78 クソ迷惑な異界の神に仕える信者の野望
四十九たちを魔界へ送り届けた、その直後のことだった。
城塞都市の地下深く──
光すら届かぬ、迷宮の最奥。
冷気と静寂が岩壁に貼りつき、息遣いさえ音として許されないその場所で、唐突に――**『神託』**が降りてきた。
胸の中心へ、
きらり、と。
氷片のように冷たい光が、寸分の迷いもなく差し込んできた。
次の瞬間、どくん、と心臓が跳ねる。
脈動と同調するように光は広がり、血管を伝い、神経を撫で、骨の髄にまで染み込んでいく。
冷たいのに焼けつくようで、息をすることさえ忘れるほどの鮮烈さだった。
情報が、洪水のように流れ込んでくる。
――異世界から召喚された佐藤翔という者が、まもなくS王国を蹂躙する。
――暴虐を鎮圧せよ。
……突拍子もない話、のはずだった。
とはいうものの、異世界召喚そのものは、決して前例のない現象ではない。
珍事ではある。
だが、完全に“無い”わけでもない。
異界の神に仕える信徒たちが、別世界で不満や虚無を抱えた人間を、“適当に”選び、こちら側へ引きずり込む。
そういう、あまりにも雑で無責任なシステムが存在すると聞いている。
召喚される人間の大半は、凡庸だ。
だが、ごく稀に。
本当に稀に──**『チートスキル』**と呼ばれる異常な能力を引き当て、“勇者”として認定される者が現れてくる。
皮肉な話だが、誰にも必要とされなかった者ほど、ほんの小さな期待で心を躍らせてしまうものなのだろう。
無価値だと信じ込んでいた自分が、ある日突然、巨大な力を授けられる。
そして「世界の調和者として活躍してください」などと持ち上げられるのだ。
酔わない方がおかしい。
気持ちよくなり、勘違いし、慢心し、利用され……やがては、転落していく。
あまりにも定番なルートである。
もちろん、大半の者は節度を保ち、自分の立場を理解し、歯止めをかけ、破滅を避けるのであるが……
今回の佐藤翔は──
よりにもよって、“最悪の例外”だったらしい。
地上での足取りを追うと、経緯は実に分かりやすかった。
加入したギルドでは無能扱い。
即座に追放。
そこで終われば、まだよかったのだろう。
だが彼は逆恨みし、S王国で独自にギルドを立ち上げていく。
そして、与えられたチートスキルを振り回し、既存の商業ギルドを次々と潰し始めたという。
ここまでやれば、さすがに薄々気付いているはず。
「自分は異界の信徒に利用されているのではないか」と。
……とはいうものの。
一度“主人公気分”を覚えてしまえば、人は止まれないのかもしれなかった。
無価値だったはずの自分が、世界の中心にいる。
そう信じ込んだ瞬間、暴走は加速し、ブレーキは壊れ、視界は狭まり、声は届かなくなっていく。
これから先、佐藤翔の《《未来》》は、絶望的に暗い。
商業ギルドを全滅させ、交易権を掌握し、
権力を欲望のままに肥大させてしまう。
失敗を取り返そうと足掻き、
さらに失敗を重ね、
沈み込み、
やがて国王にまで昇り詰めていく。
その果てに待つのは、中身のない改革の連続。
国を疲弊させ、民を壊し、S王国は静かに崩壊する。
そして最後は──
私の手によって、処刑される運命だ。
積み上がる罪を思えば、
彼の魂は地獄堕ち確定なのだろう。
私が担う使命は、ただひとつ。
S王国の崩壊を阻み、『佐藤翔の暴虐』を止める。
それだけである。
————
私はいま、城塞都市のさらに北――
地図の余白、その果てに記された文字通りの最果て。
『死霊の世界』と呼ばれる禁域へ、静かに、しかし確かに足を踏み入れていた。
見上げた夜空では、白銀のカーテンを幾重にも垂らしたかのようなオーロラが、風ひとつないというのに、ゆらり、ゆらりと揺れている。
ざわめきも、囁きもない。ただ光だけが、静寂の空を音もなく滑っていく。
それはまるで、この世界そのものが呼吸を止め、光だけを動かしているかのようだった。
空気は、あまりにも澄み切っている。
澄みすぎて、むしろ刃物めいて鋭い。
塵ひとつなく、凍りついた透明さを保ったまま肺へと流れ込み、そのたび、きし、と内側が軋む感覚が走っている。
清らかすぎる世界――とはいうものの、その清冽さは生命を拒む冷酷さと紙一重であり、
一歩、また一歩と呼吸を重ねるごとに、命の境界線を踏み越えかけているような錯覚を覚えさせた。
ここは、生者の場所ではない。
そう言われている理由が、言葉ではなく感覚として理解できてしまう。
私の目的はただ一つ。
『次元列車』への乗車だ。
世界の記憶によれば、この北方氷雪地帯のどこかに眠り、条件さえ整えば稼働する移動手段。
S王国へ至る数少ない、そして最も確実なルート――
そう、淡々と、感情の欠片もなく記録されていた。
そして私は、辿り着いたのだ。
広大な氷盤の、まさしくど真ん中。
地平線まで続く白の海の中心に、小さな駅舎が、ぽつんと佇んでいる。
見張りも、灯りも、人気もない。
ただ、ここが「駅」であると主張する最低限の形だけが、無言でそこに存在していた。
そのすぐ脇に――
問題の列車は、静かに停まっていた。
古代文明の路面電車を改造したものらしい。
だが、第一印象は……正直に言ってしまえば、おんぼろだ。
全長12mの一両編成。
客席は向かい合わせで、詰め込めばそれなりに人は乗れそうだが、快適さとは程遠い。
外板には無数の擦過痕と凹み。
塗装は剥げ落ち、ところどころ金属がむき出しになり、白い雪景色の中で鈍く光っている。
“次元列車”という大仰な名前から想像する、奇跡のテクノロジー感や、異界の力動――
そうしたものは、どこを探しても見当たらない。
名前負け。
そう言われても、反論できない代物だった。
列車は現在、時速20kmほどで、のんびりと走行中。
遅い……ものの、この外観を見てしまうと、「まあ、限界だろうな」と妙に納得してしまうのが腹立たしい。
S王国までの距離は約2000km。
単純計算で、到着は100時間後。
数字にすると、改めて気の遠くなる道のりだった。
周囲は、どこまでも白。
建物も、岩も、影すらない。
ただ雪原だけが果てなく広がり、その中を、レールと電線だけが、寸分の狂いもなく一直線に伸びている。
ファンタグラフが、カチ、カチ、と小さく鳴っている。そのたび、ぱち、と微かな光が走り、すぐに消えていく。
その細い音ですら、この世界の静寂を破るには至らず、むしろ静けさそのものを、より際立たせているように感じられた。
私は座席に深く腰を下ろし、正面に設置されたAI制御パネルへと向き直る。
指先を軽く添え、ひと呼吸。
「次元列車さん。お願いがあります」
スピーカー越しに返ってきたのは、どこか疲れ切った、溜め息混じりの声だった。
「はぁ……一応お話は伺いますがね。かしこまってお願いされる時って、大抵、“お金貸してくれ”とか“そのケーキ少し頂戴”とか、図々しいものが多いんですよ」
開口一番、これである。
声の端々に、“あーあ、面倒だ”という空気が滲み出ていて、それだけで、車内の空気が一段重くなった気がした。
……お願いしづらさ満点だ。
過去に何かあった者が、似た反応を示すことがある。
人間不信なのか、単なる面倒くさがりなのか。
どちらにせよ、神託が降りている以上、悠長にはしていられない。
ここは、押すしかない場面だった。
「次元列車さん。少々急いでおりまして。勝手を承知でお願いするのですが、次元を歪めてS王国までワープしていただけると助かります。ご検討願えないでしょうか」
「はぁぁぁ……僕が“次元列車”という名前だからって、ワープなんて出来ませんよ」
即答だった。
迷いも、含みもない。
「見てのとおり、僕は路面電車をベースに改良された存在ですからね。例えるなら――母に『ぽん酢買ってきて』と頼まれた父が、ラベルに『ぽん酢』って書いてあるミツカン酢を買って帰ってきて、母に『これは“ゆずぽん”や!』って怒られるようなものなのです」
またもため息混じりに、妙な例え話をまくしたててくる。
言いたいことは、どうやらこういうことなのだろう。
――名前がそれっぽいだけで、ワープは出来ません。紛らわしくてすみません。
とはいうものの、その言外の注意は、やけに回りくどい。
一般的に“ぽん酢”と言えば『味ぽん』が連想される。
しかし『ゆずぽん』に“ぽん酢”というラベルを貼って売っていたなら、確かに勘違いは起きるだろう。
日常でも、あり得る話ではある。
とはいうものの、疑問は残る。
父は、指示どおりに買い物をしたはずなのだ。
「次元列車さん。先ほどの例えの件ですが、母に頼まれたとおり『ぽん酢』と書かれた商品を買ってきた父が、どうして怒られるのでしょう」
本来なら、母が最初から『味ぽん買ってきて』と言えば済む話だ。
間違っているのは母のほうであり、父が責められる筋合いはない――私は、そう思うのだが。
「三華月様。それは家事をやっていない人が言う言葉ですよ。確かに父親は間違えてはいないのでしょう。でも家事をしていれば、そんな取り違えは起こりません。『ぽん酢』と言えば普通は『味ぽん』のことなのです。普段家事に関わっていない父は、自分の理解不足を反省すべきなのです」
なるほど。
父は“やらされているだけ”で、自ら家事を担おうとしていなかった。
だから思考が浅くなり、結果として、あの“ぽん酢事件”が生まれた――
そういう理屈らしい。
そう聞くと、妙に納得してしまう自分がいる。
ならば、次の疑問も確認しておこう。
「次元列車さん。もうひとつ伺います。先ほどご自身は“路面電車をベースに改良された”とおっしゃいましたが、ワープが出来ないのであれば、何が改良されたのでしょうか」
「僕は異世界に行けるように改良されたのです。異世界転生とか転移された人達を、元の世界に戻す役割を持っております」
異世界航行。
それは、ワープ程度を軽く上回る能力ではないか。
仕組みを理解していないのは、もしかすると本人だけなのでは――
そんな疑念すら浮かぶ。
とはいうものの、そこを指摘すれば確実に不機嫌になる気配しかしない。
ここは、ワープを諦めるのが賢明だろう。
ここまで会話して、ひとつ気づいたことがある。
この次元列車、性格はどうしようもない。
しかし――実装されているスペックだけは、想像以上に優秀なのかもしれない。
そんな予感を、私は否応なく抱かされていたのだった。




