リリスとルナの夏休み 3
「お嬢さまがお帰りになると聞いて、お部屋は張り切ってピカピカに磨き上げておきました。どうぞお入りください」
「わぁ……!」
出迎えてくれた使用人達に挨拶しながら屋敷の中を進んで案内されたのは、7歳で学園の寮に入るまでの間使っていたわたしの部屋だった。
中に入れば当時の幼児向けの調度品やおもちゃは全て片付けられ、15歳の娘らしいドレッサーやクローゼットなど、ホワイトアンティークでまとめられた調度品が置かれている。
「わたしの部屋……まだあったんだ。とっくに無くなってると思ってたのに……」
「もう、なんてこと言うんですか! ここはお嬢さまのお家なんですよ! ちゃんとあるに決まっているじゃありませんか! あ、ルナ様には客室を用意しました。どうぞこちらへ」
マリアがルナを促してわたしの部屋から出ようとするが、それにルナがむくれて唇を尖らせた。
「えー? いいよ、僕はリリスとこの部屋で寝るもん。寮ではいつも一緒に寝てるんだし、いいでしょ? リリス」
「「え゛」」
ルナの言葉にピキーンとこの場が凍りつく。
すぅっと真顔になったマリアにマズイと焦るが、時すでに遅し。
「……一緒に寝ている?? 年頃の女性であるお嬢さまと、男性であるルナ様が??」
地を這うような声にわたしは慌てて弁明する。
「ち、違うのマリア!! 確かに寮ではルナと同室ではあるけど、ベッドは別々で……」
「そんなものなんの言い訳にもなりません!! まさか寮でそのようなことになっていたなんて……!! エルンスト様は……! エルンスト様は知っているのですか!!?」
「え? あー……、どうだろ? わたしの部屋に来たのはこの前の一回だけだし、多分知らないと思う」
すると途端にマリアは表情を歪め、「ちっ! 使えねぇな、あのシスコン」と吐き捨てる。
本当に一体、マリアと兄様ってどういう力関係なんだろう……?
思わずじーっと見ていると、マリアがゴホンと咳払いした。
「――まぁいいです。今はお嬢さまの言葉を信じて、寮でのことをこれ以上は詮索致しません。しかしここで過ごす間は、ルナ様には客室でお休みになって頂きます。郷に入れば郷に従えです」
「ええー!?」
「ところでお嬢さま、荷物を置かれましたら夕食までまだ時間がありますが、どうなさいますか?」
まだブーブーと言っているルナをまるっと無視して、マリアがわたしに尋ねる。それにわたしは首を捻って思案した。
「うーん……。なら軽く屋敷の中をルナに案内してから、湖の方に行ってみようかな」
「でしたら私も同行してご案内致します」
当たり前のようにそう申し出てくれるマリアに、なんだかあれこれとお世話してくれた昔を思い出して、わたしは吹き出した。
「もうマリアったら、心配しなくても案内くらいわたし一人でちゃんと出来るよ。貴女は母様にバラを持って行って。早く活けないと萎れちゃう」
クスクス笑って彼女の腕の中のカゴを指差すと、マリアは目をパチパチさせて「それもそうですね」と呟頷く。
「お嬢さまはもう、小さな子どもではありませんものね。それに今のお嬢さまには、ルナ様がついているのですし」
「?」
意味ありげにちらりとルナを見て、マリアがわたしの耳元に口を寄せた。
「――ルナ様とお嬢さま。ただの召喚士と召喚獣の関係ではないのでしょう?」
「えええっ!!? な、ななな、なんで!!!?」
真っ赤になって叫ぶと、マリアがいたずらっぽく笑う。
「お二人の様子を見てたら分かります。ふふ、お嬢さまも大きくなられたのですね。ではお邪魔虫はルナ様にお部屋を案内したら退散致しますから、羽目を外さない程度に楽しんできてくださいね」
「~~~~っ」
「さぁ行きますよ、ルナ様」
ルナに声を掛けて鼻歌を歌いださんばかりに楽しそうに立ち去るマリアの後ろ姿を呆然と見つめる。
するとわたしの横に並んだルナが、「リリス、顔が真っ赤になってる。可愛いね」と囁いてきて、更に羞恥で悶えることとなった。
* * *
「――ここがエントランスホールであっちが応接室。で、そっちが食堂」
帰省早々心臓に悪いことばかり立て続けに起きたが、気を取り直して部屋に荷物を置いたわたしは、ルナの手を引いて屋敷の中を案内して回っていた。
「お元気なお顔を見れて嬉しいです。リリスお嬢さま」
「ええ、わたしもよ」
行く先々で出会う執事や侍女達にシェフ。彼らの顔触れはわたしが暮らしていた当時とほとんど変わっていない。元々使用人達との関係は良好だったこともあり、挨拶とルナの紹介だけのつもりが、ついあちらこちらで長話をしてしまう。
そして――、
「ここは兄様のお部屋だね」
「へぇーいいね。せっかくだしあの澄ました君の兄が何か変なものでも隠し持ってないか、中を探検してみようよ」
「いやいやいや」
そうやって次にやって来たのは、二階にある兄様の部屋の前。
ルナが悪い顔でおもむろにドアノブに手を掛けようとするが、それはさすがに可哀想なので、兄様の為にもやめてもらった。
「ええーじゃあ書斎も図書室も見たしー、あと見てないのは――」
「んー……、そうだね」
わたしが首を捻ると、ルナが「あ!」と声を上げる。
「ねぇあの部屋は? あの奥の部屋は、なんの部屋なの?」
「――え?」
ルナが指を差す方へとわたしも振り返って見れば、奥まった廊下の先にぽつんと扉がひとつあるのが見えた。
「あれは――……」
――あれは、〝母様の部屋〟
そう答えようとして、しかし何かが喉に引っかかったように言葉が出なくなる。
『リリス、ごめんね……ごめんね……』
脳裏をよぎるのは、元は金色だったわたしのくすんだ髪を何度も撫で、ボロボロと涙を零す母。
『母様、ねぇ母様……』
『…………』
憔悴し、わたしが呼んでも何も反応しなくなった母。
次々と浮かんでくる母様の姿に急速に体が冷えていき、バクバクと心臓が激しく音を立てる。
「……っ!」
するとそんなわたしの冷えた指先に、温かな指先が重なった。
それにハッと顔を上げれば、ルナがしゅんと眉を下げてこちらを見ている。
「あ、ルナ……」
「……ごめん。リリスの生まれ故郷に来れて、ついはしゃいでたみたいだ。無理に言わなくていいから」
「ううん、わたしこそ急に黙っちゃってごめんね」
言わなくてもわたしの反応であそこがなんの部屋か、ルナには察しがついてしまったようだ。
馴染んだ温かなルナの手によって冷えた指先にじんわりと体温が戻り、わたしはそっと息を吐く。
「ごめん、もう大丈夫だから。ねぇ屋敷の中はこの辺にして、湖の方に行ってみない? 水がすっごく澄んでて、とても綺麗なんだよ!」
「あの列車から見えてたやつ!? うん、行きたい! 行こう!」
気を取り直して明るく言えば、ルナも合わせるように明るく笑ってくれる。
その顔を見ていると自然とわたしも笑顔になるのだから不思議だ。
もしわたしが一人でここに居たとしたら、きっとこんな風には笑えなかっただろう。
今ここにルナがいてくれて良かった。
心からそう思った。