68 「俺だけ不死身の英雄譚」とか言いそうな奴だな
目の前の光景は、異様だった。
まだ幼さの抜けきらない少年が、自分より頭ひとつ分は大きい飛燕の背後へと回り込み、その細い身体で羽交い締めにしている。華奢に見えるその腕は、しかし見た目とは裏腹に、鉄の輪のような硬さでがっちりと締まりきっていた。ぐぐっ、と骨がきしむような圧迫感が、音にならずともこちらに伝わってくるかのようである。
飛燕は全身の筋肉を総動員し、暴れ、踏ん張り、ぶんっと身体を捩じらせ、足が地面を削り、砂利が跳ねている。とはいうものの、その抵抗はあまりにも虚しい。少年――いや、十戒の怪力の前では、どれほど足掻こうと意味をなさないのだろうか。見えない檻に閉じ込められ、逃げ道という逃げ道を完全に塞がれている、そんな錯覚すら覚える。
十戒の狙いは、あまりにも明白だった。
スキル『捕食』。
それによって、飛燕のスキル『ミラー』を奪うつもりなのだ。
少し離れた位置では、勇者と強斥候が並び立ち、事態を冷静に――いや、どこか他人事のように眺めている。助けに入る気配は一切ない。あえて動かないという選択を、最初から取っているのだろう。もしこのまま飛燕が殺されれば、それは紛れもない“見殺し”。そうなれば、彼らの信仰心が下がるのは目に見えている。
つまり――この場で助けに入れるのは、私しかいない。
十戒の拘束に抗えず、必死にもがく飛燕の叫び声が、張り詰めた空気を震わせ、鼓膜を刺す。
「俺は全てを総べる王に成るんだ。こんな所で死ぬわけにはいかない…!誰か俺を助けてくれ!もし助けてくれたら、何でもしてやるぞ!」
この状況、この瞬間で、なお変わらない上から目線。
演技ではない。これが素なのだと、嫌でも理解させられる。
正直なところ、助ける意欲がほんの少しだけ削り取られた気がしないでもない。ものの、ぼやいている暇はなかった。やるべきことは1つ。十戒を確実に仕留め、飛燕を救う。それ以外の選択肢は存在しない。
私は、すでに召喚していた『運命の弓』を静かに構え、少年の頭部へと照準を定めていく。
ぴん、と空気が張り詰める音がした。視界の端で、草木が微かに揺れ、震え、世界から色が抜け落ち、音が遠のいていく。狙撃の瞬間が、まるで粘性を帯びた時間の中で、ゆっくりと形を成していくかのようだった。
十戒は、狙われていることに気づいていないはずがない。それなのに、飛燕を放そうとしない。逃げる素振りすら見せない。普通の魔物なら、生命の危機を感じた瞬間、即座に距離を取るものだというのに。
死を恐れる様子が、微塵もない。
私を舐めているのか。
それとも、狙撃を無効化する何かを持っているのか。
とはいうものの、躊躇する理由はない。
撃つべき時は――すでに来ている。
あなたの脳天、確実に撃ち抜かせてもらいます。
その直後だった。
十戒の口が、ばきっと骨の外れる音を立てそうな勢いで、不自然なほど大きく裂けていく。
『捕食』が発動した。
狙撃が届く前に、飛燕を丸呑みにするつもりなのだろう。
というものの――遅い。
私は、引き絞った弓の力を、ためらいなく解き放っていた。
――――――SHOOT
矢を放った、その刹那。
世界が破裂したかのように、空気ごと爆ぜた。
焦げつくような衝撃音。
白銀の矢は超音速の刃と化し、空間を抉り裂きながら一直線に――十戒の頭部へと突き進んでいく。
ヒュオオ――――
そして、
ズガァァンッ!!
遅れて押し寄せる衝撃波が頬を叩き、髪を乱暴に揺さぶった。
手応えは、完璧だった。誰がどう見ても――“決着した”。
あの一撃から、生き延びられる者など、この世に存在するのだろうか。
(なぜ、動かなかった?)
疑問が一瞬、脳裏をよぎる。とはいえ、吹き飛んだ敵に答えを求める意味はない。
糸の切れた操り人形のように、少年の身体は力なく宙を舞い、ゆっくりと地面へ落下していく。砂埃がふわりと舞い上がると、飛燕は呪縛から解放され、その場に尻もちをつき、安堵とも混乱ともつかない息を震わせている。
そこへ、完全に気配を断っていた勇者と強斥候が、まるで舞台の終幕に拍手を贈る観客のように――パチパチと前へ出てきた。
「さっすが三華月だぜ!俺達に逆らうとこうなるって、身をもって教えてやったよな」
「鬼可愛いは最強っすね。これからも全力で頼りにしてるっす」
……とはいうものの。
その瞬間だった。
視界が、破綻した。
“殺したはず”の十戒が――立ち上がってきたのだ。
あり得ない。
だが、そこにある現実。
先ほどとは別種の、怪物めいた気配を纏った少年の姿。ほんの一瞬の油断が、致命的な牙となる。
気づけば十戒の口は、再び不気味に裂け――
驚愕で硬直した飛燕の身体ごと、丸呑みに迫っていた。
「ひッ――」
逃げる暇など、欠片もない。
飛燕の悲鳴が迷宮に木霊し――ぴたりと途絶えてしまった。
ぶちゅり。
ぐにゅう。
肉が押し広げられ、潰される、不快極まりない音。
十戒の身体は内部から暴れ狂う何かによって膨らみ、輪郭が歪んでいく。
私は眉を寄せた。
致命傷は、確かに与えた。それなのに――なぜ。
その疑問に答えるかのように、視界が黄金色に塗り潰される。私の意思とは無関係に、スキル『真眼』が起動した。
――――十戒は『転生』している。
遊郭で青年から少年へと若返っていた理由。
先ほど、ロックオンされても逃げなかった意味。
全てが、一本の線で繋がっていく。
まったく、やれやれである。
そのうち「不死身の英雄」だの何だのと、調子に乗るのだろうか。
飛燕の気配は、完全に消失していた。
十戒は犬のように荒い呼吸を吐き、舌を垂らし、にたりと笑っている。
「じゃ、俺はここで失礼するぜ。飛燕のスキルはもう貰ったし、次は――聖女。お前を従服させてやる」
吐き捨てるように言い放ち、
足元に開いた『ダンジョンウォーク』へと、その身を滑り落としていく。
追えば、捕らえられる。
だが、今すぐ殺す必要は――ない。
次に会う時こそ、確実に仕留める。
楽しい“処刑イベント”を、丁寧に準備してあげる所存だ。
通路が閉じた途端、勇者と強斥候はいつもの大騒ぎだ。
「あの野郎、トドメ直前で逃げやがった!ありえねぇ!」
「三華月様、本当に逃がしてよかったんすか?」
「安心してください。十戒をブチ殺すタクティクスは既に完成済みです。未達成で終わる気は毛頭ありませんし」
「お、おい。ぶち殺すって穏やかじゃねぇな。なんか恨みでも?」
「三華月様、僕が言うのもどうかと思いますけど……聖女って許すお仕事じゃ……」
ジト目で考えていた。
私の控えめなバディを“貧弱”と笑い、従属させようとした魔物を、ブチ殺す理由が分からないとでも言うのか。
それにしても、この《生産性の無い》2人に説教されるとは――余計に腹立たしい。
とはいうものの、今は十戒の対処が最優先だ。
奴を葬り去る条件の第一は、スキル『転生』の破壊。
そして十戒は、すでに――『ロックオン』済み。
つまり、今この場からでも破壊可能ということになる。
私は静かにスキル『転移』を展開した。
『SKILL_VIRUS』を十戒へと送り込ませて差し上げよう。
空間前方に魔法陣が幾重にも重なり、淡い光がリズムを刻んでいく。
殺さない。
まだだ。まだ終わらせない。
次の戦いで、必ず仕留めるために。
まずは――スキルを1つ、砕く。
私は3m超の白銀の大弓を引き絞り、
宿敵を照準する。
――――BREAK_SHOT




