【完結】人形小間物師・遊山屋吉兆『鼬と楓の物語』
過去に書き綴ったものです。
ぎやまんのちろりをゆるり、傾けて。
自分の目の前の猫足膳のふた回り小さな猫足膳の上に置かれた、これまたふた回り小さなギヤマンのぐい飲みにそろそろと酒を注いだ。
ぴちょんと、しずくがちろりの先から一雫、落ちればぐい飲みの端からつつーっとこぼれ落ちる。
『おっと、勿体無い勿体無い』
遠くから近くから、聞きなれた声が飛んできたような気がしてうすら、笑った。
『口からお迎えせなばならぬではないかっ!』
「師匠らしい……」
膳の上の己のぐい飲みに酒を注ぎ入れ、習うように口から迎えに行くとするすると波打つ酒の水面をすすり飲んだ彼は、しっかと目の前を見た。
いままで作っていた木目込み人形や日本人形とは違う、西洋は球体関節人形というものを模して作った木彫りに漆と真珠を混ぜた釉薬を使って滑らかに輝かんばかりの艶やかな白い肌の大きな人形は、あの人のちょうど四分の一、そうしてあの人の遺品となった着物を解いて作り直した着物を着せられて、唐紅の煙管を構えて微笑んでいる。
絹糸を染め抜いた亜麻色の艶やかな髪に、水晶と紫水晶を使った目玉は生き生きと輝き、あぁ、生前のあの人のように燃えるように美しいのだ。
「師匠、ようやっと出来上がりましたよ……」
――お前の手で、あたしの……
「あなたの最後の願いでしたね」
着物も全部解いて仕立て直した。
愛用していた煙管も、仕事道具も、机も文箱もちろり、酒壺、盃、箪笥なにもかも。あの人の使っていた道具一式何もかも傷の一つまで忠実に作り上げて。
「師匠」
ことり、膳の上にぐい飲みを置き、膝を揃えて座ると三つ指ついてしっかり、頭を下げた。
「 お待たせして申し訳ございませんでした、ようやっと、ようやっとあなた様を作り終えることができ、そして……」
師匠を超える、稀代の人形小間物師よと、東方、青龍将軍御自らお墨付きをいただいて、自分は今や、押しも押されもせぬ、日本一の人形小間物師となった。
「全てはあなた様のおかげでございます」
冷たい床についた額に、伝い伝って涙が落ちる。
「師匠、死してなお、わっしの師として、親として、わっちを育て、そうして身に余る名を頂くほどの一人前にしていただいて、ほんに、ほんにありがとうございました」
白木の床に、ぽたり、涙の雫が落ちた。
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今年、一等美しい四季の若芽を一本ずつ、庭に植えよう。私の可愛い娘のために、四季が美しい庭にしよう。
大江戸は日本橋、とある大店・老舗呉服問屋のお屋敷の一室。 生まれたばかりの可愛いお嬢様のために設えられたお部屋から望む美しい庭に、若芽が一本ずつ合わせて十二本植えられた。
橙、梅、桃、桜、躑躅、紫陽花、夏椿、百日紅、楓、金木犀、椿に柊。
庭師がやってきては丁寧に丁寧に手入れをし、可愛いお嬢様と一緒にすくすく育つ。
「お姫様、寒いので中に入りましょう、おみかんを向いて差し上げますよ……あら、どうなさったのですか?」
「ばぁや」
庭の隅、楓の木下でしゃがみこむお嬢様は白魚のように白くて細い指を指し示した。
「何かいるの」
「まぁま、かあいらしい」
木の根元を覗き込むと、ぼんやり浮かぶ小さな小さな真白い人型がたっていて、それを見たばぁやはうんうん、うなづくとお嬢さんを抱き上げる。
「これは楓の木霊ですよ。きっと、この楓の親木は名のある大樹だったのでしょうねぇ。しっかと魂を持ってこの木に生まれたようですよ。お姫様の為に随分と奮発なさったんですねぇ……」
「そうなの?」
「お父様はお姫様が大切で大切でしようがないんですよ、もちろん。ばぁやもお姫様がたいせつですよ」
頬を寄せられ、きゃーっと嬉しそうに声を上げる少女を、まだ色のない目の虚で木霊は見つめていた。
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「まぁ綺麗!」
ぽん、と、少女は手を叩いた。
「なんて綺麗な若葉色!」
くるり、くるりと楓の木の元で.栗色の髪を桃山に結ったのお嬢さんは声をあげた。
小さな頃はただのぼんやり白いのだった木霊は、すっかり人型を取るようになっていて、初めてあったときからずっと話し相手よと一方的にお話をしていたお嬢様はそっと木霊に手を伸ばした。
「もう話せるかしら。あなた、お名前は?」
そっと手を伸ばし、お嬢さんの指に手を乗せた木霊はこてん、と首をかしげる。
「あぁ、まだお話はできないのね」
にっこり笑い、そしてため息。
「あなたはいいわね、なんの縛りもないんだもの……また、私の意見は聞いてもらえない……」
遠くで、声が聞こえる。
「またばぁやが呼んでる。お稽古事の時間なんだわ……私にだって本当にやりたいことがあるのに……お稽古、お稽古、お稽古…もう嫌っ!うんざりよっ!……いつか……いつか必ず」
もう一度大きな声が聞こえると、大きなため息一つ。ついっと、二つの手が離れた。
「またね、楓ちゃん……」
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その日は嵐。
轟く雷鳴。
間近に叩き落ちた音と赤く染まった雪見障子に寒気を感じ、かざり簪を揺らしてお嬢様は障子を叩き開けた。
落ちた雷獣が高い塀を飛んで逃げてく中、共に育ったあの楓の木が、落ちた雷獣の一撃で身を裂き火を吹いていた。
「楓がっ!」
ばぁやが止める声も聞かずに、座布団を抱えて足袋のまま飛び出す。
「駄目!駄目よ!!」
ぱぁん!
着物を焦がすのも気にせず、座布団で火を叩き消そうとする。
「駄目よ!駄目!」
あぁ、悲鳴が、鳴き声が。
私の愛した楓の木霊が。
「駄目よ!絶対に駄目!」
絶対に駄目なのだ。
「私の友達が!」
「どきなさい!」
父親の声にお嬢様が身を振り返すと、縁側の父親が人型を解いて生来の妖の姿である大鼬に戻ると、尾を叩きつけ、息を吸う。
ひぃよっ!
かまいたちのように風が吹き楓の身を焼く炎を一瞬でかき消した。
焼けた楓の木の真ん中からねじり切るように吹き飛ばして。
「あの楓は駄目だ。危ないから明日、掘り返してしまいなさい」
人型に戻り、そばにいた番頭に吐き捨てるように言うと、雨に打たれて呆然としている娘に視線をやる。
「お前はこの店の大事な娘のくせに何をやっておるのだ。 たかが木一本に、友達などと馬鹿馬鹿しい! 早く部屋に入りなさい!」
そう言って、父親は去っていく。
後に残ったお嬢様は、砕けた楓の木に寄った。
「……許さない……」
土砂降りの雨の中、ばぁやが慌てて駆け寄るのも突っぱねて楓の木の元に座り込んだ。
「駄目、死んではだめ……だめよ……」
身の半分を焼き、折れて倒れた木によたれかかる木霊をそっと抱き寄せた。
「お姫様!」
庭に悲鳴が上がった。
「お姫様、なにをなさっておられるんですか!」
「お父様に言っておいて」
がらんと、何か大きなものを引きずる音がした。燃えた楓のまだ生きているのに切られた幹。
「もう二度と、私は言うことを聞かないと」
「お姫様?!」
引きずったまま部屋に切られた幹を引きずりこむと、心配したばぁやの鼻っ面の前で障子を叩き締め、心棒をかけて障子が開かないようにした。
楓色の着物の上に幹を置くと着物を端折って押入れの奥に隠していた道具箱を取り出した。
カァン!
高い音が一つ、外からの名を呼ぶ雑音を消す合図となり、三日三晩鳴り響き。
四日目の朝、お姫様は財布の中身と楓の芯のあたりと我が身以外の身の回りのものすべて残して、部屋から消え失せていた。
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遠くに沢山の女の黄色い声、反響する音、痛む頭。
「なんだい、うるっさいねぇ……あぁ、もう朝かぃ」
小鉱石川は長屋の井戸端では、今日も近所の女たちの朝の井戸端会議の大声が聞こえ、そうか朝かと眼を覚まし、身を起こすとそばにあった酒瓶を傾けた。
そろそろと一雫、口の中に落ちてゆく。
「あれ? あれれ?」
酒瓶の中を覗き込む。
「おぉい、吉ちゃん」
眉尻を下げ、泣きそうな声を土間に向かってあげる。
「酒瓶の中身がないだよぅ」
「おはようございます、師匠。迎え酒ですか? 昨夜、納品祝いだって全部飲んじまったじゃないですか」
ひょこり、破れ障子を開けて部屋の奥を見る。
「お忘れになったんですか?」
「忘れちまったし、師匠っていうなぃ」
「そいじゃぁ、いいますがね。昨夜わっしが湯屋からかえってきてみたら、お嬢さんは空の酒瓶抱いて寝てたんですよ」
「……お嬢さんなんて虫酸がはしらぃ、やめとくれ」
長い髪を適当に簪で止めただけの頭をぼりぼりとかいて大きなため息ひとつ。
「あぁ、でもそうか、飲んじまったのか、そりゃ寂しいねぇ、わっしのお口が寂しいねぇ……吉ちゃん、お酒がないんだよぅ」
「飲んだもんはしょうがないじゃないですか……」
もひとつため息。
「どうしますか? 今から買ってきましょうか? それともお急ぎになるんならご近所からもらってきましょうか?」
「……ん~そうだねぇ」
ぼりぼり頭をかき、こちらもため息。
「わっしのお口は寂しいけれど、新しい仕事も始めなきゃいけないしねぇ……夜までやめとこうかねぇ……」
「でしたらこっちをどうぞ」
盆の上に乗せたのはしじみ汁と味噌を塗ったおにぎり。
「おぉ! いいねぇ! しじみ汁に味噌握り、私の大好物だ!」
「たんと食って、仕事頑張ってくださいね」
「おう!」
わしっと握り飯をそのままつかみ、碗を掴んで味噌汁をすする。
「あー!美味いねぇ!わっしはいい弟子を持ったねぇ! うまい飯ってのは、極楽だねぇ」
「あぁ……わっしが動けるようになるまで、そりゃこの家の有様は、酷いもんでしたもんねぇ……」
「万兆さんは、お持ちのすべての徳を小間物作りに取られちまってんですからしょうがないってもんですよ」
「村木屋の番頭さん」
急に飛んできた声に二人が振り返ると、玄関口に一人鯔背な若い衆。
「気づかずに申し訳ありません、今片付けますので、どうぞお入りくださいませ」
「あぁ、気遣いは無用ですよ、吉兆さん」
頭を下げて、とりあえず足の踏み場と座布団を、と、片付け始めた若葉色の髪の少年に村木屋の番頭と呼ばれた若い衆は笑った。
「お品のお代をお届けに参っただけでございます。こちらがお代と、それからうちの主人から亥の子餅です」
「ありがとう存じ上げます」
土産包と金子を受け取り、きちんと感情をしてからもう一度、頭を下げる。
「お代は確かに受け取りました。いま、お茶をお入れしますね」
ぺこり、頭を下げて土間へ下がった若葉色の髪の吉兆を見送った村木屋の番頭は、座布団に座るとひとえに細帯を締めただけの万兆にひとつ、頭を下げた。
「万兆さん、此度もまた大変素晴らしいお品でありがとう存じます。それから当店の主人から、前回収めていただいた雛揃えを三組ほどまた頼めるかと依頼がございます。急ぎ仕事になりますので、お代はそれなりに」
「それはそれは、ありがとうござんす。三揃えでしたら節分までかかるとは思いますが、お受けいたしますよ」
「それで結構でございます」
もう一度、頭を下げてあげたところで彼は口を開いた。
「ところでお涼ちゃん」
汁椀を傾けていた手が止まる。
「お涼ちゃんは、いつまでこんな生活続るつもりだい?」
「なんだい、藪から棒に」
盆の上に碗を置き、残った味噌握りを口の中に放り込むと、もぐもぐごっくん、飲み込んで指についた味噌をなめとった。
「わっしは死ぬまで人形小間物師・遊山屋万兆。それ以上でもそれ以下でもざんせんよ」
「しかし……信濃屋さんはまだ、ずっと、お涼ちゃんをお探しになってらっしゃるよ」
「信濃屋なんてそんな大店、わっしにはご縁がないねぇ」
煙管盆を袂に引き寄せ、ぎゅぎゅっと煙草葉を突っ込んで火を寄せる。
「外に出るのに困らねぇ着物が夏冬1着と、褞袍と半纏。食うに困らないだけの飯とこの仕事場と道具。そいから吉兆だけいてくれりゃぁ、わっしは十分果報もんだね」
「お涼ちゃん」
「あの雷雨の日に」
力一杯吸い込んだ煙草の煙を吐き出す。
「信濃屋お涼は一緒に育った楓の木と共に雷に当たって死んだんだ。三途の川で生まれ変わったわっしは、吉兆と10年、ようやっとここにいても仕事が舞い込むほどに腕も成り立った。最近はご近所の坊が教えを乞いにやってきてくるし、身の回りの事は吉兆が全部やってくれる。これ以上のぞむもんはなんにもないねぇ」
「お涼ちゃん」
「大ちゃんも、万小間物屋の村木屋さんのお嬢さんと縁談があるんだろう? 村木屋の旦那になるんだ、精一杯頑張んなよ」
ぽん、と煙管を叩いて火種を捨てると、作業机の上の小箪笥から何やら引っ張り出してきた。
「ほら、結婚祝い」
手のひらには鼬と狢が天に向かって絡み合う見事な細工の根付がひとっつ。
「幼馴染の門出だ、人形小間物師・遊山屋万兆が渾身の作ってやつだから、受け取っておくれ」
紫水晶のような瞳を嬉しそうに細めて笑う。
「幸せになんな」
「おいらは……」
項垂れた村木屋番頭は、根付を握りしめて絞り出すように唸るようにか細く言った。
「おいらは、ずっと、まだ下げ髪の頃から、今だってずっと、お涼ちゃんと一緒になりたかったんだよ……」
「すまないね……」
ゆるり、紫煙が揺れた。
亥の子餅と茶を盆に乗せたまま、吉兆は息を潜めていることしかできなかった。
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「師匠?」
朱塗りの盆の上には、柔らかな湯気を立てる白湯と猫の手じるしの薬包紙。
「お薬の時間ですよ」
「……あぁ、飲みたくないねぇ」
鏨と木槌を横に置き、はぁ、とひとつため息。
「わっしのかわりに飲んでおくれじゃないかい? 吉兆」
「いやですよ」
あぁ、やだやだとごねる師匠のそばにそっと盆を差し出すと、薬包紙を開いてさらさらと口の中へ。そうして白湯をのみ下す。
「はい、こちらはお口直し」
「紅葉饅頭か」
ふふっと笑って受け取った。
「こりゃ口家宝だねぇ」
嬉しそうに口に入れると、ゆるゆる噛んで飲み込んで……ひきつるような咳をする。
「師匠!」
慌てて背をさすると、あぁいい、大丈夫だよとでもいうように、空いた手をひらひらをふる。
「だめですよ、お白湯をどうぞ、少し横になりますか?」
「……心配性だねぇお前は……」
口元を隠したまま懐紙で拭い、覆っていた手もぬぐいとってくずかごに放り込むとにこり、笑った。
「あぁ、でもそうだねぇ……お受けしていた最後のお品もようやく出来上がったし、少し横になろうか」
「それがいいですよ。あちらの品はわっちが磨いてからお届けしておきますね」
「たのんだよ」
ふふっと笑い、ふらつく体を支えられて立ち上がる。
「お前は本に、気のつく良い弟子だねぇ」
「長いお付き合いですからね」
「違いない」
弟子の手を借り分厚い真綿布団に入ると、少し、息を吐いた。
「師匠、宗龍先生をお呼びしましょうか?」
「大丈夫さ、寝てりゃよくなるんだ。わっしみたいなもんのためにお足を運んで頂くのは申し訳ないさ」
ふふっと、笑う。
「お前はあいも変わらず心配性だねえ」
「そりゃそうです、粥を煮ればふのりになる、海苔を焼けば消し炭になる、酒を飲んだら溝にはまる……そんな師匠のお側にずっといたんですからね」
「最初は喋れもしなかったのに、口も達者になったねぇ」
「……当たり前です」
視線の隅は、見て見ぬ振りをしている、くずかごのなかの赤く染まった懐紙。
ふっくら真珠色だった肌は、青白く痩せこけて。
若い頃のツケが来た。
酒と、煙草と、それから貧困。
大店のお嬢様だった人が市井に身を置き弱っていた期間に肺に病を得ていたといわれた。
「無理な生活をなさったばかりに……」
「お前のせいじゃないよ」
弟子の顔を見て、あぁ、まだあの日のことを気に病んでいるのかと、困ったように笑う。
「あの時、雷獣が落ちなくても、近くわっしはあの息の詰まる家をつもりだったんだ。それが早まっただけだったし、それに、お前と一緒に旅立てて幸せだったんだよ」
病のついたあの人は、日に日に痩せて行くのが見えた。それでも、紫水晶のような瞳だけはあの日のままに美しく輝いている。
「しかしねぇ、わっしはもう、長くないねぇ……」
ふふっともう一度笑い、そっと手を伸ばす。
「あの日のようだ」
伸ばされた手を取った吉兆に、万兆は笑う。
「お前と初めて手をつないだあの日のようだねぇ、嬉しいねぇ」
虚のような瞳が、髪が、夏は鮮やかな若葉色、秋は燃える唐紅に染まり、本当にお前は楓なのだねと嬉しかったのだと、うわ言のように繰り返す。
「お前の、唐紅の瞳を見るのがわっしはとてもすきでねぇ……あの日、おまいが燃えた日に、どうしたらおまいが死なずに済むか考えた……」
まだ瑞々しい芯を取り出したが、それではダメだとすぐわかった。
だから、根元に残っていたわずかな若枝を綺麗に切ると、急いで、聞いていた日光は赤天宮のご神木である親樹のそばに継いだのだ。
「お陰でお前は消えずに私の側にいてくれた、生き筋を変えたわっちを師匠と呼んで側にいてくれて、小間物師の後まで継いでくれた……」
はぁ、っと、深く息を吐いた。
「ありがとう、吉兆……いいや」
ぎゅうっと、手を握る。
「楓、私の楓……生涯、わっちの側にいてくれてありがとう」
「師匠」
「嬉しかったんだよ……だから」
布団の中から、己の袂から、紫色のお守りを出した。
「頼みがある」
「師匠?」
「わっしを、お前の手で作っておくれ」
そっと、渡されたお守り袋。
「中に、わっちの庭のあの日の楓の芯がある」
開ければころんと転がりでる荒い木彫りのお地蔵様。
「それを芯にして、わっちの人形を。身の回りのものも全て人形に合わせて作って、この仕事に誇りを持って死に逝くわっちを精一杯弔っておくれ」
「そんな、縁起でもないっ!」
「吉兆」
布団から起き出し、きちり座るとしっかと唐紅の瞳を紫水晶の瞳で見据えていった。
「わっちからの……遊山屋万兆からの弟子のお前に対する最後の試練だ。 何年かかってもいい、わっちと、わっちの身の回りのものを傷一つ違わず作り終える。そうすりゃお前は一人前の人形小間物師さね」
「師匠……」
「そいから……」
ふと、瞳の色が和らいだ。
「わっちが生まれてよりずっと、共にあり、共に生きてくれてありがとう、我が友よ」
すっと、指を揃え、ゆっくりと頭を下げた。
「ずっと共にいてくれたお前を置いて、先に逝くわっちを、どうぞ許しておくれ……」
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「お父様もお母様も、大変泣いておられましたよ、師匠」
あのまま、吉兆にもたれかかるようにして師匠は息を引き取った。
最後のお別れだけはと村木屋の若主人が手配してくれ、近くの赤天宮で行われた盛大な葬儀にやって来た彼らには、自分は小間物師の弟子であり、燃えるような生き様であり、美しい死に様をみせた立派な師匠でありました、とだけ伝え、彼女の髪の一束を編んで作った飾り紐を形見として渡した。
酒好きの師匠にふさわしい、酒が空舞う葬儀も終わり、初七日も終えて一人残されたこの長屋で、吉兆は片付けを始めた。
着物や小物は全て綺麗にし、柳行李にいれた。
もちろん、腕が上がった時に仕立て直すように、だ。
いろんな仕事を受け、その合間合間に寝食を忘れて師匠の持ち物を小さく作り直していった。
最初は筆や硯。
着物は繕い方を呉服屋に学び、しっかと腕をつけてから仕立て直し始めた。
少しずつ、少しずつ。
そうして、師匠の望み通りあの地蔵を芯地に嵌め込めるように丹念に人形を彫り始め……。
今朝、ようやくそれは出来上がった。
出来上がればそれは見事な、間違いなく遊山屋吉兆最高傑作と言われるものとなった。
「師匠、本当に本当に、ありがとうございました。」
『あぁ、やだやだ!知ってんだろう、あたしはそういうのが一等苦手なんだよ!』
「あなたとの最後に習ったんですよ……本当にお嬢様だったんですね」
顔を上げ、涙だらけの額やら頬やらを着物の袖口で拭う。
「そのお姿、どうですか? だいぶんにそっくりだと褒めていただいたんですけどね」
『なんだい、その情けない顔は! あぁ、上出来だよ、自信を持ちな!』
高らかに高らかに、窓から入ってきた赤く染まった楓の葉に絡みまとうような、華やかで鮮やかな師匠の声が心の内を駆け抜けていく。
『あんたは私の自慢の弟子だ、胸はって生きていきな! ほら、お天道さんはこんなにも高くて、今日も平和じゃないか!』
どん、と、背を叩かれた気がして、しっかと窓越しに空を見上げた。
「はい、師匠」
お江戸はあっぱれ雲ひとつない青く高い、穏やかな秋の空。
小春日和の江戸城のお庭では、唐紅の楓葉の布団のなか、小さな鼬がすやすやと寝息を立てる昼下がり、である。




