天高く届くは女神の抱擁 11
『あああああああああああっ!!!!!』
「えっ!!?」
わたしの首に手をかけられる刹那、夜の魔女の新たな記憶を見た瞬間、ルナ――いや、夜の魔女が突然苦しそうにもがきだした。
一体何が起きたのか分からず、目を見張るが……。
『やめろぉ!! わたくしを蔑んだ目で見るなぁぁぁ!!!』
「よ、夜の魔女……?」
最早わたしどころでは無いらしい。わたしから離れて頭を抱えて絶叫する様子を訝しげに思いながらも、急いでわたしは地面に叩きつけられたピグくんへと駆け寄った。
「ピグくん! 大丈夫!?」
「キュ!」
そっと抱き上げれば、手の中で『大丈夫!』とピグくんの元気な声が聞こえてきて、とりあえずホッと胸を撫で下ろす。
そして辺りに充満していた強大な魔力の気配が消えていることに気づいて周囲を見渡せば、ちょうど召喚獣達を閉じ込めていた光の檻が消えていくところだった。
『リリス様!! ご無事ですか!?』
「イシュタル! うん、わたしはこの通りなんとか無事! みんなも無事でよかった……」
檻から出たイシュタルが真っ先にわたしに近づき、心配げな声を上げる。
それにわたしがにっこり笑って答えると、イシュタルが安堵したように、はぁと溜息をついた。
『ええ、本当によかった。貴女の首に魔女が手をかけた瞬間、私の肝が冷えました。……しかし』
『あああああああああああっ!!!!!』
イシュタルの言葉が魔女の絶叫によって掻き消され、わたしもイシュタルも夜の魔女へと視線を向ける。
『ううっ、やめろぉ! わたくしは間違ってない……!! わたくしこそが、女神…………!!』
「一体、夜の魔女は急にどうしたんだろう……? 随分と苦しそうだけど……」
『分かりません。ですがリリス様、これはチャンスです。魔女が我を忘れている今なら、魔女に取り憑かれたルナの心を正気に戻せるかも知れません……!』
「ルナを、正気に……?」
わたしが目を瞬かせると、イシュタルは力強く頷いた。
『はい。リリス様のお声はきっと、ルナに届きます。――だってルナは、貴女の召喚獣なのですから……!』
「!!」
『あああああああああああっ!!!!!』
――そうだ。女神だとか天使だとか、今日一日でたくさんのことを知ったけど、でも今のわたしは人間で召喚士で、ルナは天使だけど召喚獣で。
『お前が空へ行くことを望むのなら、私は全力でお前の力になる』
『ルナくんだって、きっとリリスちゃんを待っている! 早く迎えに行ってあげて』
『このままなんて嫌だ。あいつを取り戻してくれ! それが出来るのは、リリスしかいないんだ!』
わたしを信じてイシュタルを託してくれた兄様、それにアダムにアンヌ。みんながわたしの背中を押して、遥か天まで送り出してくれた。
取り戻さなきゃ。わたしがルナを。
そう決意して、わたしは苦しみのたうちまわるルナを真っ直ぐに見据えて、口を開いた。
「――ルナ。わたしの声を聞いて」
「――――」
その瞬間、もがいていたルナの体がピタリと止まり、まるで糸の切れた人形のようにだらんとして顔を俯かせる。
『? 止まった……?』
イシュタルがルナを見てポツリと呟く。
――すると、
メキ……メキ……バキ……バキ……。
「!?」
突如ルナの体から鈍い嫌な音がして、わたしもイシュタルも驚き目を見開く。
「!? ルナッ!!?」
『いけません、リリス様!! 先ほど鎮まった筈の強大な魔力がまたルナから溢れています! 近づくのは危険です!!』
「……っでも、わたし!!」
明らかに様子がおかしいのに見ているだけなんて、そんなのわたしには出来ない……!
『あっ、リリス様!!!』
わたしはイシュタルの静止を振り切って、ルナの元へと駆け寄る。
メキ……メキ……バキ……バキ……。
「ルナ、ルナ! 聞こえる!? 大丈夫!? 苦しいの?」
ルナの体から発する不気味な音に嫌な予感をざわめかせ、それでもわたしはルナに声を掛けてそっとその背に手を伸ばす――が、
――パンッ!!
突然大きな破裂音がして、じんじんと手が痛い。見れば差し出した右手の甲は真っ赤に腫れており、熱を帯びている。
「――――え」
ルナに手を払い除けられたと気づいたのは、それから少ししてからだった。
何が起きたのか未だに飲み込めず呆然としていると、俯いたルナの口からクスクスと笑い声が漏れる。
『ああ、やっぱり。お前もリリスと変わらない。自分が絶対的にルナに受け入れられると信じて疑わない。――本当に、傲慢な女』
「っ!!?」
『その姿は……』
こちらを嘲笑するような笑い声を漏らし、俯いていたルナがゆっくりと顔を上げる。するとそれを見たイシュタルが息を呑み、言葉を失う。
その反応も無理もない。何故なら今のルナの姿は、普段の神々しいまでに美しいものとは大きくかけ離れている、
真っ白な髪からは黒光りした二本の角が生え、手には真っ黒く鋭い爪。更には純白だった大きな両羽根が黒くまだらに変色しており、そのあまりに禍々しい姿は、いつか体育祭の時に夢で見た姿を思い起こさせ、わたしの背筋が震えた。
『ふふふ』
そしてそんな変わり果てた己の姿を確認し、ルナ――夜の魔女はうっそりと笑む。
『流石はルナね。力の全てを掌握するのに、これほどの時間が掛かるなんて……。途中思い出したくもない記憶まで引っ張り出されて気分が悪くなったけれど、でもこれでようやく全てを取り込めたわよ』
「記憶!? それに全てって……」
じゃあさっきからわたしが見てきた記憶は、ルナが力を掌握されまいと夜の魔女に抗っていた時に見えていたってこと!? でもそれなら全てって、まさかルナはもう……。
嫌な想像に身を震わせると、それを見た夜の魔女の視線が真っ直ぐにわたしを捉える。
『ええ、全て。これでもうお前の声は決してルナには届かない。――ここまでよ、リリス・アリスタルフ。魔女を神の神託の通り、神の御使いが討ち取る』
「……っ!!?」
そう夜の魔女が告げた瞬間、先ほどまでとは桁違いの魔力が辺りを支配し、わたしもイシュタルも、更には周囲にいた召喚獣達も動けない。
唯一ルナの体を完全に乗っ取った夜の魔女だけがゆっくりとこちらに近づき、わたしへと手を伸ばす。
『さようなら、リリス』
「――――っ!!」
為す術なく、目をギュッとつぶったその時、
「――いや、討ち取られるのはお前の方だよ。夜の魔女リリス」
『!?』
ルナの口から夜の魔女とは違う、本来の声がわたしの耳に響く。
「……っ」
それにわたしの目からは自然と涙が溢れて、思うままに叫んだ。
「ルナッ!!!」
わたしが呼ぶと、ルナは姿が変貌しても変わらない困ったような笑みを見せ、静かに口を開いた。
「君の声は全部僕に届いていたのに、すぐに君の元へ駆けつけられなくてごめんねリリス。でももう大丈夫。――夜の魔女との因縁は、ここで決着をつける」