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ブラックな聖女『終わっことは仕方がないという言葉を考えた者は天才ですね』  作者: ヨシムラ


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97 あなたはパーティーの首候補

空は、分厚い鉄板を何層にも重ねたかのような雲に完全に覆われ、月明かりですら噛み砕かれ、丸呑みにされた深夜であった。

光の存在を拒むかのような暗黒が、ぬるりと粘性を帯びて世界を包み込み、甲板を巡回する魔導精霊の淡い光輪だけが、かろうじて船上の一角を照らしている。


4本の巨大なマストに吊られた帆は、風という存在を完全に失い、しおれた布切れのように力なく垂れ下がっていた。湿気は重く、空気そのものが肌にまとわりつき、じっとしているだけで汗が背筋を伝ってくる。喉の奥には、海水にも似た苦味が鈍く残り、何度唾を飲み込んでも消えない。


この停滞感。

この、息苦しいほどの静けさ。

何かが来る。その前触れであるような、不吉な確信が胸の奥でじわじわと膨らんでいく。


帝国旗艦ポラリス。

全長300mを誇るその巨躯は、最古のAIにして参賢者の一角――ペンギンの操舵によって、古文書に赤字でこう記された海域へと、じわり、じわりと引きずられていた。


〈最も危険な領域〉――ラグナロク領域。


風はない。

だが、潮だけが確かな意志を持つかのように船体を押し込み、前進しているはずの船は、進むというより沈み込んでいる感覚すらあった。金属製の甲板にまで、その重苦しい圧が染み込み、足裏からじっとりと伝わってくる。


この海域の遥か深く――常闇の底には、伝説級の怪物クラーケン達がうごめいている。

一度は退けた。確かに退けはした。だが、彼らが完全に去ったという保証など、どこにも存在しない。


むしろ、海面から漂う気配は濃さを増し、黒い海は粘度を帯び、確実に“何か”を孕んでいる。

私は操舵輪近くに立つペンギンと肩を並べ、船首の先に広がる奈落の闇を、息を詰めるようにして見つめていた。


――と、その緊張感を真っ二つに切り裂くように。


ペンギンが、突然、胸を張ると、なぜか妙に決めた表情で、声を弾ませてきた。


「三華月様。我々のパーティー名について考えてみたのですが、『無敵艦隊』など、いかがでしょうか」


「はい、ピッタリだと思います」


……なぜ即答したのだ、私は。


そんな極限の状況で、この生意気で呑気な提案だけが、まるで浮き輪のように、ふわりと場違いに浮かんでいる気がしてならない。


私とペンギンの2人しかいない“パーティー”である。現状で彼を純粋な戦力として数えるのは、どう考えても難しい。

つまり……あなたは、真っ先に首が飛ぶ候補ではなかろうか。


そんな不謹慎な冗談が頭をよぎる程度には、まだ余裕があるらしい。

だからこそ思う。この暗黒潮と粘つく海霧から抜け出す策を、ひとつでも提示してほしいものである。


ふと、脳裏に蘇る光景があった。

第96話での戦闘。

あのとき、漆黒の深海から忍び寄るクラーケンの気配を、誰よりも早く察知したのは――ペンギンだった。


どうやって、あの深海の闇を視通していたのかしら。


今も厚い雲が月を覆い隠し、甲板を照らすのは弱々しい魔導灯だけ。光は海面のさざ波すら曖昧に霞ませるほど頼りない。

私ですらスキル【真眼】を起動しなければ、影の輪郭を捉えることは難しいはずである。

にも関わらず――なぜ彼は、あの時、気付けたのか。


「ペンギンさん。少し伺いたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」


「もちろんです。プライベートな質問はNGですが、それ以外でしたら何なりと」


なぜ、そんな得意げなのだろう。

わざわざ“地雷はここです”と提示してくるあたり、逆に踏めと言っているようにしか思えない。


私の表情を読んだのか、ペンギンが諭すように口を挟んできた。


「三華月様。いくらパーティーメンバーとはいえ、プライベートに踏み込むのはマナー違反というものです」


「そうですね。残念ながら、その質問は控えることに致します」


「他にも聞きたいことがありましたら、お答えいたしますが」


「ありがとうございます。伺いたいのは、海中の状況をどのように把握しているのか、という点です」


「海中の状況、ですか」


「クラーケン達の動きを、かなり細かく捕捉していたようですが、何らかの装置、あるいは感知手段で、海中の動きを読み取っているのでしょうか」


ペンギンは、くいっと翼を上げ、謎の自信に満ちた笑みを浮かべてきた。


「ふっ。そこに気付くとは、さすが三華月様」


胸をどん、と張り、くちばしの端をつり上げるその様は、得意満面という言葉がこれ以上なく似合っていた。

荒れ始めた海がどん、と船底を叩き、冷たい潮風が髪を揺らすこの緊迫した時間帯に、彼のそのはしゃぎぶりだけが、どうにも場違いに感じられる。気のせい、ではないだろう。


短い翼を斜めへ突き上げる。

その瞬間――ふわり、と。


彼の指し示す空間に、青白い光が立ち上がった。

立体フォログラムがゆっくりと形を成し、宙に描き出されるのは、帝国旗艦ポラリスの巨大な船体模型。静かに回転するその姿は、冷たい人工素材の匂いすら想起させ、照り返す光が甲板に淡い影を落としていく。


やがて、船底付近に、強い光の矢印が浮かび上がった。

まるで「ここだ」と、はっきり主張するかのように。


「三華月様。矢印が指している部分をご覧ください」


視線を向けた瞬間、脳裏に記憶の波が押し寄せる。

世界の記憶アーカイブ。そこに記されていた、古代の技術。海底や魚群の位置を測定する機器――名称は確か、“ソナー”。


もしや。この矢印の先に、それが。


「そういえば、世界の記憶アーカイブには、海底や魚群の位置を計測できる“ソナー”という古代機器が記載されていましたが……もしかして、その矢印部分に実装されているのでしょうか」


「さすがは真眼の所有者にして、世界の記憶『アーカイブ』の管理者であらせられる三華月様」


ペンギンは満足そうに頷いた。


「これはアクティブソナーとパッシブソナー、その両方の機能を備えた優れものなのです。さらに詳しく説明しますと――」


そう切り出したペンギンは、これでもかというほど胸を反らし、短い翼をぴしりと体側に揃えた。丸い瞳はきらきらと輝き、嘴の端は誇らしげに持ち上がっている。どうやら完全にスイッチが入ってしまったらしい。


次の瞬間から始まったのは、音波が水中をどう伝播し、どの角度で反射し、船体内部のどの構造を通って増幅されるのかという、あまりにも緻密で、あまりにも専門的な解説だった。ぽん、ぽん、と小気味よく言葉が跳ね、時折「ここが重要なのです」とばかりに翼で空中を叩く仕草まで加わる。その全身から溢れ出る高揚感が、説明内容よりも雄弁に彼の喜びを物語っていた。


要点だけを抜き出せば、話は実に単純だ。

旗艦ポラリスの船底には、古代技術によって造られた高度なソナーが密かに設置されている――ただ、それだけの事実である。


とはいうものの、聞き手がいるという状況そのものが、このペンギンを加速させているのだろう。一度走り出した解説は止まる気配を見せない。私はその弾むような声を、ネットサーフィンをするときのように、意識の端に半分だけ引っかけながら流していた。必要そうな単語だけ拾い、あとは心地よい環境音として受け止める、そんな感覚だった。


……だが、そのときだ。


ふと、ある一言が耳の奥に引っかかり、意識が引き戻される。


「ペンギンさん。いま“ポラリスが深海エリアを抜けた”と言っておりましたが、それは危険なゾーンを脱した、ということなのでしょうか」


私がそう問いかけると、ペンギンは一瞬だけ説明を止め、満足そうに頷いた。


「はい。そのように受け取っていただいて結構でございます」


「つまり、いま航行している海域は、クラーケン達が棲んでいる領域ではない……そう判断してもいいのですか」


「はい。現在ポラリスは、水深約50mのプレート地帯を航行しております」


その言葉と同時に、ペンギンの周囲で、ぱちぱちと淡い光の粒子が弾けた。

空気が震え、次の瞬間、海域を立体的に示すフォログラムが立ち上がっていく。視界いっぱいに広がる地形図。なだらかな海底の起伏、プレートの境界線、そして流れる海流を示す線が、青白い光となってゆっくりと脈動していた。


塩気を帯びた冷たい風が、艦内にもかかわらず鼻先を刺す。ごぉ……という低い振動が、床越しにじわりと伝わってきた。船が確かに進んでいるという実感が、足裏から染み上がってくる。


もし月が昇る時間帯であれば、雲を突き破るようにして、上方から攻撃を仕掛けられていたかもしれない……とはいうものの、昼間はそうはいかない。

そして今いるのは、底の浅い安全地帯。少なくとも、クラーケンに襲われる心配はない、ということなのだろうか。


ようやく――ラグナロク領域から脱出する方法を、冷静に考えられるだけの余裕が生まれた。そう理解すべき状況である、のだろう。


「ペンギンさん。この安全な海域にいる間に、ラグナロク領域から脱出可能なルートを見つけて下さい。お願いします」


私の言葉に、ペンギンは間髪入れず、胸を張ってきた。


「三華月様の特級下僕であるこのペンギン。全身全霊で期待にお応えいたします!」


特級下僕……?

そんな肩書き、一体いつ私が与えたのだったか。記憶を探ってみても、まるで心当たりがない。それなのに、いつの間にか勝手にパーティーが結成され、役職まで決められている始末である。


とはいうものの、今さら驚いたところで状況が変わるわけでもない。私の信仰心が揺らぐわけでもなく、放っておけば害もない。それどころか、こうしてご機嫌で働いてくれるのであれば、むしろ助かる場面の方が多いだろう。


「ペンギンさんには、期待しています」


そう告げた瞬間、ペンギンは背筋をぴん、と伸ばし、きびきびとした動作で敬礼してきた。そのあまりの真面目さに、思わず吹き出しそうになる。


「はっ。正確な天候および潮流データを至急収集し、三華月様のご期待に必ずやお応えいたします!」


その声には、揺るぎない決意が込められていた。胸の奥に、小さな安心感が芽生える。こうして見ていると、確かに頼もしい存在なのかもしれない。


「よろしくお願いします」


短くそう返すと、ペンギンはすっと目を細め、先ほどまでの浮かれた表情から一転して、どこか思慮深げな顔つきへと切り替えてきた。


「三華月様。今はその件よりも、もっと気になることがございます」


その一言で、自然と体がぴくりと反応する。

なんとなく、いや、はっきりとした不穏な予感が、胸の奥をざわりと撫でたのだ。


「ん? ペンギンさんのそのフレーズ……96話でクラーケンの群れが押し寄せてきたときに言っていた“くだり”と同じではないですか!」


思わず口を突いて出た。あのときの恐怖と緊張が、まるで昨日のことのように鮮明に蘇ってくる。


「もしかして、嫌な予感……がしちゃいましたか。そこまでではないと思いますので、安心してください」


ペンギンはそう前置きし、少しだけ声の調子を落としていく。


「私が報告したい件とは、ポラリスが進んでいる1km先に、浮島があるようなのです」


「浮島……なのですか」


その言葉だけで、胸の奥がわずかにざわついた。海の上に浮かぶ島。ただそれだけの情報にもかかわらず、拭いきれない胸騒ぎがある。


とはいうものの、浮島が存在する程度で、ペンギンがここまで緊張する理由が分からない。もしかすると、何か予想外の存在が潜んでいるのかもしれない……とは思うものの、クラーケンの大群に比べれば、まだ大した脅威ではないのだろうか。


そう考えながらも、背中のあたりを、ひやりと冷たい風が撫でていく感覚に気付いた。


だが、ペンギンは珍しく表情を引き締め、声を潜めて続けてくる。


「三華月様。直径500mほどの円状の浮島なのですが……そこから“かなりの人数”の気配が感じられます」


“かなりの人数”――その言葉が放たれた瞬間、空気が一段階、冷えていく。

まるで視界の隅々まで凍りついたかのような感覚が、全身を駆け抜ける。


「かなりの人数……なのですか」


「はい。もしかすると、私たちと同じ地上世界の者達かもしれません」


地上世界の者達。

遭難者なのか。それとも、この海域に根を下ろす未知の住人なのか。


もし遭難者であるなら、放っておくわけにはいかない。とはいうものの、この浮島の存在や“人数”の正体を確認すること自体が、今後を左右する重要な手がかりになる可能性もある。


「もしそうであるなら、救助の必要がありそうですね」


「そして、もしこの海域の住人であるなら、周辺の情報を得るチャンスでもあります」


確かに、その通りだ。緊張と期待が、胸の奥で絡み合い、奇妙な高鳴りを生んでいる。


「なら、急いで向かいましょう」


「了解いたしました。ただ、接近前にひとつ、気になる点がございます」


まただ。

こういうときのペンギンは頼もしい反面、どうしても不安を煽ってくる。


「気になる点とは?」


ペンギンは一度、深く息を吸い込み、慎重に口を開いてきた。


「補足した浮島の質量と浮力を計測したのですが……あの島、どう計算しても海に浮く“はずがない”のです。物理的に矛盾しています。これ、気持ち悪くないですか」


その言葉を聞いた瞬間、背筋がぞくりと粟立った。

海面に浮かぶはずのない巨大な島が、静かに、しかし確実にそこに存在している。その異様さが、じわじわと全身を冷やしていく。


だが、それが今どれほど致命的な意味を持つのか……判断はつかない。

浮島の正体も、そこにいる“多数の気配”の正体も、いまだ私には掴めないままだった。

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