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ブラックな聖女『終わっことは仕方がないという言葉を考えた者は天才ですね』  作者: ヨシムラ


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98 聖女のコスプレイヤー

ラグナロク領域へ足を踏み入れてから、すでに3時間が経過していた。

時間の感覚は曖昧になりつつあるものの、旗艦ポラリスの甲板に満ちる空気が、その経過を否応なく実感させてくる。


甲板上では、魔導の精霊たちがひらひらと舞っていた。

羽虫のように軽やかで、けれど確かな意思を宿した存在たちが、淡く震える色とりどりの光を散らしながら、ふわり、ふわりと宙を漂っている。その光が船体の金属や木目に反射し、かすかな揺らめきを生み出していた。


視界の先は、濃密な闇。

境界も奥行きも判別できない黒が、海と空の区別すら呑み込んで、際限なく広がっている。闇そのものがこちらを観測しているかのような、そんな錯覚すら覚えるほどだった。


その闇の中――

ポラリスの船底に取り付けられたソナーが捉えた反応が、ようやく肉眼でも確認できる距離まで近づいてきていた。


「浮島」

闇の海に浮かぶ異物が、ぼんやりと、しかし確実に輪郭を持ち始めている。


「三華月様。現在、ポラリスは潮の流れに乗り、前方の浮島へ向けて5ノットで航行中です」


落ち着いた報告が耳に届く。

私はそのまま視線を前方に据え、闇に滲む影を凝視した。


「ここから見える限り……あの浮島、どうも、いろいろなガラクタを継ぎ接ぎして造ったように見えるのだけれど」


「はい。流れ着いた物質を継ぎ足して成形しているようです」


「かなり心もとない見た目ですが……。ポラリスがそのまま接岸しても大丈夫でしょうか」


「接岸は危険かと推測します。ここから50m手前で碇を下ろし、タグボートで上陸されるのが妥当かと進言いたします」


やはり、というべきか。

暗い海面を切り裂くように進むにつれ、浮島の姿はじわじわと実体を伴って迫ってくる。


厚い雲が空を覆い尽くし、わずかな星明かりすら遮断しているため、周囲はほとんど完全な闇に沈んでいた。

その中で、魔導灯のか細い光だけが、海と浮島の境界を頼りなげに照らし出している。


島の全長は、おそらく50mほど。

数字にすれば大したことはない。……ものの、実際に目にした印象はまるで違った。


それは「大きさ」ではない。

島そのものが放つ、今にも軋み、崩れ落ちそうな危うさ。

その感覚が、視覚を通して心に直接突き刺さってくる。


巨大ないかだの上には、無造作に敷き詰められた鉄板。

波に揉まれ、歪み、ところどころが不自然に盛り上がっている。その上に、拾い集めたガラクタで急ごしらえされた小屋のような建造物が、まるで積み木遊びの末期のような、不安定極まりないバランスで並んでいた。


潮風が吹くたび、

カラ……カラカラ……

鉄屑同士が擦れ合う、乾いた音が島全体から響く。


――これ、本当に浮いていられるの?


一つ倒れれば、連鎖的に崩れ落ち、そのまま島ごと海底に沈んでしまうのではないか。そんな想像が、否応なく脳裏をよぎる。

どう考えても、いかだの浮力だけで支えられる重量ではない。


そして――

浮島の上には、びっしりと人影が密集していた。


最初は、低く唸るような波音に紛れて、何かがざわついている程度にしか聞こえなかった。

だが、距離が縮まるにつれ、そのざわめきは、確かな歓声へと変わっていく。


ボロボロの服をまとった人々が、こちらに向かって必死に腕を振っている。

その数、軽く300は超えているだろう。


初めて目にする顔ぶれだが、表情、体格、痩せ細った身体つきを見れば、一目で分かる。

彼らは、地上世界からこの領域へ迷い込んだ遭難者たちだ。


「三華月様。あの浮島にいる者たちは、《《我々と同様に》》ラグナロク領域に迷い込んでしまった遭難者達と見て間違いないかと」


「聖女として、助けを求められれば無視なんてできないでしょう。全員をポラリスに乗せ、地上世界へ帰還させましょう」


そう即断する。

……とはいうものの、ペンギンの言い方には、少しばかり引っかかりがあった。


《《我々と同様に迷い込んだ》》

しかし、真実は違う。


迷い込んだのではない。

あなた自身が、新航路を発見し、その気になって、自ら飛び込んでしまったのだ。


だが、この結果として多くの遭難者を救えるのであれば、事実の微妙な書き換えなど、今さら声高に指摘するのも野暮というものだろう。


ポラリスがさらに接近すると、どうやら私の姿に気づいたらしい。

十字架の意匠を刻んだ聖衣をまとった私を見つけた瞬間、浮島全体が、爆発したかのような反応を示した。


「あれを見ろ! 聖女様だ!」


「聖女様が助けに来てくださったぞ!」


「こんな場所に聖女様が……本当に信じられない……!」


「うぉぉぉぉぉぉ!!」


耳をつんざく歓声。

まったくもって、どこの世界でも、鬼可愛い聖女という存在は驚くほどの人気を誇るらしい。


私の背後に後光でも差しているのかしら、などと一瞬考え込む。

しかし、群衆の瞳の輝き、こちらを一心に見据えるその熱量を目の当たりにすると、彼らは本気で、私を“救いの象徴”だと信じ切っているように見えた。


その熱気が、甲板の木目を伝い、じわりと肌に触れるかのように押し寄せてくる中――

私を抱えていたペンギンが、わずかに眉を寄せ、声を低く落とした。


「三華月様。これは少々、まずい事態に陥っているのかもしれませんよ」


「え? まずい事態って、どういうことなのかしら」


「彼等彼女達は、三華月様を“慈愛に満ちた聖女”と固く信じて疑っていない様子なのです」


「実際に私は聖女だし、可憐で清らかで慈愛に満ちた容姿をしているのだから、当然な反応ではありませんか」


「……確かに。世界最高の鑑定眼をもってしても、三華月様の“残虐無比な性格”までは読み取れないでしょう」


あっさりと“残虐無比”と断言されたものの、今さら否定する気にもならない。

実際、あの死霊(アンデッド)王の『千里眼』ですら、私の身体に刻まれた信仰心の武装を突破できず、ステータスを読み取れなかったのだ。

外見だけで判断すれば、私は「完全無欠の鬼可愛い聖女」にしか見えないだろう。


……ものの。

ペンギンが繰り返す『まずい事態』という言葉が、どうにも胸の奥でざわついていた。


私はそっと、腕の中から彼を降ろし、甲板の板の上に置く。

コト、と小さな音を立てて着地したペンギンは、肩をすくめ、やれやれといった仕草を見せながら、とことこと歩き出し――


ふぅ……と、盛大にため息を吐き出した。


「三華月様。どうやら“まずい事態に陥っている”という自覚が、まったくないのではありませんか」


これは警告などという生易しいものではない。

退路はすでに断たれているのだと、逃げ場は存在しないのだと、淡々と、しかし確実に告げる圧力だった。


「はい。その“まずい事態”について、ご教授いただけますと助かります」


ペンギンは小さく、はあ、と息を吐いた。

そして翼を伸ばし、遥か下方――浮かぶ島を指し示す。


そこには、木材と帆布を無理やり継ぎ合わせたような、かろうじて形を保っている小さな村があった。風にさらされ、今にも壊れそうな家々。寄せ集めの防柵。か細い灯り。


「彼等の気持ちを、考えてみてください。地上世界から迷い込み、何とか生き延びている漂流者達が、聖女様に期待するもの。それは、S級相当の魔物やドラゴン級のクラーケンを討伐することではありません」


柔らかな口調のまま、言葉は正確に、鋭く胸の奥を突いてくる。

避けようのない場所へ、狙い澄ました針を一本ずつ刺されている感覚だった。


「確かに……ここから見ても、怪我人や病人が多そうですし。彼等が聖女に求めるのは、回復や治癒……その力、ですよね」


口にした瞬間、ようやく事態の重さが実感として落ちてきた。

ずしり、と胃の底へ沈み込み、逃げ場のない現実としてのしかかる。


「三華月様は、一般的な聖女が行う回復・治癒を施すことは出来ませんよね」


「はい。回復も治癒も出来ません。何せ私は、スーパーヒロイン系の聖女ですから」


胸を少し張って言ってみる。

ものの、ペンギンは完全に無反応だった。返事をしたのは、月光を反射してぴかりと光る羽毛だけである。


「漂流者達から、キラキラした瞳で回復を求められる未来を想像してみてください。その光景は、三華月様にとって――地獄以外の何ものでもない、のではありませんか」


「……確かに。それを想像しただけで、ぞっとします」


背筋に、ぶるり、と寒気が走る。

だが恐れたところで、状況が好転するわけでもない。


「今、三華月様は非常にまずい事態に陥っている。そう、ご理解いただけたのではないでしょうか」


「はい……それでは、私が回復・治癒の力を持たない聖女である事実を、何とか誤魔化す手立てについて、良い案があれば教えていただけませんか」


「いやいや、誤魔化したら駄目でしょう」


「駄目ですか?」


「駄目です!」


即答だった。

正論である。正しい。正しいがゆえに、胸の奥がじん、と痛んだ。


ふと視線を落とすと、潮風に揺れるペンギンの黒光りする羽毛が、まるで月の欠片のように、きらりと輝いている。

その光に目を奪われ、気付けば口が勝手に動いていた。


「それにしても……話していて思ったのですが。もしかしてペンギンさんも、私と一緒に浮島へ上陸するつもりなのでしょうか」


「もちろん、そのつもりです。三華月様を野放しにしておいたら、信仰心のために良からぬことを考えかねませんから」


なるほど。

これは完全に警戒されている、ということなのか。


「つまり、ペンギンさんは私を見張るために同行される、と」


「はい。漂流者達の安全を守るためです」


「ですが、ペンギンさんが上陸してしまうと、漂流者達に魔物と間違えられる危険はありませんか」


「何ですか、その面白くない冗談は。この愛玩動物である私が、魔物と間違えられるはずなどありません。信仰心のためなら世界を滅ぼしかねない、どこぞの聖女と違い、私は愛されキャラなのですよ!」


「そもそもペンギンは、古代種の生物を模写した動物で、現代世界には存在しない生物ですし。それに……その目つき。辺り構わずセクハラして楽しむ親父みたいではないですか」


――ぴしり。


次の瞬間、空気が音を立てて張り詰めていく。ペンギンの目がクワッと見開かれ、羽毛が逆立つ。体はぷるぷると震え、額には見たこともないほど立派な血管がぼこりと浮かび上がった。周囲の空気が、ビリビリとしびれる。


怒気が膨らんでいくのを、肌で、骨で、全身で感じる。


――あ、これは完全にブチ切れる流れ、なのだろう。


案の定、ペンギンは翼を大きく広げ、甲板に響き渡る声で叫んできた。


「私は三華月様と違って愛されキャラなのです! 何度も言わせてもらいますが、どこぞの凶悪聖女と一緒にしないでください!」


「鬼可愛い聖女の私より愛されキャラだと……それは聞き捨てならない発言ではありませんか」


言い返した瞬間、ペンギンさんの目つきがすっと細まっていく。

余裕たっぷりの、勝ちを確信した笑み。そして、どこから取り出したのか分からない、ふかふかの専用椅子に当然のように腰掛け、脚を組む。


その態度は、あまりにも堂々としていた。


「派手な十字架が刻まれた聖衣を着ている三華月様が――実は、聖女っぽい姿をしているだけの“コスプレイヤー”であると。浮島の者達が知ったら、どれほど落胆するか、想像してみてください!」


「私は“聖女のコスプレイヤー”ではありません」


「回復・治癒が出来ない聖女は、漂流者達にとって――もはやコスプレイヤーでしかないのです!」


胸が、ズキン、と痛んだ。

理解していたはずの事実。それでも、言葉にされると、鋭い棘となって突き刺さってくる。


「……いいでしょう」


息を吸い、言い切る。


「それならば、私とペンギンさん。どちらが真の愛されキャラなのか、勝負する必要がありそうですね」


声は、わずかに震えていた。

とはいうものの、ここで退けば、それこそ本当に負けなのだ。


私は甲板の縁へと歩み出ていく。

ひゅう、と海風が吹き抜け、髪と聖衣を大きく揺らした。


眼下約9m。

波間に揺れるタグボード。急角度で伸びる鉄骨の階段が、夜の微光を受けて青白く輝いている。


魔道の灯りを司る精霊たちが、ふわり、と私の足元へ集まり、階段の段差を優しく照らした。旅をともにしてきた彼らの光は、いつだって心強い。


私はペンギンさんを両腕で抱き上げ、胸元にぎゅっと引き寄せ、タラップへと、ゆっくり、しかし確かな一歩を踏み出した。

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