リリスとルナの夏休み 8
「はい、これで治癒は終わりましたよ」
「ありがとう! マリア、ミケゴロ!」
「ニャオン!」
あっという間に人魚の子の傷ついていた体が癒え、わたしはマリアと彼女の召喚獣――ミケゴロにお礼を言う。
ミケゴロは見た目は眼光鋭い三毛猫なのだが、その渋い見た目に反して希少な治癒魔法を得意としており、わたしも幼い頃は彼に幾度となくお世話になった。
なにせわたしは昔からあちこち跳ね回って、生傷の絶えない子どもだったのだ。わたしが怪我する度にマリアが泣いて怒ったのも、今ではいい思い出……ではないな。
思わず遠い目をしていると、マリアが「お嬢さま」とわたしを呼んだ。
「しかしこの子、全然起きませんね? 初めは魔獣と聞いて驚きましたが、こうやって見ていると、まるで可愛らしいぬいぐるみみたいです」
そう言ってマリアは毛布にくるまれているピンクのイルカを、ぷにぷにと指で優しくつつく。
「そうなんだよね……。呼吸は穏やかなんだけど、もしかして体の傷以外にも具合が悪いところがあるのかな?」
「口で話せなくとも、リリスならこの魔獣の心の声が聞こえるんじゃないかい?」
わたしの呟きに反応して、部屋の壁にもたれてわたし達の様子を見ていたルナが不思議そうに問いかけてくる。
それにわたしはガックリとうなだれて、溜息をついた。
「それが……。試してみたけど、完全に意識を失っているせいか、この子の心の声は聞こえなかったんだ。女神の力も万能じゃないんだね……」
「……女神の力が? いや、そんな筈は――」
「え」
一瞬ルナが何か言いかけたが、わたしが首を傾げると、ハッとして押し黙った。
「……ルナ?」
「いや……ごめん、なんでもない。これは僕の推測だけど、もしかしたら目覚めないのは水に浸かっていないからかも知れない。人魚は本来キレイな水でしか生きられない魔獣だから」
「キレイな水? そっかぁ、だったらお風呂場を使わせてもらうしか……」
「それじゃリリス達が使えなくて困るでしょ。僕に任せて」
そう言ってルナがピンクのイルカに向かって人差し指を振ると、たちまちその小さな体が水で出来たボールに包み込まれた。
「わぁ……っ!」
「丸い水のかたまりが浮いてます……っ!」
ぷかぷかと浮かぶボールをわたしとマリアが目を丸くして見つめると、今まで微かな呼吸音しかしなかったピンクのイルカが、ピクピクとその虹色のヒレを動かした。
「少し動いた! やっぱり水が必要だったんだね!」
「まだ眠っているみたいだけど、この様子なら目覚めるのも時間の問題だと思う。とりあえずこのまま寝かせてあげよう」
「うん」
ルナの言葉にわたしは頷き、改めて隣にいるマリアを見ると、まだポーッとぷかぷか浮く水のボールを見ていた。
「……マリア?」
「はっ!」
声を掛ければ、マリアが慌てて居ずまいを正した。
「も、申し訳ございません! ついルナ様の魔法に目を奪われてしまいました!」
「あはは、分かる。わたしも初めて見た時ビックリしたもん」
マリアは恥ずかしそうに俯いているが、ルナの魔法は学園でも習わない、聞いたことのないものばかりなのだ。思わず見入ってしまうのも無理もない。
「――ところでその魔獣の治癒は済んだけど、この後はどうするのリリス? さっき調べ損ねた湖の対岸に戻ってもいいけど……」
「うーん、まだこの子の側から離れるのは心配かなぁ……。かと言って連れ歩く訳にもいかないし、今日の調査はここまでにしない?」
「リリスがそう言うなら、それでいいよ」
「まあ!」
するとそれを聞いていたマリアが、顔をパッと輝かせた。
「でしたらお二人もご一緒に、本日のランチに使うお野菜を収穫に庭園へ参りません? たくさん育っていて一人では取りきれないと庭師がボヤいていたのですよ。その子も屋敷の敷地内ならば、連れて行っても問題ないのではないですか?」
「へー、野菜の収穫って僕初めて見る。行ってみたいなぁ」
「うん! 面白そーだね! 行こっか」
「ふふ。お嬢さまが収穫したお野菜は、せっかくですし明日旦那様がお帰りになったらシェフに腕を振るってもらいましょうか。どんなお料理になるか、楽しみにしていてくださいね」
「え……」
そういえば明日でここに来て三日目。
すっかり忘れてたが、明日はもう父様が帰って来る日だった。
母様にもまだ会う決心がつかないのに父様となんて、まともに話が出来るのだろうか?
「~~~~っ!」
考えれば考えるほど暗い想像で頭の中が埋め尽くされそうで、頭に浮かぶ不安を打ち消すようにわたしはぶんぶんと首を振った。