75 中途半端に転生について
――ほんの、刹那よりも短い瞬間だったのだろうか。
時間という概念が意味を失い、思考と反射だけが世界を支配した、あの一瞬。
『ロックオン』と『転移』を、ほぼ同時に、ほとんど反射の域で発動していた。
詠唱も、躊躇も、判断の余地すらない。ただ最短距離で最適解へ到達するための、純粋な意思決定。
私が放った“運命の矢”は、私自身と──そして十戒の心臓を、寸分の狂いもない同一軌道で貫いた。
ギュルルルッ――!
空気が削り裂かれ、悲鳴のような唸りが耳を打つ。
矢には、あらかじめ凶悪としか言いようのない高負荷ジャイロ回転を与えてあった。
回転、回転、回転。
ただ貫くためではない。内部を破壊し、残骸すら許さないための、徹底的な殺意の設計。
その暴力的な推進力は、まるで分厚い紙束を無理やり引き裂くかのように、私の心臓を粉砕し、肉を抉り、骨を砕きながら後方へと抜けきった。
ドン、と鈍い衝撃。
次の瞬間、胸の感覚が、ごっそりと消える。
視線を落とす。
そこには、胸部にぽっかりと開いた大穴があった。
肉も、骨も、血管も存在しない、あり得ない空白。
その奥には、遠くの壁が、はっきりと見えている。
まるで、自分の身体に見知らぬ洞窟の入口でも形成されたかのような、現実感の欠落した光景だった。
痛みが到達するよりも早く──視界が、思考が、冷静すぎるほど淡々と「これは死だ」と結論を下す。
ドッ、と血液が溢れ、熱が一気に外界へと逃げていく。
世界の輪郭が引き延ばされ、音も光も、すべてが粘性を帯びたスローモーションへと変質していった。
とはいうものの。
脳だけは、異常なまでの速度で回転を始めていた。
私だけが、別の時間軸へと滑り込んだかのように、意識が鋭利に研ぎ澄まされていく。
そして――。
私の肉体は、すでに再生を開始していた。
破壊された心臓は、巻き戻し映像のように組織を再構築し、断裂した血管がぴたりと繋がり、失われた血液を渦巻かせながら補填していく。
肉が盛り上がり、骨が噛み合い、鼓動が、再び生を刻み始める。
精神は、驚くほど冴え渡っていた。
霧ひとつない黎明の空気のように、澄み切っている。
「三華月様……! た、たた、大丈夫ですか! 目を開けてください!」
背後から、月姫の悲鳴にも似た声が飛んでくる。
震える両手が、崩れ落ちかけた私の身体を必死に支えていた。
その指先から、混じり気のない恐怖と焦燥が、皮膚越しに直に伝わってくる。
「大丈夫です。意識は明瞭です。問題はありません」
「問題ないわけないじゃないですか! 胸に、大穴が……開いてたんですよ!?」
「その怪我でしたら、すでに完治しております」
「……えっ。もう……治った? 嘘……そんな……本気で言ってるんです?」
先日、『自己再生』の仕組みについては説明していた。
とはいうものの、心臓が吹き飛んでから数秒で元通りという現象を、理屈だけで飲み込めるはずもない。
月姫は眼鏡をきらりと光らせ、そっと私の胸元へと指を伸ばす。
恐る恐る触れた指先が、完全に塞がった肌をなぞった。
「本当だ……小ぶりな胸が元通り……」
小ぶり、という形容は余計である。
後で、さりげなく抗議しておくべきだろうか。いや、今はそれどころではない。
さて──十戒のほうだ。
あちらはすでに、“絶滅”という言葉が最もしっくりくるほど、完全破壊されていた。
『アーカイブ』の情報によれば、スキル『転生』は、
“死亡した位置”で強制発動するらしい。
つまり、奴はこの場所で、新たな姿へと変じて復活してくる。
それも、不完全な形で。
月姫はようやく呼吸を整え、不安を押し隠すように問いかけてきた。
「三華月様が自己再生能力を持っていることは理解しました。ですが……その、心臓を撃ち抜く必要は、果たしてあったのでしょうか」
眼鏡の女子は控えめに視線を落としながら問う。その声には、慎重さと疑念が入り混じっている。
「なるほど。しかし、それでは──どうにも緊張感が欠けてしまうのです」
「緊張感……つまり、インパクト重視、ということですか」
「ええ。心臓を撃ち抜くほうが、敵に与える恐怖と精神的衝撃は、はるかに大きくなるではありませんか」
一瞬、静寂が落ちる。
月姫の言葉は理論的だったものの、その冷徹さが空気をわずかにざわつかせた。
「……そういうことだったのですね」
「ご理解いただけましたか」
「はい。三華月様が、感情の一部を綺麗に欠落させた、まさしくサイコパスであることを、再確認できました」
晴れ晴れとした顔で頷く月姫。
その様子を見つめ、思わず沈黙する。
どうしてそこで、そんな清々しい表情になるのだろうか。
まるで私が、通りすがりの人間を無差別に刈り取る冷酷な存在であるかのようだ。
悪気がないのは理解しているものの、もう少し婉曲な表現はなかったのかと、内心で眉をひそめる。
そんな微妙な空気の中、眼鏡女子が控えめに手を挙げた。
「三華月様。もう1つ、質問があります」
「伺いましょう」
「『SKILL_VIRUS』で十戒の『転生』を完全に破壊してから戦うのが、安全策だと思ったのですが……なぜ“30%崩壊”という不完全な段階で戦闘を開始なさったのでしょうか」
その声には、理詰めの問いかけと、ほんのわずかな恐怖が滲んでいる。
「つまり、転生リスクを完全に潰してから戦うべきだった、という指摘ですね」
「その通りです」
「ですが、その方法では──十戒の“中途半端な転生”が見られない。その楽しみがなくなるからです!」
「中途半端な転生……?」
「ええ。ほら、ちょうど始まりました」
地に伏していた十戒の死骸が、ゆらりと淡い光を帯び始める。
皮膚の下で燻る火種のような光が、不安定に明滅し、ぼんやりと周囲を照らす。
生と死、その境界を彷徨う存在。
その異様な光景は、観察者の胸に、微かな期待を芽生えさせる。
――スキル『真眼』が、ひらりと開く。
視界の前に、十戒の転生直後のステータスが淡く浮かび上がった。
数字と文字が宙に刻まれ、静かに、しかし確かな存在感を放っている。
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・種族 : 俺だけレベルアップできるゴブリン
・JOB : ダンジョンマスター
・スキル : 崩壊中の転生、ダンジョンウォーク、捕食、ミラー、etc
空気が、ぴんと張り詰める。
光の粒子が、十戒の身体から静かに舞い上がり、ゆっくりと漂っていく。
胸の奥で、期待が静かに、しかし確実に跳ねた。
これこそが、狙っていた瞬間。
“中途半端な転生”という、最高に歪で、最高に観察しがいのある局面だった。




