ボクシングとは修羅道を体現したスポーツだ
ボクシングとは修羅道を体現したスポーツだ
自分に厳しく
他人にも厳しい
その拳は強者のためだけに振るうことが許されている
その道は人の道に劣るはずなのにそれをよしとして相手を倒す事だけを考える
マットに沈んだ者は修羅としての失格のカウントダウンが始まる
もちろんマットに沈んだ者へ拳を振るうことは許されない それは畜生の道だからだ
マットに十秒以上沈んだ者は修羅の世界から追い出される
マットから這い上がって逆襲する時が修羅にとって最上の悦びだ
ノックアウトされた者も修羅の世界から追い出される
修羅にとって最大の屈辱はタオルを投げられて「お前は修羅として失格」と身内から宣告されることだ
この西洋のスポーツは偶然か必然か分からないが
大乗仏教の修羅道を体現してるのだ
だからつらく苦しい減量トレーニングにも耐え抜く
ただただ相手に勝つためだけにだ
一瞬だけチャンピョンベルトを手にする修羅が居る
修羅の中でも特に強者の奴だ
次、指名試合が課せられマットに沈むのはお前なのに
仮に勝ち続けても引退という敗北が待ってる
そんな修羅はほとんどいないが仮に居たとしても
そのベルトは返却を余儀なくされる
修羅の道は必敗の道でもある
互角判定も許されない
少しでも時間内に勝った奴が勝利判定をもらえるのだ 負け判定を食らった奴も修羅界から追い出される
そんな苦難に満ちた天でも人でもない道を選んだが
それでも俺はこの道に進むしかないと飢えた目を光らせる
敗北の二文字を食らっても納得出来ない者は次の修羅に挑戦するのだ
唇をくっとかみしめる 敗北など認めるものか 己は修羅なのだ
なのに……
己がキャンバスに沈めた修羅をいつしか憐みの眼で見るようになった
あいつは明日の俺だ なのになんで戦うんだ
いつかは己も修羅界を追い出されるのに
やがて「仏」からこう言われるのだ
その拳は弱者のために振るいなさいと
修羅はこの時初めて気が付く
真の勝利とは対戦相手に勝つことではないのだと 真の勝利を掴む修羅になれと
悟りを得た修羅は第二の修羅道を歩む
だから修羅は仏の教えを説いたものに感謝の意を表すべく合掌印を結ぶのだ
引退してからの戦いの方が長い
俺の戦いはこれからだ
1:修羅道
南伝仏教では六道説は認めませんが大乗仏教(北伝仏教)では六道説による輪廻の一つの世界で三善道の世界です。ですが人間界よりも苦しく、その苦しみは己が原因とされています。何も戦・バトルが好きな人だけが行く来世とは限らず闘争心に満ちた者が行く世となっております。
2:指名試合
チャンピョンに課せられた試合。一定期間内に誰か相手を指名する義務を負う。指名されたものは指名挑戦者となる。
3:阿修羅が結ぶ合掌印の意味
合掌印は相手への感謝だけでなく相手に害意が無いことを示します。つまり多くの阿修羅像が合掌印を結ぶのは単に仏への感謝だけでなく仏に帰依した者には害さないという意味であり、仏教の守護神として生まれ変わったことを意味します。