リリスとルナの夏休み 10
「うわぁ! 風がすごい!! さすがにこれ以上は近づけないね……」
ルナに抱えられ、上空から竜巻を見下ろす。
ゴーゴーと唸る竜巻に飛び込むのはさすがに自殺行為だ。
「……いや、竜巻自体には近づかなくていいよ。この竜巻を起こした元凶は、湖には居ない」
「え……?」
――湖に居ないなら、じゃあどこに?
そうわたしが問う前にルナがわたしに向かって指を振り、その瞬間体が淡い光に包まれる。
「? 何したの?」
「気休めだけど、風を遮るシールド魔法をリリスに掛けた。しばらくなら竜巻の突風を気にせず動けると思う。けど本当にあくまで気休め。僕は治癒や補助魔法は苦手なんだ。掛け直すことは出来ないから」
「分かった、ありがとう。でもルナでも苦手な魔法があったんだ。確かに今までも治癒魔法使ってるとこ見たこと無かったもんね」
「使えないこともないけど、使うと消耗が激しいんだ。どうやら僕は攻撃魔法に特化した適性みたいだね」
「ふーん……」
そうは言っても、一応使える辺りさすがだなと思う。それに消耗が激しいにも関わらず、シールド魔法をわたしに掛けてくれたのだ。
胸に込み上げる温かさを感じつつ、わたしはルナにもう一度お礼を言った。
「でもルナ、元凶の魔獣の場所に目星はついてるの?」
「うん、恐らくは……」
片方の腕でわたしを器用に抱えたまま、ルナがスッとある方向を指差した。
あっちは――……。
「例の虹色の光の……あの森の先ってこと?」
「うん。昨日は感じられなかった魔力が、あの森から発しているのを感じる。間違いない。元凶はあの森の先にいる」
「……分かった」
ルナの言葉に頷きながら、頭に浮かぶのはあの屋敷で保護しているピンクのイルカだった。
森の先にこんな事態を引き起こす程の凶暴な魔獣がいるのなら、あの子の怪我はもしかしたら――。
* * *
「リリス、大丈夫?」
「うん、ありがとう大丈夫。けど確かにここまで来ると、すごく強い魔力を感じるね……」
竜巻が巻き起こす突風に気をつけながら、わたし達は昨日来た森の入り口に降り立った。
ルナが掛けてくれたシールド魔法のお陰でそれほど苦もなく到着出来たが、しかしこの場所はわたし達のゆく手を阻むように、湖より更に強い突風が吹き荒れている。
「いいかい、リリス。絶対に僕の手を離さないで」
「分かった」
真剣な表情のルナに頷き、固く互いの手を握り締めて、わたし達は森へと足を踏み出す。
――その瞬間、
『許さない』
「え?」
突然聞こえた声に思わずルナの顔を見れば、ルナが「リリス?」とキョトンとした顔をする。
空耳……?
『あの子が連れ去られてしまった。どこにいるの』
「!」
今度はハッキリ聞こえた。空耳じゃない。
そしてその声はどんどん激しく、大きくなっていく。
『返して返して返して!! どこにやったの!? あの子は……、あの子はワタシの……』
〝ワタシの……?〟
誰か、女性の声……?
あの子って、まさか――……。
「リリス!!!」
「――――え?」
ルナが声を張り上げるなんて珍しい。
なんて思った瞬間、
ドッと体が舞い上がり、次には一気に急降下して、体が地面へとどんどん近づいていくのがまるでスローモーションのように見えた。
「――――っ!!」
地面がすぐ目の前に迫り、恐ろしさに耐えかねてギュッと固く目を閉じる。
「…………」
しかしその瞬間はいつまでもやって来なかった。
「え……」
意を決して瞼を開けば、視界いっぱいに映るのは息を荒げるルナの姿だった。
「ル、ルナ……」
どうやら二人で倒れ込んでいるのに気づき、慌てて起き上がろうとして気がついた。
体の下が地面でなく、ふわふわとした白い羽根だということに。
「ルナ!? もしかして羽根をわたしの体の下に滑り込ませてクッションにしたの!?」
わたしが驚いた声を上げれば、ルナは息を整えながら頷いた。
「冷静になれば、もっといい方法があったと思うんだけど、とっさにリリスを傷つけずに助ける方法がこれしか浮かばなかった」
「ルナ……。ごめんね、ありがとう……」
慌てて起き上がって、土で汚れてしまった純白の羽を、わたしは手で優しく払う。
するとルナもスッと立ち上がって、森の先をじっと見つめた。
「……ルナ?」
ザワッとルナが纏う魔力の気配が変わる。
先ほどまでの柔らかなものではなく、ビシビシと肌がヒリつくような痛さを感じる。
「ここはリリスの生まれ故郷だし、あまり暴れるような真似はしたくなかった。――けど、リリスに手を出し以上は、もう気にする必要ないよね?」
「――――え」
ルナが手をゆっくりと森に向かってかざす。
その瞬間、ルナの全身から圧倒的なまでの魔力が迸り、「ルナッ!」と慌ててわたしが制止しようとした時だった。
「クーーーーーーン!!」
甲高い鳴き声が唐突に響き渡る。
「なっ……何!?」
止める為にルナの体にしがみついたまま、わたしは声のした方を振り返り、目を見開く。
何故ならそこに居たのは、森で助けたあのピンクのイルカだったのだ。
「き、君! 目覚めたの!?」
実は魔獣だという、ぬいぐるみにしか見えないピンク色の小さなイルカは、ルナが魔法で作ったプカプカ浮く、丸い水のボールの中からくりくりした鱗と同じ虹色の瞳でわたしを見つめ、「クーン」とまた鳴いた。
そしてそのままフヨフヨと森へと進んで行こうとするので、わたしは慌ててルナから手を離し、ピンクのイルカに駆け寄る。
「ちょっ、ダメっ!! この先は突風も酷いし、危険だから戻って……!」
「クー?」
わたしの言葉が分からないのか、ピンクのイルカはキョトンと不思議そうな顔をする。
「そっか、やっぱり君には女神の力が効かないんだ。あのね、意味が分からなくてもいいから聞いて。この先には危険な魔獣が――」
『……坊やなの?』
「!」
また先ほどの声がまた聞こえ、わたしはギクリと体が強張った。
「クーン、クーン!」
『そう……、そうなのね』
「…………?」
どうやらピンクのイルカは、この謎の女性の声とは会話かわ出来るらしい。何かを訴えるようなピンクのイルカに、わたしはじっとその様子を見つめる。
『……分かったわ』
するとそんな声が女性の声が聞こえ、今までの激しい突風が嘘のように収まった。
「風が……」
『ワタシの声を聞く、女神の力を持つ者よ。坊やが導きます。どうぞ森の最奥までお越しください』
「…………貴女は……」
この心の声を聞く力が〝女神の力〟だと知っている存在。
彼女は一体――。
「クーン、クーン!」
「あ」
ピンクのイルカがわたしの周りをぐるりと一周した後、こちらを導くようにフヨフヨと森の中へと入っていく。
「……リリス、どうするの?」
スッと隣に来たルナが、まだ警戒を解かずに固く言う。
「うん……」
どうするかはもう決まっていた。
「あの子に着いて行こう! そして森の奥に居る魔獣の正体がなんなのか、何が目的でこんな騒ぎを引き起こしたのか、会って全部確かめるの!」
「……分かった」
わたしの言葉に、ルナは静かに頷いた。