
人魚さん達の姿が完全に見えなくなっても、未だ揺れている水面をじっと見つめていた父様がポツリと呟いた。
それにわたしは父様を見て、人魚さんの残した言葉を一字一句漏らすことのないように、ゆっくりと伝える。
「……約束を、違えないことを願っている。ワタシ達は共存を望んでいるのだから――と」
「そうか……。この十年間、何も見ず、聞かず、ひたすら仕事に打ち込んだツケだな。周りがまるで見えていなかった。情けないな……私は」
「父様……?」
自傷気味に呟く父親に不思議に思ってその顔を見れば、悲しそうな、笑い出しそうな、何とも複雑な表情をしていて、わたしは内心驚く。
だって記憶の中の父様は、いつだって表情を変えず、淡々とした印象しかなかったのだ。だからこんなに感情を露わにしている姿を目にして、戸惑いの方が大きい。なんと言っていいか分からず、それ以上わたしは言葉が続かなかった。
「……リリス」
「!」
すると黙り込んだわたしを見て、父様の方が先に口を開いく。それにビクリと肩を震わせながらも、わたしはおずおずと顔を上げた。
「はい……」
「ここでずっと立ち話をしている訳にもいくまい。まだ町では事の顛末も知らないままだ。私は領主として、事後処理に当たる。そして人魚との約束は必ず果たすつもりだ。リリス、お前にも話がある。一通りの指示が終わったら私は書斎に向かうから、お前はそこで待っていなさい。……それから君も」
「あ」
チラリと父様の視線が真っ直ぐルナを捉える。
しかしそれも一瞬で、すぐさま父様は自身の召喚獣――青色の神龍を召喚し、町の方へと飛び去ってしまった。
「……はーっっ!!」
「リリス!?」
その背中が完全に見えなくなり、わたしは盛大に溜息をついてその場にしゃがみ込む。
「大丈夫、リリス!? 疲れた?」
「ルナ……、なんか緊張の糸が切れちゃったみたい……」
わたしの様子に慌てて自身もしゃがみ込んで心配そうにしているルナに力無く笑えば、頭にスッと手が伸ばされた、そのまま優しく撫でられる。
その手の温かさにホッと息をつけば、ルナが「落ち着いた?」と聞いてきたのでコクリと頷く。
「……ねぇ、ルナ。わたしちゃんと父様と話が出来るかな? だって一度だってまともに話したことがなかったんだもの……」
思わず弱音を吐けば、ルナが笑う。
「もし君を傷つけるようなことを君の父が言うのなら、僕は君を抱えてすぐに寮まで帰るよ。だから大丈夫。――向き合うって決めたんでしょ?」
「うん……、そうだね。ありがとう、覚悟決まった」
ルナの言葉に頷いて立ち上がり、わたしは人魚さん達が潜っていった川の源泉を見つめる。
その水はやはり濁っていて、その底までは見通せない。
「……こんなに濁っているのに、人魚さん達大丈夫かな? 〝残された時間は決して多くない〟って言ってたけど……」
「彼女はかなり強い魔獣のようだし、彼女が居る限りは持ち堪えられるだろうね。あのピンクのイルカも僕が与えた魔力がある限りは大丈夫だろう。だから後は、君の父次第……かな」
「そっか……」
父様は人魚さんとの約束を必ず果たすと言っていた。そこを違えるような人じゃないことはわたしでも知っている。
だからきっと大丈夫だと信じる。
――人魚さんが信じたように、わたしも。
『また会う時があれば、その時はこの地がかつての美しい姿を取り戻し、坊やが汚れを気にすることなく自由に泳げることを願っています……』
その願いはわたしも同じ。
次こそは本来の美しさを取り戻したこの場所で、貴女達にまた会いたい。