リリスとルナの夏休み 4
屋敷から歩けるほどの距離にある湖は、対岸が霞むくらいとても大きい。
うちの領民達の飲み水でもあり、取れる魚は大切な食料でもあり、また人気の観光スポットでもある。
故に地元では〝恵の湖〟と呼ばれ、長年大事に管理されてきたのだ。
そんな湖に着くなり、ルナがわたしを呼んで繋いだ手をブンブンと振った。
「うわぁー! すごいよリリス! 近くで見ると想像以上に大っきいね!」
「うん。わたし屋敷に住んでた頃は、この湖を眺めるのが大好きだったんだ。それでマリアに強請ってよく来てたんだけど、マリアを怒らせてからは行かなくなっちゃったんだよね」
「あのとにかくリリス大好き! って感じの人を怒らせたって……、一体何があったの?」
目を丸くして意外そうに言うルナに、わたしは苦笑して頬をかく。
「うーんとね。実はある日いつものようにはしゃいでいたら、足を踏み外して湖に落っこちちゃったんだ。湖の水深は思った以上に深くて、近くにたまたま居合わせた漁師さんが居なかったら助からなかったと思う」
ずぶ濡れになったわたしを抱きしめてわんわん泣いたマリアに、その後大目玉を食らったことはしっかり覚えている。
そのあまりの恐怖に、絶対にマリアを怒らせてはいけないと幼心に誓ったものだ。
「だったらここに来てよかったの? そんなことがあったなら、湖に近づくの怖くない?」
「うーん……。確かにしばらくは怖かったけど、もう8年も前のことだもん。怖くないよ。それにもし前みたいに湖に落ちたとしても、今はルナが助けてくれる……ね?」
そう言って繋いだ手に力を込めれば、ルナはもちろんと頷いて、ぎゅっと手を握り返してくれる。
そうやって互いに笑い合って視線を湖に向ければ、水面に太陽の光が反射してキラキラと輝いていた。
「綺麗だね」
「うん……」
ぼうっとその柔らかな光景を見ているだけで、ここ最近の慌ただしさに忙殺されていた心が凪いでいくのを感じる。
「ん? あれー? おっかしいなぁ……」
しばらくそうして二人で湖を眺めていると、どこからか困ったような声が聞こえてきた。
「今の声、どこからだろ?」
「あそこ」
ルナの指差す方を振り返れば、すぐ側の船着き場で漁師さんらしき人が漁船の運転席で何やらガチャガチャ弄っている。
「あの……、どうかされましたか?」
「んっ? いやー、それがどういう訳か船のエンジンが掛からなくてねー。このままじゃ漁にも出られないし、どうしようかと思ってたんだよ」
そのまま放っておく訳にもいかず、おずおずと声をかければ、漁師さんは陽に焼けた太い腕で降参のポーズをして、深く溜め息をついた。
確かに漁に出られないのはマズい。死活問題だ。
「ふーん? ねぇちょっと僕に見せてみてよ」
「え、あ、おい兄ちゃん……」
そう言ってわたしの横に居たルナがひょっこりと漁船の運転席に顔を覗かせる。そして驚く漁師さんをよそに、人差し指をスッと顔の前に出したかと思うと、おもむろにエンジンに向かって指を振った。
ドンッッ!!!
すると次の瞬間、突然エンジンに雷が落ちたかのような激しい爆発音がして、船が一瞬眩く光る。
「あーーーーーーっ!!!?」
「なっ、ななな……! 何やってんのーーーーっ!!?」
ルナの奇行に、わたしと漁師さんが叫んだのは同時だった。
「何って、修理だけど?」
しれっと答えるルナにわたしは詰め寄る。
「しゅ、修理って……、わたしには壊しているようにしか見えなかったけど!?」
「おおおーーーー!?」
と、そこで漁師さんが大きな声を上げたので何事かと見れば、何故か嬉しそうに目を輝かせていた。
「え……、どうしました?」
「本当に船が直ってるぞ!! 兄ちゃんスゲェな! 一体どうやったんだ!?」
「ええっ!?」
にわかには信じがたく、弾かれたように船に視線を戻せば、確かに先ほどまではしんとしていた船のエンジンからブンブンと音がする。
「ルナっ! 一体どうなってるの!?」
「魔法でロックを解除しただけだよ。どうやらエンジンが掛からないように魔法で鍵をされていたみたいだからね」
「……魔法で??」
それはつまり、召喚獣を使った誰かのイタズラなのだろうかと眉をひそめる。
するとそれを聞いた漁師さんが「ああっ!?」と驚いた声を上げた。
「? 何か心当たりでも?」
「いや……そうじゃねぇんだが、誰かと思ったらお前さん、領主様んとこのリリスお嬢さまじゃねぇか! しばらく見ないと思ったらこんな大きくなって! 俺のこと覚えてるかい? 昔お嬢ちゃんがここで溺れた時に助けたことがあるんだけど……」
「ええっ!?」
その言葉にわたしは目を見開く。
「え、あの時の漁師さんなんですか!? もちろん覚えています! うわ、すごい偶然! わたし8年振りに屋敷に戻っていて、ちょうど今彼とここで昔溺れた時に漁師さんに助けられた話をしていたところだったんですよ!」
「そうかい! そりゃすごい偶然だ! それに久々の里帰りってなら、いい時に帰ってきたもんだ!」
「いい時……ですか?」
わたしが首を傾げると、漁師さんが豪快に笑う。
「三日後に祭りが開かれるのさ。それがわりと盛大で。毎年領民も観光客も大勢参加するんだ。祭りのラストには何万というランタンを一気に湖から打ち上げるんだが、これがまた幻想的でね。一見の価値があるから是非参加するといい」
「へぇー、面白そう……」
多分わたしがここに住んでいた頃には、そんなお祭りは無かったはず。最近始まったのだろうか?
まあ、詳しいことはマリアに聞いてみたらいいか。
そう結論づけて、何度もお礼を言う漁師さんと別れる。
その後は湖の周りを散歩したり、ボートに乗ったりして楽しく過ごし、すっかり暗くなった頃にわたし達は屋敷へと戻った。